暮らしとサバイバルの距離
2028年、NHK大河ドラマが『ジョン万』に決まったらしい。『龍馬伝』以来、大河は観ていないが、このニュースには驚きと嬉しさがあった。歴史上の人物としては異色の存在である。早くに父親を亡くし、少年にして漁師となり、足摺岬から鳥島まで流され、アメリカの捕鯨船に救出されるまでの143日間を生き抜いた。
NHKには、ぜひ鳥島での現地ロケを敢行してほしい。無理ならば、黒潮に洗われる孤島で。俳優やスタッフには申し訳ないが、本物のサバイバルの再現を観たいのである。
『レヴェナント 蘇えりし者』(2015年、アメリカ)という映画があった。レオナルド・ディカプリオ演じる男が、瀕死の重傷を負いながら北の大地を彷徨う。実話に基づく、臨場感のある画だった。あれぐらいの画をCGなしで撮って欲しい。その後の万次郎の活躍よりも、サバイバルだけで1/3は流して欲しい。それだけの価値がある。
キャンプをしていると、近隣の住民が散歩に来て声をかけられることがある。「いざという時、キャンプしている人はサバイバル力がありますよね」と言われる。褒められているのだから嫌な気はしない。だが、本当にそうかなと思う。
趣味や愉しみは人それぞれにあるだろう。パチスロ、カラオケ、アイドル、バンド、ガールズバー、手芸、園芸、DIY、野球、サッカー、ウォーキング、フラメンコ、ハワイアン、鉄道、ダム、城、酒、バイク、釣り、プラモデル、写真、シール、グルメ、などなど。キャンプはそのなかのひとつのレジャーに過ぎない。
予期せぬ災害への対応は、日々の暮らしとして技術と胆力を備えている人こそ、圧倒的に優れている。能登で地震があった時、孤立した集落でビニールハウスに集まり、助け合って生きる人たちがいた。
2023年、コロンビアの密林で飛行機が墜落した。生き残ったのは1歳から13歳の4人きょうだいだった。40日間を生き延び、捜索隊によって発見された。先住民族としての生き抜く知恵と経験があったからだった。キャンパーにその力があるかと問われればかなり怪しい。「そのギア、他とかぶらなくていいですね~」という世界でもある。
生き残るためには、車を所有してガソリン満タンにしている方が良い。スターリンクと契約している方が良い。ブルーシート一枚持っている方が良い。何も持ってなくても、水を濾過できる方が良いし、昆虫を食える方が良い。
ソロキャンパー同士で話すことがあるが、私たちはまあまあ屈折して歪んでいる。それでも週末に何かを呼び戻し、取り戻し、生気を養い、気づきをもたらされたと信じて帰っていく。言わば孤独を正当化するための儀式であり、キャンプという名のサナトリウムである。
暮らしとして、生業として山に生きる人に畏敬の念を抱くがしかし、今や木樵や杣人は放送禁止用語で、林業従事者と呼ぶらしい。差別的だというのである。
1988年、サントリー社長の佐治敬三の発言が物議を醸した。
仙台遷都など阿呆なことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い。
このあと、東北が不買運動で荒れに荒れたことを憶えている。サンカもそう、アイヌやマタギも憂き目にあってきた。近代における狩猟採集の歴史を如実に物語っている。ジョン万次郎も漁民だったからこそ、立身出世は驚きをもって受け入れられ、ドラマになり得る。
キャンプの愉しみは、まず焚き火にある。炎の暖かみ、猛々しさ、パチパチと爆ぜる音、匂い。そして目まぐるしく変化する天候。陽を浴び、雨に打たれ、風に吹かれ、寒さに凍える。ウイスキーを含んで寝袋に包まり、夢を見る。東の空が白み、鳥のさえずりにテントを這い出す。劇的な夜明けは、私がどのように生きていても変わりなく訪れる。
戦後に核家族が生まれ、工業地帯に生み落とされ、昭和を生きた。サバイバルへの接近ではなく、日常からの距離としてキャンプはある。車も電車も、カラスも時報も聴こえない。
道具は、キャンプ用品ではないのものをなるべく選ぶ。キャンプを独立した特別扱いとせず、暮らしと自然、現代と先人を混ぜ合わせて、時空の延長線を辿り、生きる実感を灯していたい。








