社会不適合だと思っていた人間、普通に働いている
働いたことないのに
学生の頃、わたしは自分を「社会不適合者」だと思っていました。
とにかく勉強することが好きでした。本を読んだり、調べたり、興味のあることを延々考えたり研究したりするのは楽しい。でも、興味ないことにはとことん興味がありません。
特に、労働は嫌い。正確には、ろくに労働したこともないのに嫌いでした。
毎週、月曜日から金曜日まで働くんですか。朝起きて、仕事して、帰ってきて、また次の日も? それ一生? 無理いいいい!!!
当時は大学院に行くつもりだったので、労働はそのための足掛けくらいにしか考えていませんでした。「資本主義の駒になる気はない」「労働力を搾取されたくない」などと思いながら、授業の合間にアルバイトはしていた。
まともに働いたこともいないのに思想だけは一人前である。
※政治思想の話ではありません。単に社会をなめていただけです。
そんなある日、アルバイト先で掲示板に貼られている成績表を見て、自分の生産性がトップになっていることを知りました。
意外と仕事はできるのか……?
思い込み変換が厳しい
そこで「社会不適合者」という自己認識が撤回されたかというと、特にそんなことはありませんでした。
なぜなら、与えられた仕事は普通にこなせるけど、わたし自身はその仕事を好んでやりたいと思っていなかったからです。
当時のわたしにとって、「仕事ができる人」は、与えられた仕事をこなせるだけでは足りなかったようです。自ら働きたいと思えて、社会にも難なく馴染めて、ようやく「社会適合者」。
わたしは自分が興味を持てることに時間を使いたかった。誰かに決められた枠の中で、自分の時間を差し出したくない。
「自分からやりたいと思えないなら、できるうちに入らない」「だからできない」と自信をなくしていた。
仕事をこなせることと、その生き方を自分から選びたいことを見事にごちゃ混ぜにしていますね。
ずいぶん判定が厳しい。そんなハードモードにしなくてもいいじゃないの、とは思いますが、興味ないことにはとことん興味がないし、嫌なものは嫌なんですよね。うーん、わかる。
社会人、思ってたのと違う
現在、わたしは普通に会社員をしています。大学院には行きませんでした。色々考えた結果、資本主義に身を置いて知らなければいけないものがあると思ったのでしょう。知らんけど。
あれだけ嫌がっていた労働は、思いのほか楽しいです。
学生時代のわたしに教えたら、「社畜にでもなったのか」と蔑んだ目で見られそうです。まあまあ、気持ちはわかるよ、でもそうじゃない。
いま仕事でやっていることは、頭の中で仕込んだ仮説を検証して味見して、うまくいかなければ少し手を入れて、また試すこと。実は、学生時代に学問をしていた時と、やっていることはあまり変わりません。
「自由が好きだから社会に向いていない」という昔の解釈は、やっぱり雑だったようです。
とはいえ、「昔のわたしは仕事を知らなかっただけ」で終わらせると、違和感があります。なぜなら、社会人になった後も、しばらく「社会不適合者」という自己認識は残っていたからです。
現実の方が変わっても、自分につけた判定はなかなか変わらなかった。
ここが、今回いちばん気になったところです。
セルフイメージの根拠とは
わたしの場合、「自由が好き」「自分で考えたい」「興味のないことに時間を使いたくない」という性質をまとめて、「社会に向いていない」「働けない」と解釈していました。
「私はこういう人」と思っているものには、実際に自分に起きていることだけでなく、そこから自分で推測したことも混ざっているのかもしれません。
社会のことは疑うのに、自分の判定を疑ってなかったのが笑える。
おそらく、こういうものをセルフイメージと呼ぶのでしょう。
だとしたら、「社会不適合者」をもっと前向きでキラキラしたラベルに貼り替えるだけでは、少しもったいない気がします。
ラベルを上書きするよりも先に、「この評価、そもそも何を根拠につけたんだっけ」と、定義と解釈を分解して見直す。
その方が面白いと思いますし、地に足がついていると思います。
だから「社会不適合者」を「優秀な社会人」に塗り替える必要もない。
今でもそこそこ社会をナメてるし……
かつて社会不適合者を名乗っていた学生は、今日もたのしく働いてお金をもらっています。不適合どころか、うまく擬態していますね。
学生時代のわたしには、楽しみにしておいてもらおうと思います。
▼社会はなめてません。なめてるのはソフトクリームだけです!(やかましい)
