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貝を食べるとアホになる

炉端焼きの有名店で蛤を食べることになった。

半年待ちの予約が取れたとかなんとかで誘そってもらったのはいいのだが、誘わないで貰いたかったとも言える。なにせ貝が嫌い、なのだ。食べる前から嫌いだが、食べてからなお嫌いになったので食わず嫌いの類ではなく、真剣に貝が嫌いなのである。

理由は至って単純で、形が怖いのだ。貝以外の海産物はなんだって好みで、海老なんてすごい好きである。美味しいのはもちろんフォルムもいい。昔から戦隊モノなどに海老のような鎧をまとい長い髭を携えた怪人が出てくると小躍りしたことを覚えている。それに比べてなんだ貝のあの姿は。食べることのできる海産物(主に海老)も美味しい店と聞いたので着いてきたというのに、小さな卓上コンロの上には蛤が6個、それで溢れかえり海老を焼くスペースはない。ああ帰りたい帰りたい。

店内は重要文化財かというくらい古びていて、年季のはいった窓が潮風になびき、ホラー映画のごとき奇怪音を立てている。1998年頃に書かれた日焼けしたサインや、昭和天皇のカレンダーが吊るされている。ペラペラに潰れた座布団はもはや布団ではなくタオルケットのようだ。

蛤はコトコトと泡を吹いている。なんの泡だろうか。しかし、唐揚げのレモンは絞るか絞らないか尋ねるというのに、貝を食べれるか食べないかの話しあいが行われたことはない。一つ目の蛤が焼き上がる前から色めきだち、貝類の発注が相次いでいる。聞くくらいしてほしいものだ。食べられなさそうな人がいることくらい想像にたやすいというのに、皆んな貝が大好きだよねといったくだらない風潮のせいで、茶碗に盛られたふっくらご飯が乾燥していく様をまざまざと見せつけられているのだ。配慮をしてくれないか。まだかまだかと片手に茶碗で焼き上がるのを心待ちにしているが、僕の首はいたって短い。コイツらのご飯も乾燥してほしい。

おばちゃんがステンレスのボウルにたっぷりと蛤や帆立、牡蠣を入れて持ってきてテーブルの上に置いた。並んだ貝を見て「美味しそう」と盛り上がる卓。それに付いて一つ、物申したい。絶対に「美味しそう」ではない。

「美味しそう」と言うのはファーストコンタクトでも尚、「美味しそうだな」と思えるハムカツとか五目チャーハンとか、そういう飯に使うべき言葉である。あくまで貝の味を知った上で、その味の思い出があるから美味しそうなどという御託を並べていることを考慮していない。人類で初めて貝を開いた人も決して美味しそうだから開いたのではない。開けてびっくり化け物だとわかっても、飢饉で食べるものがそれしかなかったために、やむなく食べたに違いないのだ。えー食べたら美味しいよ、食べてみなよと言われるが、食うわけがない。僕は、貝をプレデターだと思っている。今の僕は食べるにそこまで困っていない。それに摂取量があるラインを超えるとプレデターになる可能性が高い。なぜプレデターを食べるのだ。

殻が開いてきていて顔を覗かせている、怖い。

貝ってなんなんだろう、なにが貝に進化したんだろう。牡蠣はわかるけど帆立はいけるでしょ?というバカがいるが、帆立のフォルムは中でも凄まじいものがある。貝柱はまだわかる。貝殻を開いたり閉じたりする「筋肉」なのだろう?僕にも少なからず筋肉が付いているので、理解があるから最悪食える。普段好んで食べる魚も牛も、その筋肉の部分を炒めたり煮たりするのだから、まだ納得できる。問題はそれ以外すべてである。

外側に敷き詰められているビロビロの部分はなんだ。聞くと「ヒモ」など呼ばれているが、何だヒモって。体にあるなよそんな部位。僕の体にはないし、あってたまるかとも思う。僕が知る人たちにもヒモが付いていないし、猫にも牛にも魚にも、昆虫にすらヒモはない。臍の緒?臍の緒なのか?臍の緒なら命の神秘として、食うのはあれだが最悪理解は示す。が、このヒモ、黒い斑点がある。太陽を望遠レンズでのぞいたときに見る黒い斑点みたいな点がある。あの斑点、目だという。目?ヒモがある時点でやばいのに、それに目が、それも大量にある。あの斑点を数えた猛者によると80あるらしい。80?僕は2、天津飯で3、両面宿儺で4なのに、帆立は80。ふざけないでよ、そんなに見ないでよ。

貝殻を作る工程は、体から液体を分泌し硬質化させて作るという。なぜだ。どう考えても液体を分泌して貝殻を作るより、筋トレとかを頑張って体を硬くした方がいい。その方が体も軽くなるし、健康にもいい。もしくは海老や蟹のように鎧を纏えば良かったのではないのか。そしたらかっこいい怪人になれたはずなのに、特殊な液体を出して硬質化させないでくれよ。同じ液体で真珠を作るやつ種もいる。七色でテロテロに光った球を、殻の中で作成する。ゴミや寄生虫が奇跡的に入り込み、それを例の液体が覆い、幾月の時間を経て冠婚葬祭のマダムの耳に輝く。大往生したじいちゃんが死んで、思い出を肴に呑み交わしながら、涙ながら語る首に大量にぶら下がる。どんな風習だ。

元は軟体である彼らが生存戦略としてとってきたのが、殻で身を守ることだったらしい。多種多様の海で、他種から身を守る術だ。もちろん柔らかいより、硬い方がいいだろう。それは正しい、これからも頑張って生き残っていってほしい。しかし接触はなしで行きたい。

蛤が開いた。パックリ開きぶりぶりに開いた中身が少し焦げ、食べどきを知らせる。それも無理、怖すぎる。

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