鷗外文学における母的なものについて
はじめに
今回は小説の投稿はおやすみして、森鷗外のことについてすこしお話したいと思います。
これは専門的な研究ではなく、既存の研究を参考にしたわけでもなく、わたしが鷗外文学に親しみ、そして創作を重ねるなかで、自然と気づかされたことです。
鷗外といえば文豪であり、軍医であり、官僚であり、冷静で客観的な雰囲気や、清澄で論理的な文体、知識人などというイメージが先行していて、どこか近づきがたいと感じている方もいらっしゃるかもしれません。
けれども、そんな硬派な鷗外文学の中心に母的なもの、あたたかで慈悲深いもの、やわらかな抒情が宿っているとしたらどうでしょうか。
そしてそんな”母的なもの”こそが、鷗外文学を唯一無二なものにしているとしたら——。
鷗外の代表作としてよく挙げられるのは、『舞姫』、『雁』、『阿部一族』、『山椒大夫』、『高瀬舟』、『渋江抽斎』などです。
他には『ヰタ・セクスアリス』、『青年』、翻訳ですが『即興詩人』なども知られています。
この代表作群のなかに、母的なものが作品の中心を担っているものが三つもあるのです。
それは『舞姫』、『山椒大夫』、『渋江抽斎』で、『舞姫』は処女小説にして傑作、『山椒大夫』は説話を題材にした鷗外作品中の異色作でありながら人気作、そして史伝文学『渋江抽斎』は彼の最高傑作とされる作品です。
以下につづくお話を読まれるうえで、鷗外についての事前知識は必要ありません。安心して、ゆるやかにお楽しみいただければと思います。
『舞姫』
それではさっそく、『舞姫』から始めましょう。新潮文庫の『阿部一族・舞姫』(以下、『舞姫』)をテキストといたします。
冒頭近くに以下のような叙述があります。
余は幼き頃より、庭の教を受けし甲斐に、父をば早く喪ひつれど(中略)、~一人子の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。
典雅な文語体で書かれておりますが、重要な情報としては語り手である主人公、太田豊太郎は、「子どもの頃に父を失い、その後は母と一人息子である自分の母子家庭となった」ということです。
豊太郎は上京して大学の法学部に通うのですが、その後、十九歳で卒業し、
某省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり、
とありますので、大学卒業後に母を呼び寄せて、東京で楽しく同居生活を送るほどには母子関係は良好であり、互いに深い愛情を抱いていたことが伺われます。
先にお伝えしておきますと、実はこの母子、母と息子、父の不在というモチーフは『舞姫』、『山椒大夫』、『渋江抽斎』と幾度も変奏されながら採用されている鷗外文学の美学構造の核となるものなのです。
豊太郎はその後、官庁の仕事でヨーロッパ行きを命じられ、母を残してベルリンへ旅立ちます。
作品ではつづいて、西洋の印象やヒロインであるエリスとの出会いが語られるのですが、そこは一旦すっ飛ばして、今回のテーマである”母的なもの”と関係する重要な箇所へ進みます。
ベルリンに住み始めて数年後、豊太郎は二通の手紙を受け取ります。
我生涯にて尤も悲痛を覚えさせたる二通の書状に接しぬ。この二通は殆ど同時にいだししものなれど、一は母の自筆、一は親族なる某が、母の死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたる書なりき。余は母の書中の言をここに反復するに堪えず。涙の迫り来て筆の運びを妨ぐればなり。
優雅な文章から、豊太郎が誰よりも慕う母を亡くし、悲しみで涙があふれて、母の手紙を書き写そうにもとてもそんなことができる状態ではないことが伝わってきます。
父の死については「父をば早く喪ひつれど」としか記されておらず、感傷的な様子はありません。そのことからも豊太郎の母への愛着のつよさがわかります。
さてエリスとの出会いにもどりますが、彼女には父親がいません。
亡くなったばかりで、明日には葬式をしないといけないのに、貧乏な彼女にはそのお金がないのです。
ここで重要なのは父の不在であり、エリスもまた母子家庭であることです。これは偶然の配置ではないでしょう。そしてエリスの母はあまり好ましくない母親のような描かれ方をします。
豊太郎が慕う彼の亡き母と、エリスの母親とはおそらく似ても似つかないであろうことが示唆されています。
一度、鷗外の他の著作、自伝的な作品と言われる『ヰタ・セクスアリス』をのぞいてみましょう。
この作品の主人公には父がいて、母がいて、現実の鷗外同様に両親が健在ですが、母親は理想的な存在としては描かれておらず、かといってエリスの母親のようにも描かれていませんが、一般的な母親像からそれほど遠くない存在として描かれているようにも感じられます。
すなわち、鷗外の実の母の分身と思われる『ヰタ・セクスアリス』の母親は現実的な存在として描かれていて、『舞姫』における豊太郎の母親のような慕わしい存在ではないということになります。
この理想的な母親像は『舞姫』だけでなく、『山椒大夫』と『渋江抽斎』にも引き継がれるので、三作品における母親像が現実の記憶からの私小説的な描写ではなく、鷗外の美学的な理想や創作家としての活動から生まれたものだと言えるでしょう。
『舞姫』に話をもどすと、豊太郎とエリスが出会うのは文庫本の14ページで、その間に豊太郎の母がなくなり、23ページでエリスが妊娠します。
エリスの妊娠を知ったその日に、豊太郎は友人である相沢謙吉からの手紙を受け取ります。
内容は、この街を訪れた天方大臣がこれから豊太郎に会いたいと言っているとのことで、それを聞いたエリスは悪阻に伏せる体を起こして、
かわゆき独り子を出し遣る母もかくも心を用いじ。
と思われるほどに、彼が外出する支度を甲斐甲斐しく手伝います。
ここで豊太郎がエリスに母なるものの理想を見たのは偶然でしょうか。そうは思いません。
この時から、彼にとってエリスは恋人である以上に、母になる人と見えはじめたのだと思います。
そして23ページから、豊太郎がエリスを見捨てるように、そして父になるはずの責任から逃れるように帰郷して物語の終結する35ページまで、いえ、彼のなかではエリスはその後もずっと、母になる人であり続けたことでしょう。
出会ってから妊娠するまでよりも、妊娠後のほうが多くのページ数を割かれていることもこの作品の注目すべき点です。
果たしてこれは恋愛小説なのでしょうか。わたしには母子の物語、母的なものの物語に見えます。
もしこれが『舞姫』だけの構造だったら、恋愛小説だと思ったかもしれません。
けれども、その後の作品にも変奏されながら表現されていくことを考えると、やはり母的なものが鷗外の芸術的美学における最も重要な核のひとつだと思わざるを得ないのです。
『山椒大夫』
それでは、次に『山椒大夫』に移りましょう。新潮文庫の『山椒大夫・高瀬舟』(以下、『山椒大夫』)をテキストといたします。
作品の冒頭は、三十歳の母親と二人の子ども、それぞれ姉が十四歳、弟が十二歳、それに一人の女中がついて、どこかへ向かって歩いている様子から物語は始まります。
やがて姉娘が弟を顧みて、
「早くお父う様のいらっしゃる処へ往きたいわね」
それに対して弟が賢しげに、
「姉えさん。まだなかなか往かれはしないよ」
すると母が諭すように、
「そうですとも。今まで越して来たような山を沢山越して、河や海をお船で度々渡らなくては往かれないのだよ。毎日精出して大人しく歩かなくては」
「でも早く往きたいのですもの」と、姉娘(ここまで『山椒大夫』P163から一部引用)。
この冒頭の三人の会話だけで、父の不在と母子の物語であることが伝わってきます。
そして二人の子どもの父は、彼らと再会することなく亡くなってしまうので、これが『舞姫』と同じく母的なものの構造を持っていることがわかります。
この作品は創作ではありません。説話である『さんせう太夫』を鷗外が小説化したものです。
晩年の鷗外は、ゼロから創作することがほとんどなくなり、史実や伝記、既存の古典や説話を題材にすることが多くなりました。
『山椒大夫』もそのように書かれた作品の一つということもできますが、鷗外はその選択に当たって、数多の説話のなかからどうして母的なものに関わるお話を選んだのでしょうか。
『歴史其儘と歴史離れ』(青空文庫)という随筆のなかで、鷗外は『山椒大夫』の執筆について語っていますが、わたしが考える母的なものについては一切触れていません。
そもそもこの説話を選択した内的な理由についてはちっとも語っていません。
それでは鷗外文学における母的なものという美学は、わたしの思い違いにすぎないのでしょうか。
結論はひとまず保留にしましょう。先へ進むことにいたします。
その後、三人と女中は山岡太夫という男と知り合います。
彼に現状をつたえると、父(夫)がいるはずの筑紫への道のりは果てしなく遠く、陸路を行くのは危険なので、船路をえらぶべきであること、彼が信用できる船頭を知っているので、早速明日、船に乗せようと言われて、三人と女中はその言葉に従います。
翌日、五人は船に乗り、引き継ぎの船頭のところまで行くと、そこで姉娘と弟、そして母親と女中とで、別々の船に乗り移らされることになります。
母親は、「同じ道を漕いで行って、同じ港に著くのでございましょうね」
と尋ねますが、船頭の二人は顔を見合わせて、声を立てて笑います(ここまで『山椒大夫』P173から一部引用)。
そして二つの船は別々の方向に進み、母子はそのまま生き別れとなるのです。
姉の名は安寿、弟の名は厨子王と言います。
二人を乗せた船頭である宮崎は津々浦々をまわって、彼らを売り歩こうとしますが、二人が幼くて体もか弱く見えるのでなかなか買い手が見つかりません。
そこで宮崎はさらに船で巡りめぐって、どんな代物でも買ってくれる山椒大夫という分限者のもとに行き、ようやく二人を売りさばきます。
山椒大夫に買われた安寿と厨子王はそれぞれ仕事を言いつけられます。
慣れない仕事をこなしながら、はじめのうち二人は一緒の小屋で寝起きしていましたが、十日が経ってその新参小屋をでなければいけないときが来ると、死んでも別れないと言い放ちます。
山椒大夫はせっかく買った二人に死なれては困るので、そのまま一緒の小屋にいることを許します。
その後、二人は辛いながらも仲良く暮らすうち、ある日のこと、夢のなかで異様な体験をし、その日から安寿の様子が変わってきます。
顔には引き締まったような表情があって、眉根には皺が寄り、目は遥か彼方をみつめて、物も言いません。
厨子王が心配して話しかけても、「どうもしないの、大丈夫よ」と言って、わざとらしく笑うのです(ここまで『山椒大夫』P186から一部引用)。
やがて水が温み、草が萌える季節になりました。
二郎という山椒大夫の息子がやって来て、明日からまた仕事に出られるかと尋ねます。
厨子王が返事をしようとしたところへ、この頃黙りがちだった安寿が不意に、二郎の前に進みでて、
「それに就いてお願いがございます。わたくしは弟と同じ所で仕事がいたしとうございます。どうか一緒に山に遣って下さるように、お取り計らいなすって下さいまし」蒼ざめた顔に紅が差して、目が輝いています(ここまで『山椒大夫』P188~189から一部引用)。
二郎が父親に聞いてみると言い残して小屋を去ったのち、厨子王は、先ほどの言葉について安寿に尋ねますが、姉は喜びに顔を輝かせながら、ふと思いついただけと言うばかりです。
やがて奴頭がやって来て、二人が同じ場所で働くことが許されたと告げます。
そして苦笑いを浮かべながら、弟とともに働くのはいいが、そのためには安寿の髪を切らなければいけない、と言うのです。
その言葉に厨子王が涙を浮かべて姉を見ると、意外にも安寿の顔からは喜びの色は消えていません。
「ほんにそうじゃ。柴刈に往くからは、わたしも男じゃ。どうぞこの鎌で切って下さいまし」
そう言って、安寿が奴頭の前にうなじを伸ばすと、つやのある長い安寿の髪が、鋭い鎌で一掻にさっくりと切られたのです(ここまで『山椒大夫』P190~191から一部引用)。
翌日、二人は芝刈りに向かいます。
山の頂まで来たところで、安寿は厨子王に一人で逃げなさいと言いました。
涙を流しながら、姉さんはどうするのと尋ねる厨子王に、わたしのことは心配しないでちょうだいと安寿は語りかけます。
語り手は、
厨子王はなんとも思い定め兼ねて、ぼんやりして附いて降りる。姉は今年十五になり、弟は十三になっているが、女は早くおとなびて、その上物に憑かれたように、聡く賢くなっているので、厨子王は姉の詞に背くことが出来ぬのである。
と言っていますが、安寿の心の動きは姉としてのものというより、母親のそれに似ているのではないでしょうか。
姉弟愛というよりも、あるいはそれとともに母子愛に近いものが働いているような気がしてならないのです。
安寿は母親の代わりをしているのかもしれません。姉が急に大人びたのは母と生き別れてからであり、母親と一緒のときは安寿も子どもらしく振る舞っていたからです。
やがて厨子王は安寿を残して、一人その場を立ち去ります。
この章やその後の展開については、これ以上詳しくは語りません。読みやすい物語ですし、ぜひ手に取ってみてください。
『渋江抽斎』
最後に、『渋江抽斎』について少しだけお話します。
ここまで『舞姫』と『山椒大夫』のお話にお付き合いくださり、ありがとうございます。
もう一息ですので、ゆるやかにお読みいただければと思います。
作品の題名は『渋江抽斎』です。抽斎は実在した男性で、医者であり、著述家でもありました。
そんな彼に対して、鷗外は尊敬と親愛の念をいだき、その事跡を調べながら執筆に取りかかります。
『渋江抽斎』は史伝文学と言われています。確かに史伝には違いありませんが、作品の感触はそれにとどまりません。
これは明らかに小説なのです。それも鷗外史上、最も面白い小説です。
味わいこそ渋いですが、読んでいてものすごく心地いいのです。
そして鷗外自身が執筆を楽しんでいます。それが伝わってきます。こんなに楽しそうな鷗外は他の著作では見られません。これはその意味でも特別な作品なのです。
最初に題名に注意を促したのには理由があります。
この作品の中心は抽斎であるとともに、その妻の五百だと感じられるからです。五百はとても生き生きと描かれています。
鷗外が描いた数多くの女性のなかで、美学的に最も成功しているのは五百であるのは間違いありません。
妻として、妹として、母として立体的に描かれる五百ですが、わたしには母としての一面がとくに輝いて見えます。
『舞姫』や『山椒大夫』における鷗外は、母的なものを正面からは語りませんでしたが、『渋江抽斎』では五百という女性を通して真正面から描きました。
それは五百が理想的な母親だったからでしょう。しかもそれは実在の人物なのです。
処女小説『舞姫』の時点で理想的な母親像を持っていた鷗外が、みずからの美学を満たす女性を現実に見出したときの喜びを想像してみてください。
テキストの話にもどると、主人公の抽斎は作品のちょうど半ば辺りで亡くなります。
すなわち父が不在となり、そこからは明らかに五百が中心になります。
それとともに息子の成善(保)の活躍も目立ちはじめて、母と息子の信頼関係や愛情が静かに描かれます。
これは『山椒大夫』における安寿と厨子王の関係を、実際の母子関係になかば当てはめたものとも感じられるのです。
しかしここに悲劇はなく、流れゆく時間があります。
五百と成善は実在の人物ですし、実際の日記や記録、取材などが参照されているのは間違いありません。
しかし彼らの描き方は、小説的かつ理想的な母子関係として、鷗外が真心を込めて芸術的に描いたとしか思えないのです。
それほどに美しく、そして高貴な文体で淡々と叙述されています。
『渋江抽斎』は鷗外の傑作”長編小説”であり、彼の『細雪』だと思います。
今回の鷗外についての話を書くきっかけになったのは、『渋江抽斎』でした。
何度も読み返すなかで愛着が深まり、そして『舞姫』や『山椒大夫』にまで貫かれた母的なものを発見できたのです。
これはあくまでわたしの読み方であり、もちろん押しつけることはありません。
あなたは鷗外をどうお読みになりますか? 良かったらお聞かせくださいね。
お話はこれで終わりにいたします。ここまでお話にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
