見出し画像

- interview Cécile McLorin Salvant『With Every Breath I Take』:スタンダードを演じること(17,000字)

セシル・マクロリン・サルヴァントは『Ghost Song』『Mélusine』とコンセプチュアルなアルバムを作り、前作『Oh Snap』では日常の中でパーソナルな音を奏でた。近年は作曲への比重が大きく、それにより彼女は新しい扉をどんどん開けていった。だから、そんな音楽家だと思ってしまいそうになるが、もともとスタンダードなどの独自の解釈に定評があるヴォーカルでもあった。そんなことをすっかり忘れそうになっていたが、2018年の『The Window』以前はそのイメージだった。彼女の新作『With Every Breath I Take』を聴いて僕は久しぶりにセシルが名曲を彼女らしい解釈で歌ってくれるアルバムを作ってくれたことがうれしかった。

しかも、今作はジュールズ・バックリーが指揮をするメトロポール・オーケストラが演奏をし、そのアレンジはダーシー・ジェームス・アーギュが行っている。エリントン、ストレイホーン、ルグラン、ソンドハイムといった名作曲家のお馴染みの曲をオーケストラをバックにセシルが歌う。こんなに最高に決まっている。

今回、取材をするにあたって「スタンダードの選曲と解釈」について聞くことにした。セシルほど、そこが興味深いヴォーカリストは他にいない。歌が上手いのは当然として、その先のどう歌うか、どういう物語を伝えるのか、そこに力を入れているヴォーカリストはいないと僕は思っているからだ。
そんなテーマについてものすごくしっかり答えてくれた。「スタンダード」をどう考えるかのヒントが沢山含まれた記事ができたと思う。

取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 現場通訳:丸山京子 | 協力:Warner Music 


◉ メトロポール・オーケストとのコラボ

――まず、このアルバム・プロジェクトがどのように始まったのか聞かせてください。

ずっと何年もオーケストラと一緒に歌いたいと思っていたんです。たぶん、自分でそれをはっきり意識する前からそうだったと思います。サラ・ヴォーンがストリングスと共演した録音や、フランク・シナトラ、それからカーメン・マクレエがオーケストラと共演した録音を聴いていた頃から、心のどこかでそういうことをやりたいと思っていたんだと思います。

それで何年か前にサリヴァン・フォートナーとその話をしたんです。「もし私がオーケストラ作品とか、ストリングスを使ったアルバムを作ったらどう思う?」って聞いたら、彼は「うん、やるべきだよ。絶対にやるべきだ」と言ってくれました。

それで準備を始めたんですが、実際にすべてを形にするまでに4年くらいか
かりました。

――メトロポール・オーケストラやダーシー・ジェームス・アーギュと一緒にやることになった経緯も聞かせてもらえますか?

ダーシーとは『Ogress』という別のプロジェクトで一緒に仕事をしているんです。だから、もう断続的に10年近く一緒にやっています。

メトロポール・オーケストラとはずいぶん前に仕事をしたことがあって、その頃に小さなツアーを一緒に回ったんです。本当に素晴らしい時間を過ごしました。それから昨年の2月にまたツアーをやったんですが、それがとてもうまくいったんです。だから今回、一緒にレコーディングできないかお願いしました。そして2025年12月にレコーディングを行いました。本当に最近のことなんです。


◉ トーチ・ソングとフィルム・ノワール

――このアルバムは最初から何かしらのコンセプトを設定していたんですか?

私はあまりコンセプトという形では考えていなかったんです。ただ自分の直感に従いました。

自分が本当に深く結びつきを感じる曲、自分が本当に大好きな曲を選んだんです。その中には20年近く愛し続けてきた曲もあります。私にとって大切な曲、好きな曲ですね。だから本当に心から出てきたもので、あまり頭で考えたわけではありません。ただ感じたんです。正直に言うと、コンセプトというものはアルバムについて話す段階になって初めて生まれるものなんです。アルバムを完成させたあとになって、「この作品のコンセプトは何だろう」と話せるようになる。私にとっては、作っている最中はすべて制作のプロセスそのものなんです。すごく感情的で、直感に基づいたものだった。

そして今こうして話すなら、「このアルバムは何についての作品なのか」とか、「私たちは何を考えていたのか」とか言うことはできます。実際、レーベルと一緒にリリースの準備をしていたときも、「これは何についての作品なんですか?」と聞かれました。そうすると、少し距離ができているから、いろいろな要素のつながりが見えてくるんです。関連しているものが見えてきたり、共通点が見えてきたりする。

でも作っている最中にはそういうものはありませんでした。「こういうテーマのアルバムを作りたい」とか、「こういう作品にしたい」とか、そういう計算はまったくなかったんです。

――では今の時点で、そのコンセプトは何だったと思いますか?

今思うのは、このアルバムは1950年代から60年代のトーチ・ソングのアルバムにとても強く影響を受けている作品だということです。あの時代から大きな影響を受けていますし、フィルム・ノワールからもとても強い影響を受けています。

それから、このアルバムの曲たちは、私にとってはある意味でみんな「時間」と関係しています。時間の流れ、時間が積み重ねるもの、そして時間が置き去りにしていくもの。愛や人間関係が時間とともにどう変化していくのか。私たち自身が時間とともにどう変わっていくのか。後悔を抱えながらも、それでも何年も何年も生き続けていくこと。

――なるほど。

このアルバムは「時間」についての作品なんだと思います。そして、時間が物事をどう変えていくのかについての作品なんだと思います。

◉ 選曲のこと

――収録曲は基本的に自分の好きな曲、大好きな曲を選んだということでした。どうやって今回の10曲を選んだんでしょうか?

直感だったと思います。

たぶん私の好きな曲のリストを作ったら1000曲くらいあると思うんですよね。その中からなぜこの10曲を選んだのか。何かが私をその曲へ引き寄せたんです。何かが「これはやらなきゃいけない」と感じさせた。何年も前から録音したいと思っていて、まだ機会がなかった曲もありました。あるいは、なぜかわからないけれど、自分にとても近い存在だと感じる曲もありました。

たとえば「Send in the Clowns」。あの曲は、私が姉の結婚式で歌った曲なんです。そして私はその曲の意味を理解していなかったからこそ、姉の結婚式で歌ったんです。あの曲は夫婦についての曲ではありません。結婚する二人についての曲でもありません。ある女性が、自分が愛している男性が別の女性と結婚しようとしていることに気づく話なんです。でもその男性は昔は彼女を愛していた。ところが彼女は彼を拒絶してしまった。だから彼女は自分のタイミングを逃してしまったんです。私はそんな曲を姉の結婚式で歌ったんですよ(笑)

――ははは(苦笑)

それは間違っていますよね。本当に間違っています。当時私は16歳でした。今は36歳です。その間に、あの曲の意味は私にとって変わりました。そして私自身も変わりました。

だからあの曲は、私にとってはいつもその曲を聴いていた母と結びついています。サラ・ヴォーンのバージョンをよく聴いていた母ですね。それに姉とも結びついています。そして、その二人の女性に対する私の愛情や思いやりとも結びついています。さらに、私自身がどう変わったのかということとも結びついていますし、若かった頃とは違う理解を今は持っているということとも結びついています。だから私にはあの曲を歌わなければならなかったんです。

このアルバムの曲はみんなそういう物語を持っているんです。どの曲にも特別な物語があります。私自身の人生や、私が愛する人たちとの人生に結びついた、特別なつながりがあるんです。

◎ 「Left Over」(作詞・作曲:Cécile McLorin Salvant)

――アルバムに収録されているオリジナル曲「Left Over」についてなんですが、この曲をいつ書いたのかはどこにも書かれていませんでした。なぜこの曲をアルバムに入れたのでしょうか。

あの曲のテーマは、他のトーチ・ソングたちと同じ流れの中にあると思うんです。歌詞の面でも、曲の持つ感情の面でも、アルバムの他の曲たちと同じ世界に属しているように感じました。だから、このレコードの他の曲たちとうまく調和すると感じたんです。それにあの曲は、私が歌ってピアノを弾いている曲でもあります。あれほど親密で、あれほど個人的なものを一つ加えるのはいいことだと思いました。

――あの曲はいつ書いたんですか?

まったく覚えていないんですけど、10年前くらいかな。いや、11年か12年前くらいですね。

――じゃあ、このアルバムのために書いた曲ではないんですね。

違います。とても古い曲なんです。

◉ アルバム全体の構成のこと

――さっきトーチ・ソングの話をしていましたよね。そういう曲が集まっているアルバムなんだと言われると、なるほどと思うんですが、それが見えてきたのはどのタイミングだったんでしょうか。何曲か選んだ段階でそう感じ始めたんですか?

それはレコーディングの前にはわかっていたと思います。私たちは最初、「全部バラードだから、バラードのアルバムだね」と言っていたんです。でも実際には、バラードと言うよりトーチ・ソングと言った方が正確だったと思います。曲のリストができた時点で、それはわかっていたと思います。特にダーシーが曲をアレンジした時ですね。ダーシーが曲をアレンジした段階で、そういう作品になっていることがわかりました。

――トーチソングであり、時間がテーマの曲が集まっている。結果的にこのアルバムには全体を通してひとつの物語のようなものがあるんじゃないかと僕は感じました。そういう物語は感じていたんでしょうか。

私はそういうふうには考えていませんでした。制作している時に私が集中していたのは、それぞれの曲を唯一無二のものにしている要素だったからです。だから共通点について考えていたわけではありませんでした。
私が考えていたのは、それぞれの曲のどこが特別なのか、その曲にしかないものは何なのかということです。それぞれの曲が、それぞれ独自の宇宙を持っているように感じられること。それぞれが独自の世界を持っているように感じられること。私はそっちを考えていました。

――『Mélusine』や『Ghost Song』にはアルバム全体を貫く世界観や物語がありましたよね。このアルバムも全体として強い雰囲気がありますし、何か物語のようなものも感じたんですよね。だから、制作中も何か共通する流れやテーマのようなものがあったのかなと僕は思ったんです。

『Mélusine』を作った時は、確かに物語について考えていました。物語の順番についても考えていました。『Ghost Song』を作った時もそうでした。でも私の直近の作品『Oh Snap』はもっと抽象的なものでした。そこでは色や形や感情について考えていました。そして頭の中にあった一つの詩について考えていました。

そして『With Every Breath I Take』も、どちらかというと少し抽象的な作品なんです。はっきりとした一つの物語があって、始まりがあり、中間があり、終わりがあるという作品ではありません。むしろトーンや色合いに近いものなんです。もっと曖昧で、物語としてはあまり輪郭が定まっていない作品だと思います。

――なるほど。では今回の曲順についてはどう考えたんでしょうか。

私自身も曲順は考えていました。こういう順番がいいと思う並びがあったんです。でもダーシー・ジェームス・アーギュの方が、もっと良い曲順を考えていました。私はアルバム全体の構造についてはあまり考えていなかったんです。私は曲そのものについて考えていました。でもダーシーはアルバム全体のアークを持っていましたし、全体像についての考えも持っていました。
ただ、私は少しだけ彼に抵抗したんです。「いやいや、私の曲順の方がいいと思うんだけど」と言いました。でも実際には彼の曲順が完璧でした。彼が正しかった。

そして今なら、その曲順の中にある構造も見えますし、物語も見えます。彼の曲順の中に私は物語を見ることができます。ただ、それはあくまでも私自身の解釈なんです。私は、聴く人それぞれがその物語について自分自身の解釈を持つべきだと思っています。

◉ ダーシー・ジェームス・アーギュのコラボ

――今回のアルバムでは、ヴォーカルとオーケストラが本当に密接に結びついていることに強い印象を受けました。あなたの歌声がある感情を表現すると、オーケストラがすぐそばでそれを支え、寄り添っているように聴こえます。その声と言葉、そしてオーケストレーションの結びつきは、どのように作られたのでしょうか。

その多くはダーシーの仕事です。ダーシーは私に「サリヴァン・フォートナーと一緒に歌って演奏している録音を送ってほしい」と言いました。そして彼は私たちを中心にしてアレンジを書いたんです。私たちの解釈を中心にしてアレンジを作ったということです。もちろん彼は私たちの演奏をそのままコピーしたわけではありません。でも私たちがどう演奏しているのか、私がどう歌っているのかを理解した上で、それを念頭に置いてアレンジを書いたんです。このアルバムに関してはそれが大きかったと思います。

それから、もう一つ大きな違いを生んだ要素があります。それはスタジオでライブ録音したことです。オーバーダビングは本当にわずかしかありません。私とオーケストラが同じ部屋にいて、一緒に音楽を感じながら演奏しているんです。だから、その空気感が聴こえるんじゃないかなと思います。

――さっきの話に関連してなんですが、このアルバムのアレンジは、メロディやリズムやハーモニーだけで作られているのではなくて、曲の中に登場する人物の感情や、その場面の意味みたいなものにも強く影響されているように感じました。でも歌詞というものは、さっきおっしゃったようにいろいろな解釈ができますよね。そこで聞きたいんですが、それぞれの曲の意味について、あなたとダーシー・ジェームス・アーギュはどのように共通認識を作っていったんでしょうか。

ダーシーも私も、こういう曲の背景や文脈に興味があるタイプなんです。だから、その曲がミュージカルの中では誰によって歌われているのか、その人物は何について歌っているのか、なぜその歌を歌っているのか、そういうことを調べたりします。それにいろいろなバージョンを聴きます。そういう意味では私たちはすごく似ているんです。

私たちは結局は歌詞に立ち返るんですよね。「この言葉は何を語っているんだろう」「この物語は何を語っているんだろう」と考えて、それをどうやったら明確に伝えられるかを考えるんです。

――例えば、ダーシーとの間でどんな会話をしたのか、何か覚えているものはありますか?

議論したことはありました。まあ、喧嘩というほどではないんですけど、一曲の中のあるコードについて意見が分かれたことがありました。それは「Ever Since the One I Love's Been Gone」です。

彼はすごく頑固なんです。そして私もすごく頑固。私は「いや、私はこの音が聴こえる」と言いました。すると彼は「いや、その音じゃなくてこっちだ」と言うんです。そんなやり取りを一度だけしました。それ以外の時間について言えば、私は基本的にダーシーを自由に飛ばせておくことを信じています。

私は彼に、「この曲をやりたい」「ピアノで演奏するとこんな感じになる」「このキーで歌っている」ということを伝えるだけでした。あとは彼に任せています。それから「コードやハーモニーは原曲からあまり離れすぎないでほしい」という話はしたと思います。

あと、私がどれだけゴードン・ジェンキンスのアレンジを愛しているかも伝えました。私のインスピレーションになったものや、お気に入りの録音も彼に送りました。特にフランク・シナトラがオーケストラと録音したトーチ・ソングの作品ですね。そういうものを送った上で、あとは彼に任せました。私は曲と向き合う時間を持つ。彼は彼で曲と向き合う時間を持つ。お互い独立して作業する。そのあとで合流する。そういうやり方が一番良いと思っていたんです。実際、アレンジについて私が伝えた修正点は本当にわずかでした。 

◉ ミュージカルや映画の曲を歌うこと

――今回のアルバムには、ミュージカルや映画を出自とする曲がたくさん入っていますよね。「With Every Breath I Take」「Send in the Clowns」「Being Alive」「Barbara Song」、そして「Les Parapluies de Cherbourg(シェルブールの雨傘)」の曲もそうです。こうした曲は歌詞が元の物語と強く結びついています。そうしたミュージカルや映画のオリジナルの物語は、このアルバムで歌う際にどのくらい反映されているんでしょうか。

多少は反映されています。完全に切り離すことはできませんから。でも私にとっては、こういう曲を歌う時、その曲を元の場所から引き離している感覚があるんです。もうその曲は映画の中にはいません。もうその曲はミュージカルの中にはいません。そこから取り出されて、別のものとして存在するんです。そして別のことにも当てはめられるようになる。そこがとても面白いところであり、わくわくするところなんです。

◎ 「Les Parapluies de Cherbourg」(作詞:Jacques Demy 作曲:Michel Legrand)

たとえば「Les Parapluies de Cherbourg」を考えてみてください。あの曲は、ある女性が駅で軍隊へ向かう恋人に別れを告げる場面の歌ですよね。もちろん私はそれが元の物語だということを知っています。でも同時に、その文脈から取り出して考えることもできます。もっと一般的な意味での「別れ」の歌として受け取ることもできる。たんに二人の人間が離ればなれになることについての歌としても聴けるんです。場合によっては友情が壊れてしまうことについての歌としても聴けるかもしれない。もともとは恋愛の喪失についての歌だったとしても、私が聴いたり歌ったりする時には、亡くなった誰かを悼む歌として感じることもあります。だから私は、そういう曲を元の文脈から取り出すんです。

もちろん、その曲がどこから来たのかは理解しています。でも同時に「自分自身にとって意味のあるもの」にもしていく。そして聴き手にも同じことをしてほしいと思っています。もしかしたら、聴いている人は私とはまったく違うものを聴くかもしれない。まったく別の物語を見るかもしれない。曲を聴きながら、その人自身の目の前に別の物語が広がるかもしれない。そういうことを期待しているんです。

◉ 楽曲を"演じる"こと

――例えばミュージカルや映画が元になった曲の場合、元の俳優の演技や歌唱は、自分の解釈に影響を与えたりしますか? 

「はい」でもあり、「いいえ」でもあります。というのも、一度聴いたものを完全に無視することはできません。何かを聴けば、それは必ず影響を与えます。だからその意味では「はい」です。

でも同時に、私は自分自身のやり方を見つけようとしているんです。自分なりの道を探そうとしている。だからその意味では「いいえ」でもあります。

――以前のインタビューで、どんな曲を歌う時も演じることを大事にしている、自分は歌っている人物になりきろうとしている、とお話しされていましたよね。だから、その「演じる」という感覚の中には、サラ・ヴォーンやフランク・シナトラのような歌手だけではなくて、俳優たちの表現も影響しているんじゃないかと思ったんです。

そうですね。でもそれは歌やミュージカルだけとは限らないんです。たとえばベティ・デイヴィスだったり、レオナルド・ディカプリオだったり。まったく別の作品の俳優だったりもします。そして私は、その人たちが何かを演じていた時の演技の仕方を思い出すことがあります。ただ、それを意識的に考えているわけではありません。「今回はメリル・ストリープを憑依させよう」と考えることはありませんから(笑)。でも私はメリル・ストリープが大好きですし、本当に素晴らしいと思っています。だから、そういう人たちから何らかの影響を受けていることは間違いないと思います。ただ、「この曲ではこの人の影響を受けよう」と決めているわけではないんです。

私がまず考えるのは、「この曲は私にとって何を意味するのか」「この言葉は私にとって何を意味するのか」ということです。そして、その言葉をどうすれば明確に表現できるのかを考えるんです。

――それは、自分なりにそのキャラクターを作り上げて、自分なりに演じるということですか?

そうです。元々その曲がどこから来たのかという情報は頭の片隅にあります。でも同時に、自分自身のキャラクターを作り上げようとしているんです。

◎ 「Sophisticated Lady」(作詞:Mitchell Parish 作曲:Duke Ellington)

――例えば今回収録された曲の中で、自分なりに見出したキャラクターがいて、そのキャラクターをこう演じた結果こういう歌になった、みたいな例があれば聞かせてもらえますか?

「Barbara Song」が例としてわかりやすいかもしれません。
まず言っておきたいのは、曲によってキャラクターの存在感が強いものとそうでないものがあるということです。ある曲では私は状況を説明しているだけなんです。

たとえば「Sophisticated Lady」。あの曲では私は語り手なんです。私はあなたについて語っている。あなたが「Sophisticated Lady」なんです。観客が「Sophisticated Lady」なんです。だから私はあなたを見つめながら、あなたについて描写している。その場合、私はその人物になりきっているわけではありません。もちろん感情は感じていますし、その女性が何を感じているのかを伝えようとはしています。でも私は語り手で、あなたを見ている側なんです。そしてあなたが「Sophisticated Lady」なんです。

◎ 「Barbara Song」(作詞:Bertolt Brecht 作曲:Kurt Weill)

一方で「Barbara Song」の場合は違います。あの曲では私自身がキャラクターなんです。彼女は自分の人生について語っています。恋愛について、自分と男性たちとの関係について、長い年月の中で経験してきたことについて語っている。そして自分が巻き込まれてきた、ちょっと馬鹿げた状況についても語っています。もちろん、それらすべてを私自身がそのまま経験したわけではありません。でも私は、自分の人生のさまざまな部分や、自分自身のいろいろな側面と結びつけることができます。だから歌う時には、自分自身を少し誇張したバージョンになっているような感覚なんです。完全に別人というわけではありません。でも完全に私自身というわけでもない。その中間なんです。

◉ ブレヒトとソンドハイム

――「Barbara Song」はブレヒトが書いた歌詞ですよね。彼はシニカルに世界を描いていると思います。登場人物自身は必ずしもシニカルではないけれど、歌そのものはシニカルな視点で描かれている。そういう場合、その人物を演じる時には、あなた自身もシニカルな感覚を持って演じているんでしょうか。

そもそも私は何をやる時でもシニカルなんです。私がやることにはいつもシニシズムがあります。それに私は何をやる時でも、どこかで笑っているんです。自分自身のことも笑っている。だから私がそういう曲を好きな理由の一つは、それらの曲が面白いからでもあるんです。悲しい歌なのに、面白い。「彼が私を置いて行ってしまった」みたいな歌でも、そこには私のユーモア感覚とつながる何かがあるんです。だから私はブレヒトやクルト・ヴァイルが大好きなんです。

だからあの曲が好きなんです。彼女は自分の人生について語っているんだけど、その語り方には皮肉がある。ある種のサーカズム(sarcasm:意図的に言葉の表面的な意味とは反対のことを言い、相手をからかったり批判したりする皮肉な表現)がある。私はそこにすごく共感するんです。それが私とあの曲がつながる方法の一つですね。

――ちょうどそういう話になったので聞きたいんですが、スティーヴン・ソンドハイムもシニカルな部分を持った人だと思うんです。あなたは彼の曲を何度も歌っていますし、今回も2曲収録しています。ソンドハイムの歌詞の何が、あなたを惹きつけるのでしょうか。

彼の曲にはいつも驚きがあるんです。いつも、「うわ」と思うような一文やフレーズがある。ものすごく現実的で、人生の真実を突いているように感じる言葉があるんです。それに彼は本当に、本当に賢いソングライターです。歌詞が本当に心を動かします。「Send in the Clowns」の歌詞は本当に素晴らしいです。「Being Alive」の歌詞も本当に、本当に、本当に素晴らしい。私はあの歌詞が大好きなんです。

それにたぶん、私と彼は少し似たユーモア感覚を持っていると思います。人生に対する理解の仕方も少し似ていると思う。いや、違う。彼の方が人生をはるかによく理解しています。本当に物事をわかっている人なんです。偉大な作家や偉大な哲学者の本を読んだ時みたいな感じです。たった一つの文章で、自分がずっと言葉にできなかったことを説明してしまう。「そう、それを感じていたんだ」と私に思わせる。でも、自分ではそれをどう言えばいいのかわからなかったようなもの。ソンドハイムにはそれができるんです。

◎ 「Send in the Clowns」(作詞・作曲:Stephen Sondheim)

――今回収録された2曲について、それぞれどのように歌おうと思ったのか聞かせてもらえますか。

確かバーブラ・ストライサンドが、ソンドハイムに「Send in the Clowns」の歌詞を書き足してほしいと頼んだんだと思います。なぜなら、みんなこの曲を歌うけれど、本当の意味を理解していなかったから。だから彼女は「もう少しわかるような歌詞を書いてほしい」と頼んだんです。それでソンドハイムはセカンド・ブリッジを書き加えました。

ーーへー、そんな経緯がある曲なんですね。

私はそのセカンド・ブリッジを歌っています。なぜなら、それがこの曲を完璧に説明しているからです。しかも感動的でありながら、説明しすぎていない。意味はわかるんだけれど、安っぽくない。本当に美しくて、詩的で、完璧で、シンプルなんです。あの歌詞を書いたこと自体が本当に素晴らしいと思います。それに、一度完成した曲に何年も後になって新しい部分が加えられるという発想も大好きです。しかもそれがバーブラ・ストライサンドのために書かれたというのも素晴らしい。だから私にとっての出発点は、その追加された歌詞なんです。

“What a surprise.
Who could foresee
I'd come to feel about you
What you felt about me”
なんて驚きなんだろう。
誰が想像できただろう。
私は今になって、
かつてあなたが私に抱いていたのと同じ気持ちを
あなたに抱くようになったなんて

私にとって、この曲はそこから始まるんです。そしてそこから曲全体が組み上がっていく。彼女は「Send in the Clowns」と言っていますよね。なぜなら、すべてがあまりにもひどいから。人生というショーがあまりにも悲しくて、暗くて、救いがないから。だから道化師を呼んで、この状況を少し明るくしてほしいと言っている。もちろん皮肉として。

そして最後に彼女は気づくんです。「道化師を呼ぶ必要なんてない」「私自身が道化師なんだ」「私は愚か者なんだ」「私がクラウンなんだ」と。
私はそれは本当に強烈で、無防備な告白だと思います。
「私は道化みたいだ」。しかも良い意味ではなく、「私は愚か者だった」「私はクラウンだった」「私は賢くなかった」「人生で大きな間違いを犯してしまった」。そう認めることなんです。そんなことを誰かに言うのは本当に勇気がいる。しかも現実には、そんなことを言う人はあまりいません。怖すぎるから。

16歳だった頃の私は、その意味を理解していなかったと思います。今はもう少しわかっていると思います。そして30年後、もしそこまで生きていたら、きっともっと理解していると思います。年を重ねるたびに、「自分は道化だった」「自分は愚かだった」と感じることについての理解が少しずつ深くなるんです。だからこの曲は、本当に後悔についての歌なんです。ずっと昔にやったこと、あるいはやらなかったことを後悔する歌なんです。

◎ 「Being Alive」(作詞・作曲:Stephen Sondheim)

一方で「Being Alive」はまったく違います。あの曲にはものすごく希望があります。最初、この男は誰とも関わりたくないんです。一人で生きていたい。友人たちと、自分の欲望と、自分だけの人生の中で生きていたい。そして彼は、人と関係を持つべきではない理由を次々と並べ始めます。誰かと親しくなるべきではない理由を挙げていく。なぜなら相手は人生を支配してしまうから。眠りを邪魔するから。自分の椅子に座るから。自分の空間に入り込んでくるから。そうやって話しているうちに、少しずつ彼は気づいていくんです。本当はそれを望んでいるんだと。本当は、自分に「生きるとは何か」を教えてくれる誰かを求めているんだと。

だから私はあの曲を本当に美しいと思うんです。なぜなら、曲の中でキャラクターが変化していくのが聴こえるから。少しずつ変わっていくんです。そういう曲はあまりありません。多くの曲は、「今この瞬間、私はこう感じている」という一瞬を切り取ったものです。でもこの曲は違う。曲の冒頭ではこう考えている。でも終わる頃にはまったく違うことを考えている。最初は閉じている。でも最後には両腕を開いていて、傷つくことを受け入れる準備ができている。誰かを愛する準備ができている。それは本当に力強いことです。

普通ならそういう変化は映画やテレビドラマの中で起きる。あるいはミュージカルの冒頭から最後までの間に起きる。でもこの曲では、それがたった一曲の中で起きている。一つの歌の中で、一人の人間の思考そのものが変化していくんです。だから、ソンドハイムはすごいんです。

――なるほど。そういう曲の分析や解釈は、歌詞が書いてある紙にメモを書き込んだり、ノートに書きためたりして、長年どう歌うか分析していくものなんですか。それとも、これを歌おうかなと思った時に、その都度考えて、今の自分のフィルターを通して理解していくものなんでしょうか。

そういう分析は一度もやったことがないと思います。私は歌っている時に、その言葉を初めて言っているように装おうとしているんです。つまり、その言葉を本当に自分がそう思って言っているように言うんです。

「Being Alive」「Lush Life」のような曲は、自分の理解や解釈が変わるまでに15年、20年かかることもあります。だから、その曲が何を意味しているのかを必ずしも書き留めたりはしません。なぜなら、それは変わっていくからです。常に動いているものなんです。

◎ 「Lush Life」(作詞・作曲:Billy Strayhorn)

――「Lush Life」について、自分なりの解釈や理解がどんなふうに変わっていったのか聞かせてもらえますか。

昔の私は、正しいメロディではないものを歌っていました。

――正しくないメロディ?

正しくないメロディと言っていいのかはわからないんですけど、でも、私は違うメロディを歌っていました。ビリー・ストレイホーンはあの曲にとても具体的なメロディを書いています。そして多くの人があの曲を歌っていますが、そのメロディを歌っていません。私たちが大好きな偉大なジャズ・レジェンドたちによるお気に入りのバージョンでさえ、そうなんです。

――へえええ、知らなかった。省略されたバージョンが定番になっていると。

そうです。私は大好きなミュージシャンたちがあの曲を演奏しているのを聴いて、この曲を覚えました。だから、私も知りませんでした。

あるときに、ビル・シャーラップと一緒に演奏したんです。一緒にリハーサルをしていたら、彼が「君は間違って歌っているよ」と私に言いました。彼は「それは正しいメロディじゃない。本来のメロディはもっと具体的で、とても美しいんだ。これがそのメロディだよ」と。そして彼は私に譜面をくれました。そのあと、ビリー・ストレイホーンの手稿を持っている人にも会いました。それからビリー・ストレイホーン自身の解釈も聴きました。

そこにはあの始まりがあったんです。誰もあの第二セクションをやっていないんです。みんなある別のバージョンをやっている。私もそうでした。でもそのあと、ビリー・ストレイホーンから学びました。だからこれも、私にとって理解するまでに時間がかかった曲です。15年くらいかかって、やっと形になってきた曲なんです。そして今でも、まだもっと理解するために取り組めることがあると思っています。

◉ トーチソングを歌い分けること

――このアルバムに入っている曲は、歌詞の内容にも共通点がありますし、全体的にバラードやトーチ・ソングのようなタイプのアレンジになっていますよね。だから近い感情の領域にある曲が並んでいると思うんですが、それでも一曲ごとに少しずつ違う。後悔、喪失、記憶のような感情はそれぞれ完全に別のものというより、ひとつのスペクトラムの上にある近い感情だと思います。そういう近い感情の領域を歌いながら、それぞれの曲に必要なニュアンスを出して歌い分けるためには、何が大事だったと思いますか。

それは、クラシックなレコードたちで行われていることとあまり変わらないと思います。フランク・シナトラの『Where Are You?』。そういうアルバムでは、どの曲もすごく近いところにありますよね。たとえば『Where Are You?』には、「Where Are You?」があって、「I Cover the Waterfront」があって、「Maybe You'll Be There」があって、「Lonely Town」があって、「Autumn Leaves」があって、「I'm a Fool to Want You」があって、「There's No You」がある。それらの曲たちは、みんな同じ近所に住んでいるようなもの。

このアルバムも同じだと思います。小さな町の中の近所みたいなものなんです。でも家はそれぞれ違っていて、そこには違う人たちが住んでいて、それぞれ違う物語を生きている。でも近所なんです。それで意味が通じますか?

――なるほど。感情としては近いものがある。でも、それぞれ違うシチュエーションでもあるので、少しずつ違いがあると

家の色は違うし、玄関先の飾りも違います。でも、多くの曲に似た感情がある一方で、私にはそれぞれの違いがとてもはっきり見えています。

たとえば「I'll See You Again」。あれは信仰や希望、感謝に満ちた曲です。

「Ever Since the One I Love's Been Gone」は躁的で、面白くて、かなり強烈な曲です。

「Send in the Clowns」はとてもアイロニカルで、静かで、自虐的で、諦めていて、疲れている曲です。

「With Every Breath I Take」はフィルム・ノワールのような曲です。殺人があって、影があって、私立探偵がいるような感じ。

すべての曲について、そういうふうに言うことができます。だから私にとっては、似ているように見えるのは、遠くから眺めている場合なのかもしれません。でも少し近づいて見ると、すべてが違うんです。

「Les Parapluies de Cherbourg」もまったく違います。そもそも舞台がフランスだし、船があって、とても若い恋人たちがいる。彼らはすごく若いですよね。

「Send in the Clowns」はもっと年齢を重ねている人の話です。

「Sophisticated Lady」はさらに年上です。彼女はレストランにいる、ダイヤモンドを身につけた年上の女性で、疲れていて、ニューヨークで煙草を吸っているような感じ。

だから私は、それぞれの曲に違う都市や違う場所、違う人たちを見ることができるんです。違う人たちが、それぞれの歌、それぞれの断片を生きている。

「Being Alive」は独身男性です。しかも、若い男性ですね。私の頭の中では、このアルバムの曲は全てが女性によって歌われているわけではないんです。だから少し深く掘っていくと、「ああ、実はどれもかなり違うんだ」と見えてくるんです。

◉ もしこのスタンダードが新曲だったらどう歌うか

――以前あなたは、自分にとって歌うことはずっと「歌とは秘密を漏らすこと」だったと話していました。今回の新しいアルバムに入っている曲は、いわゆるスタンダードで、みんながすでに知っていると感じている曲でもあります。では今回、あなたはどんな秘密を明かした、あるいは語ったと感じていますか。

曲をあまりにも何度も聴きすぎると、その意味がわからなくなることがあると思います。とても有名なスタンダードについて、私はそう感じることがあるんです。時には童謡でもそうです。何度も何度も聴いているうちに、それはそれ自体の存在になってしまう。繰り返されることで、意味を失ってしまうんです。

だから私にとっては、そこに入っていく道を見つけることが大事なんです。曲の意味にもう一度電気を通すようなこと。曲そのものにもう一度電気を通すようなこと。その曲が意味していることを、ちゃんと意味させるということです。

「Sophisticated Lady」は度々演奏されるのでよく聴く曲です。だからこそ、あの曲の歌詞は時々、私たちの頭の上を通り過ぎてしまうことがあります。私自身もそうでした。最初に「Sophisticated Lady」のような曲を歌っていた頃、私はただそれを「Sophisticated Lady」らしく、スタンダードらしく聴かせたいと思っていました。「もしこの曲が新しい曲だったら?」とは考えていませんでした。「もしこの曲が今生まれたばかりで、これまで誰にも歌われたことがなかったら?」「私はこの言葉が何を意味しているのかを、初めて聴く人に向けて歌っているんだとしたら?」そういうふうには考えていなかったんです。

この曲で私は「これはこういうことについての曲なんです」と、「これはこの女性についての曲なんです」と伝えています。「彼女が静かに抱えて生きているものについての曲」だってことを伝えているんです。


それに正直に言うと、今はもう多くの人がこういうスタンダードを知りません。私はこういうスタンダードを知っていますし、とても有名な曲だと思っています。でも外に出て街で聞いてみると、人々はこういう曲を知らないんです。だから、ある人たちにとっては新しい曲になり得るんです。

「Barbara Song」を初めて聴く人もいると思います。「Being Alive」も、スティーヴン・ソンドハイムを知らない、もっとジャズ寄りのファンにとっては新しい曲かもしれません。「I'll See You Again」を知っている人もいるかもしれませんが、知らない人もたくさんいるでしょう。「Lush Life」のような曲は、ジャズ・ファンとして私たちは何度も何度も聴いてきた曲です。でもそれでも、曲の中の秘密を見つけて、それをもう一度語る方法は常にあると思います。

その曲を聴く人が、その曲を以前に聴いたことがあるのかどうか、どんなふうに聴いたことがあるのか、それはわかりません。だから、その曲を新しいものとして扱わなければならないんです。歌い手としては、そうする必要があると思います。正直に言えば、私はどんな曲を歌う時でも、それをやろうとしなければならないと思っています。新しいものとして。今起きていることとして。

今、新しいものとして。私はその曲の「今性」を感じたいんです。必ずしもその曲の過去を感じたいわけではありません。曲の過去は美しいものです。でも音楽の美しさは、それが今起きているということにあります。特にライブ音楽ではそうです。でも音楽そのものも、聴いている時には今起きているんです。現在にあるんです。だから私が曲に向き合う時、自分の責任は、それが今起きているように感じさせることだと思っています。

――これは質問なのか質問じゃないのかわからないんですが、このアルバムは全体的に後悔や回想など、近いメッセージを持った歌詞が多いですよね。だから僕は、いろいろな曲を並べることでストーリーを描いていて、そこに流れがあるのかなと思って聞いていました。たぶん、このアルバムを聴いたリスナーの多くも、この流れには意味があって、いろいろな曲を組み合わせて一つの新しいストーリーを作っているんじゃないかと思う気がします。その理由の一つは、最後に「Lush Life」があって、そこでとてもきれいに終わることも含めて、あまりにもよく出来ているからです。だから、好きな曲を選んだだけだと言われると、すごく不思議な感じがしました。

人間は自然に物語を語る存在なんだと思います。だから、自分では意図していなくても、計画していなくても、私たちはよく、始まりがあり、中間があり、終わりがあるものにたどり着くんです。それをコントロールしたり、計算したり、計画したりしなくても、自然にそうなるんです。だから、もし私から何か言えることがあるとすれば、そんな聴き手の直感そのものがすでに自然なストーリーテリングだってことなんだと思います。

――僕は本当に素晴らしいと思いました。新しい傑作が生まれたなって思います。

東京でこのアルバムを演奏するのが私の夢なんです。もしできたら泣いてしまうと思います。たとえば狭間美帆が指揮してくれたりしたら…。彼女にお願いしてみようかなと思います。「お願い、美帆、どうしたらこれを実現できる?」って。私はまた日本に戻りたいです。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 500
Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

音楽に関するテキストを書きます。最低週1本で更新していけたらと思っています。インタビューを沢山公開し…

review is a diary - light plan

¥300 / 月

*review is a diary - standard

¥500 / 月

**review is a diary - support

¥800 / 月

このnoteの執筆や編集の費用や通訳への支払いなどは皆さんの記事購入で賄っています。制作費用のサポートをお願いします。