一度行っただけで住むと決めた国|ブルキナファソを選んだ理由
こんにちは、2022年からブルキナファソでソーシャルビジネスをしている原口瑛子です。先週から始めた滞在記。最初に書くのは、この数年で最も多く聞かれてきた問いについて。
—なぜ、ブルキナファソだったんですか?
正直に打ち明けると、この問いに答えるのは、いつも少し難しい。論理的に説明できる気もする。でも最後は、どうしても感情的な答えになる。じゃあ、その感情とは何なのだろう。
ブルキナファソは、日本人にとって「渡航禁止」の国だ。内陸国で、国境付近には退避勧告も出ている。日本にいれば平和なのに、わざわざなぜ—。問いの意図は、たぶんそこにある。
今日はその答えを、ここで紡いでみたい。
はじまりは、地図の上だった
きっかけは、ささやかな知的好奇心だった。私はある時期、海に面していない「内陸国」に惹かれていた。港を持たず、海の交易から離れ、独自の文化を育んできた国々。
学生時代、初めて訪れたアフリカの国は、東アフリカの内陸国マラウイだ。マラウイに行ってからというもの、いろんな内陸国に興味が湧き、行ってみたい、と思った。
当時の私がどんな人間だったかと言うと、『地球の歩き方』を握りしめ、バックパックを背負い、旅するのが好きな人間だった。旅のお供はもちろん沢木耕太郎著『深夜特急』だ。
そんな折に出会ったのが、トマ・サンカラという人物。1983年から87年まで国を率いた第五代大統領。33歳の若さで国のトップに立ち、37歳で暗殺された。彼は今もヒーローだ。
彼の国連演説を読み、私は静かに衝撃を受けた。自立を掲げ、援助に頼らない、国のあり方を、世界に語る言葉。この国には何か特別なものがありそうだ…そう思った。
ブルキナファソ…とても気になる国になった。旅人精神がむくむくと顔を出した。「いつかブルキナファソに行ってみたい」、それが、今の私に繋がる小さな始まりだ。
ある尺度では、「何もない」国
そして実際に、旅人としてこの国に来てみた。旅人とはいえ、もう社会人だった。時間は限られていたし、情報収集も兼ねて、できるだけ多くの景色を見て回った。
当時はまだ治安もよかったから、車で何時間もかけて、地方まで足を延ばした。観光も少ししたかった。大自然や世界遺産、有名な建築や遺跡。それも、旅の醍醐味だろう。
でも、そういうものはほとんどなかった。高い山も青い海もガイドブックの写真に映えるものも、この国にはほとんどない。ある尺度で言えば「何もない」国だ。
そういう国を、退屈だという人もいるだろう。建築や遺跡が好きな私も、もしかしたらそう思っても、おかしくなかったのかもしれない、と振り返える。
それでも、人が好きになった
ところが、この旅で私の心に残ったのは風景ではなく、人だった。長く語り合ったわけではない。でも旅は慣れている分、道すがら出会う人々から国民性を一定感じ取れる方なのかもしれない。
まず、朴訥としている人が多い。周辺国には雄弁な人々が多い国もあるけれど、この国の人たちは、多くを語らない。ぽつり、ぽつり、と落とす言葉に、誠実さがにじむ。
訪ねたシアバターの工房では、女性たちが伝統的な製法で化粧品の原料を作っていた。工程のほとんどが手作業。過酷な仕事のはずなのに、彼女たちは歌いながら、それをやっていた。
道で困っている人がいれば、周りが当たり前のように手を貸す。恩を売るでもなく、見返りを求めるでもなく、ただ自然に。この土地に静かに流れてきたあたたかさが、そこにあった。
—この国が、好きだ。
「好きに理由はない」という、あの感覚と同じだと言えば、わかってもらえるだろうか。絶景も名所も多くない。なのに、人に惹かれてしまった。旅とはそういう奇跡が起きてしまうのだろう。
好きな人たちに、何かが起きたら
その気持ちが、ただの旅の思い出で終わらなかったのは、この国が置かれた現状のせいだった。2019年以降、ブルキナファソはテロの影響を強く受けていた。
過激派による暴力で、家を追われる人、仕事を失う人が増えていく。日本でビジネスをしながら、私はそれを二次情報として、ニュース越しに知り始めていた。
ニュースの向こうで起きているのは、抽象的な「治安の悪化」ではない。あの日、歌っていた女性たち。あの日、手を貸してくれた人たち。その顔のひとつひとつが、そこにあった。
好きになった国の、好きになった人たちに、何かが起きている。そのとき人は、どう動くのが「普通」なのだろう。そもそも普通とは何なのか、私にはよくわからない。
—今、行くしかない。
そのとき私が思ったのは、これだけ。そして、なぜか、決めてしまった。そういう性分の人間が、ある尺度から見た魅力ある、ブルキナファソに出会ってしまった。
衝動でしかなかった
「この国でビジネスをやりたい」と話すと、みんなが口をそろえて言った。「リスクが高い」と。事業としての難易度が高いことは、私自身が一番よくわかっていた。
ある人からは、まっすぐと「諦めないでください」と言われた。応援の言葉であると同時に、それは、諦めたくなるほど難しい道だという意味でもあったのだろう。
それでも私は、この地でビジネスをやる意義があると思った。援助ではなく、仕事をつくること。そして次の世代が、自らの手で明日を描けるようになること。
冷静に損得を並べれば、やらない理由のほうがずっと多かった。だからこの国に来たのは、論理ではない。感情でしかない。あえて名前をつけるなら、「衝動」だ。
好きに、理由はない
あれから数年、私はこの国で暮らしている。住んでみれば、旅では見えなかったものも見える。停電もするし、断水もする。思うようにいかない日は、数えきれないほどある。
それでも、この国を選んだことを後悔したことは、一度もない。理由は、たぶん、今も同じだ。ここに私が好きになった人たちがいる。ただ、それだけ。
旅先で誰かを好きになったことのある人なら、きっとわかってくれるはず。何もないと言われる場所でも、忘れられない場所になる。そこで、誰と出会ったかが、その地の記憶になる。
私にとって、ブルキナファソがそういう場所だった。これまでを置いて、リスクをとって、「今、行くしかない」と決めてしまうほどに。そして、「住んでみよう」と決めてしまうほどに。
最後に、あなたに問いを渡して終わりたい。あなたが忘れられない旅先はどこだろう。それは、美しい絶景があった場所か。それとも、美しい誰かに出会った場所だっただろうか。
2026年7月12日
原口瑛子
最後に…ここまで読んでいただき & みなさんのお時間をいただき、ありがとうございました。もしこの記事を楽しんでいただけたら、ぜひ「スキ」していただけると嬉しいです!
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