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私たちは頭の上で銃声が鳴っても踊るんだ|ブルキナファソ滞在記を始める理由

私は、2022年から西アフリカのブルキナファソという国で暮らしている。志一本で、移り住み、会社を作り、事業を始めた。その詳細は代表として書いた自己紹介の記事に託したい。

ずっと私がここで見る景色を言葉に紡ぎたいと思っていた。でもそれはとても烏滸がましいと思っていた。旅人が切り取る今の景色は、その地の一部でしかないと思っていたから。

でも、その瞬間的な今の積み重ねが美しい風土を映し出すのかもと思うようになってきた。後に振り返ると変わっているはずの移ろいやすさ。善悪も美醜も超えてそこに存在するもの。

どこまでいってもこの地で私は外国人だ。変えられない事実としてそこにある。だからあえて滞在記とした。旅人が綴る旅行記でも、住人が綴る風土記でもない、滞在者が綴る滞在記。

ブルキナファソという日本人の99.9%が一生訪れることのないこの国で、今の私から見えた景色を記すだけの滞在記。きっと未来の私もそれなら烏滸がましくないはずだと許すだろう。

読んでいただく方は、世界中に溢れているあらゆる滞在記と同様に、世界の一部を少しだけ、私を通して眺める、そんな軽い気持ちで読んでくれたら、と願う。

この国で、言葉を紡ぐということ

ブルキナファソで、個人として言葉を紡ぐことには独特の難しさがあった。私がこの国に来たのは2022年で軍政になった年。テロ対策が不足しているとして軍事クーデターが二回起きた。

情報統制もあった(と感じている)。少なくとも放映が禁止されるメディアが出てきた。でもそれは、特別ではない。過去の歴史から見ても、戦争中や紛争中は、そういうものだから。

ジャーナリストの逮捕などのニュースを聞くと、個人も言いたいことを言える表現の自由がいつもあるとは感じないはずだ。政治的な発言は、小声で話すのが、今は当たり前だと思う。

私を含め、日本人は何でも写真を撮りたがるが、当時は自由に撮影できる感覚はなかった。撮影する瞬間を仮に誰か見られていたら、誰かに情報を渡すのではと疑われていただろう。

楽しさも苦しさも、紡げない

どの国もそうだけど、この国での生活には、楽しいことも、苦しいことも、両方ある。そのどちらも、事実だと思う。

日常は驚くほど日常で、家族や友人と笑ったり、くだらないことではしゃいだりもする。木陰でビールを飲みのんびりする日曜もある。そういう楽しい時間もここにはたくさんある。

一方で、眉間に皺を寄せてしまうような悲しいニュースも少なくない。過激派のテロ、テロに関連する暴力、避難民や難民。この国が抱える現実は…決して軽いものではない。

誰もが読みたいと思う日常の楽しさだけを伝えれば、現実から目をそらしている気がする。かと言って、暗いニュースばかりを並べても、それがこの国のすべてではない気もする。

だからいつも、私は言葉を紡げなかった。

でも、友人の言葉を受けて

その突破口をくれたのは、ある友人の言葉だったように思う。悲しいニュースばかりに、苛まれそうになった時に、彼女はこう言った。

私たちは頭の上で銃声がなっていても踊るんだ

私は彼女にこの言葉の意味をこれ以上は深く聞いていない。でも、文字通りの意味なのだと思う。ここに生きる人々の強さ。そして私はこれを「今を生きろ」ということだと理解した。

明日は分からない。不安がないわけでもない。でも今日という日の喜びを全身で味わって生きる。悲惨さに飲み込まれるのでもなく、現実から逃げるのでもなく、ただ今を踊るんだ、と。

そんな私も、私なりにこの地で今を生きている。彼女の言葉を思い出す度に、その今の景色の一部を私なりの言葉に紡いでもいいのかもしれない、と思えるようになった。

今の私が紡ぐ、滞在記

もちろん、私が見ている景色は私だけのもの。同じ場所に立っても、人が違えば、時代が違えば、違う景色になる。私が紡ぐのはあくまで私を通した、ひとつの景色や風土に過ぎない。

でもその言葉が、抽象度をあげると誰かが何かを考えるきっかけになったり、ただ「こういう国があるんだ」とか「こういう人がいるんだ」と知るきっかけになる、だけでもいい。

私にとって当たり前になっている景色も、日本でよく聞かれる素朴な質問で「当たり前ではない」ことに気づく。そういう視点から、この景色を新鮮に眺め直し、言葉に紡いでみたい。

今この国に暮らす記録であると同時に、私という一人の人間の人生の記録でもある。しばし、ブルキナファソ滞在記という名の記録を、週に一度だけ、踊る気分で続けてみようと思う。

2026年7月5日ブルキナファソにて
原口瑛子


追伸:
私は今日、祖母の訃報を受けた。長崎で戦前から生き延びた祖母。いつも前向きで大好きだった。祖母が生きた時代を祖母の視点から、言葉に紡いでほしかった。それを、私は読みたかった。でももう、叶わない。だから、その願いも込めて、今日から言葉を紡ぐ。

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