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朚村英憲 個人史 前半 第回―䞭孊生時代―②英語はロヌマ字の続きだった――陰の存圚から、日の目を芋る存圚ぞ

 前回は、孊区が広がっお、蟲家の子、炭鉱離職者の子、老舗の商店の子ず、それたで䌚ったこずもない子どもたちに囲たれたずころたで曞いた。

 今回は、その新しい空間のなかで、私が「陰の存圚」から、少しず぀「日の目を芋る存圚」になっおいった過皋を曞こうず思う。

〈3〉䞊昇の゚ンゞン――英語はロヌマ字の続きだった

 英語はロヌマ字ず倉わらない。

 そう思い蟌んだこずが、私の䞭孊校生掻を倧きく倉えるこずになった。

 札幌のいずこの勧めで、䞭孊に入る前の春䌑みから、芹沢栄ずいう講垫のラゞオ講座「基瀎英語」を聞き始めた。たた、旺文瀟の「䞭䞀時代」ずいう雑誌を読み、孊校が始たる前から英語を勉匷した。

 そのため、䞀孊期が始たるず、私はいきなり英語がスラスラ読めた。

 それが自信になったのか、ほずんどの科目がになった。萜第生だった子どもの成瞟衚ずしおは、我ながら出来すぎである。

 小孊校時代には「萜第した子」ずいうむメヌゞが自分に぀きたずっおいた。それが䞭孊に入っお、英語をきっかけに、少しず぀剥がれ始めたのである。

 さらに英語暗誊倧䌚では、クラス予遞、孊幎予遞を勝ち抜き、地区倧䌚で優勝しお、党校集䌚で衚地された。

 ロヌマ字を教わらなかったら、なれなかった自分になっおいたのだった。

 この英語ずの出䌚いは、䞭孊だけで終わらなかった。高校に入っおからも、北倧や小暜商科倧孊で開かれた英語のスピヌチコンテストに参加した。

 党道各地から先生に匕率されお、英語奜きの高校生が䞀堂に䌚する。そこには独特の雰囲気が充満しおいお、私は高揚した。

 英語は、単なる䞀教科ではなかった。私を、それたで知らなかった䞖界ぞ連れ出しおくれるものになった。

〈4〉生埒䌚――陰の存圚から日の目を芋る存圚ぞ

 成瞟がよくおたじめな生埒は、孊玚委員長をはじめずするクラスの圹員になっおいた。そのなかでもリヌダヌシップを発揮したい者は、遞挙に出お、生埒䌚の委員長、副委員長、曞蚘などの圹職に぀いた。

 ロヌマ字で底を打った私だったが、それでも小孊校の時は孊玚委員長になるこずはなかった。

 ずころが䞭孊に入るず、生掻垞任委員、遞挙管理委員、歌声委員、暎力远攟委員になり、぀いには生埒䌚の副䌚長にたでなった。

 成瞟が䞊がったこずをきっかけに、私は教宀のなかだけでなく、孊校ずいうもっず倧きな空間のなかでも、少しず぀存圚感を持぀ようになっおいった。

○垞任委員䌚ず歌声委員――毎朝、みんなに歌わせた歌
 ちなみに、「垞任委員」などずいう名前は、゜連や䞭囜の共産党を思わせるような名前である。

 私の蚘憶では、日教組の北海道支郚である北教組の先生たちが生埒䌚の顧問をしおいたこずも、こうした名前の背景にあったのだず思う。

 私は歌声委員に遞ばれ、毎朝、音頭をずった。

 クラスでみんなに歌わせる歌も、「仕事の歌」ずいった、もろにそっち系の歌だった。

 「仕事の歌」はロシア民謡である。

 悲しい歌もうれしい歌も、これたでたくさん聞いおきたけれど、忘れられないのは、この「仕事の歌」だ。

 「仕事の歌」は、「ドゥビヌヌシカ」ずいうロシアの歌をもずにしたものだ。ドゥビヌヌシカずは「暫の棒」を意味し、枯湟劎働者が船から荷を陞揚げするずきに綱を巻き䞊げるために䜿った䞞倪を指すずいう。

 もずもずの歌には劎働者の苊しみや怒りが蟌められおおり、のちには革呜歌ずしお歌われた。垝政ロシア政府によっお犁じられた時期もあったずいう。

 かのシャリアピンの持ち歌でもあった。「ノォルガの舟歌」を䞖界に知らしめた、あのバス歌手である。

 そんな歌を、北海道の䞭孊生が毎朝、私の音頭で歌っおいた。

 「前ぞず進め」ず。

 いた振り返るず、なかなかすごい䞭孊校だったず思う。

○遞挙管理委員
 䞊の孊幎の生埒たちず出䌚うきっかけになったのは、䞭孊䞀幎のずき、孊幎から人しか遞ばれない遞挙管理委員になったこずだった。

 生埒䌚の委員長らを遞ぶ遞挙を管理する委員䌚である。圹員遞挙の時期になるず、䞊の孊幎の遞挙管理委員ず䞀堂に䌚したミヌティングが䜕床も開かれた。

 小孊校を仮の校舎ずしおいた私たちは、本校で開かれる遞挙管理委員䌚に出るために、キロ離れた本校たで歩いおいかなくおはならなかった。

 最初のうちは、英語の竹内先生が本校たでの埀埩に付き添っおくれた。

 その垰り道で竹内先生が教えおくれたのが、くだんの「仕事の歌」だったのである。

○圹埗
 そのうち、生埒だけで行き来するようになった。

 私の孊幎のもう䞀人の委員は、矎人ず名高い内田時蚈店の内田さんだった。

 仕事ずはいえ、あの矎人の内田さんず二人だけで、しかも䜕の蚀い蚳をする必芁もなく、キロも歩ける。

 ラッキヌだず思った。

 しかし、そこはそれ、思春期の男の子である。

 衚には出さず、「おい、行くぞ」などず匷がっおいた。

 おそらく、にやけおいたであろうこずを思うず、いたでも恥ずかしくなる。

○生埒䌚副䌚長ず、壇䞊から降りたずきの恫喝
 生掻垞任委員、遞挙管理委員、歌声委員ず実瞟を重ねた私は、生埒䌚の副䌚長に立候補するよう勧められた。

 党校生埒の前で遞挙挔説をした。

 ふだん党校集䌚で校長先生が話す、あの壇䞊からの挔説だった。

 遞挙挔説が功を奏したのか、私は生埒䌚副䌚長になった。

 生埒䌚圹員宀ずいうのがあっお、それたで遠くからしか芋おいなかった生埒䌚長を、間近に芋るこずになった。

 生埒䌚長の脇本さんは、聡明さず自立した雰囲気が孊生服を着おいるような人だった。

 ずころで、その遞挙挔説だが、壇から降りるず、䜓育座りをしおいた䞀人の男子生埒に、

 「いい気になるなよ。調子に乗るんじゃないぞ」

 ず恫喝された。

 䞍良のなかでも、もっずも怖そうな、あのドスの男だった。

 家に垰る道すがら、屈蟱感がこみ䞊げおきた。

 盞撲では孊校代衚になったくらいだから、こい぀をやっ぀ける自信はあった。しかし、刃物を振り回す盞手には、盞撲はできない。

 そうだ。ダツらの行けそうにもない高校に行けば、もう䌚わなくおすむ。

 私のなかの小垂民が、頭をもたげた瞬間だった。

 圓時、䞀クラス55人ほどのなかで、進孊校に行けるのは人くらいしかいなかった。

 私は、圓時の自分なりに、どうせあい぀は進孊するずしおも商業高校か工業高校だろう、ず勝手に螏んでいた。

 䞉幎埌、私は圌のような者の来ない進孊校を受隓し、合栌した。

 英語から始たった「䞊昇」は、い぀の間にか、私を次の䞖界ぞ抌し出しおいた。

぀づく
 次回は、生埒䌚長の脇本さんが、図曞通で開かれおいた意芋亀換䌚ずいう堎で繰り広げおいた論戊のこず、そしお、教宀の倖ぞず広がっおいった私の䞖界のこずを曞きたす。

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