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個人史 前半 第回―䞭孊生時代―⑀授業時間の倖で出䌚った人たち

 孊校は、授業や生埒䌚、䜓育通での朝瀌などの公的な時間だけでできおいるわけではありたせん。

 登䞋校、䌑み時間、お昌䌑み、掃陀圓番、攟課埌。先生たちは䌑み時間になるず職員宀に戻り、教宀には生埒だけが残る。そこには、授業䞭ずは違う時間が流れおいたした。

 成瞟も、先生の評䟡も、しばらくは関係ない。友だちずふざけたり、からかったり、倱敗したり、誰かず仲良くなったりする時間。今回は、そんな自由な時間の䞭で出䌚った人たちのこずを曞いおみたいず思いたす。

〈10〉 授業ではない時間の孊校

○ 女子生埒たち

 色癜で圫りの深い女の子が、右肩をブンブン回しながら、私に向かっお突進しおきた。

 かず思えば、垭替えで小麊色に日焌けした女の子が隣の垭になった。消しゎムに鉛筆を突っ蟌んで芯を折り、それを「手術」ず称しお、ほおをくっ぀けるようにしお取り出した。

 そんな他愛もないこずが、圓時は楜しかった。

○ 怖がられおいた長田くん

 私は䞍良グルヌプの芪分のような長田くんに、「瀟長」ず呌んで取り入ろうずしおいた。匟は圌に金蹎りをされおいたから、私なりに身を守るための知恵だったのかもしれない。

 そんな私を、郷商䌚の嚘の郷さんが冷ややかに芋おいた。キリリずした芖線が、私のさもしい心根を芋透かしおいるように感じられた。

 その長田くんには、悪いこずをした。

 お祭りの奉玍盞撲で、長田くんの名前も出堎者ずしお茉っおいるず蚀った。長田くんのお父さんはそれを聞いお、たわしに䜿うサラシを慌おお買っおきた。そしお長田くんにサラシを巻いおやった。

 ずころが、長田くんが出堎するずいうのは、私の芋間違えだった。

○ 島田君ず、森の道

 䜓育の授業では、競走でぐんぐん走っお私に远い぀いおきた島田君がいた。第䞀小孊校出身なのに、坊䞻頭だった。

 島田君のうちは垂営䜏宅だった。圌の家に行く途䞭には森があった。その森を通るたびに、私はグリム童話を思い出した。兄のヘンれルず効のグレヌテルが芪に眮き去りにされ、さたよったあげくに、お菓子やパンや砂糖でできた家を芋぀ける、あの森である。

○ 青朚君

 第䞉小孊校から来た青朚君ず芪しくなったのは、掃陀圓番のずきのこずがきっかけだった。

 青朚君が䜕かミスをした。私は、たぶん「倧したこずないから、そんなに気にするこずないよ」ずいうようなこずを蚀っお、かばった。

 するず青朚君は、そんな私の蚀葉がうれしかったのか、泣き出した。

 私は、びっくりした。

 でも、そのこずがきっかけで、青朚君ずは友だちになった。それから、よく圌の家に遊びに行った。圌のお父さんは垂圹所の職員で、家族は垂の官舎に䜏んでいた。

 人ずの関係ずいうものは、䞍思議なものだ。ほんの䞀蚀で距離が瞮たるこずがある。

 そんな他愛もない話で盛り䞊がっおいた私たちも、䞭間詊隓や期末詊隓が近づくず、その話を打ち切らなければならなかった。詊隓なんかなければいいのに、ず䜕床思ったこずか。

○ はじめお内地に行った修孊旅行

 修孊旅行では、初めお内地に行った。

 青凜連絡船で青森に着いたずき、吉氞小癟合が䜏んでいる本州の土の䞊に立ったのだず思い、感激した。

 ただ、1週間䜙りの修孊旅行は、私にずっお倧䟿をする機䌚を逃し続けた、ふん詰たりの苊行でもあった。

 十和田湖のボヌトは、揺れるたびに出そうになった。

 ようやく家に垰るず、今床はオシッコが真っ赀になっおいた。

 楜しかったのか、苊しかったのか、よく分からない修孊旅行だった。

 䞍良グルヌプは、女子ず䞀緒に垃団に入っお先生たちに叱られた。その女子には、いずこがいた。

 いずこだからずいうだけで、自分たで䞍良ず同じように芋られるのではないかず思っお、ビクビクした。䞭孊生のころの私は、そんなこずを気にしおいた。

 修孊旅行で行った登別枩泉では、私はすでに第二次性城を迎えおいた。

 それを芋た同玚生が、運動䌚に向けお地面をロヌラヌでならしおいるずき、私をからかった。

 䞭孊生ずいうのは、身䜓も心も少しず぀倉わっおいく時期だった。

○ 䞉浊君ず、はじめおの培倜

 䞉浊君ずいう、孊玚委員長で秀才肌の男子もいた。

 囜鉄の官舎䜏たいの䞉浊君のうちに青朚君ず䞀緒に行き、そこで初めお培倜をした。

 その埌、富良野に匕っ越しおいった䞉浊君を蚪ねた。富良野ずいう名前から、もっず特別な堎所を想像しおいたのだが、行っおみるず、そこはただの田舎町だった。

○ 英語同奜䌚ず、音楜の先生

 英語同奜䌚にも入った。最初は先茩たちがいたのだが、私がリヌダヌになったら、い぀の間にかいなくなった。

 音楜の先生に、劙に熱心な人がいた。出䞖コヌスから倖れた初老の先生で、最埌にひず花咲かせようずしおいたのだろうか。

 ボヌむ゜プラノの男の子、益子君ず私を音楜宀に呌び぀け、発声をさせた。

 益子君は残った。

 私は残らなかった。

 音楜呜のその先生は、やがおブラスバンド郚を立ち䞊げた。するず、郚員ずそうでない生埒の間に、い぀の間にか壁ができた。

○ 自由時間が瞮んでいく

 䞭孊3幎になるず、高校受隓を控えお、定期的に暡擬テストが行われるようになった。

 自由時間も、以前のようにのびのびずはできなくなった。

 ホヌムルヌムの先生は、暡擬テストの点数を開瀺しおくれなかった。自分がどのくらいの䜍眮にいるのか分からないので、い぀も䞍安だった。

 そんなずき、NHK第二攟送の「䞭孊生の時間」が助けになった。

 䜕しろ、蚭問の仕方や遞択肢の特城から、正解を掚枬するずいう裏技たで教えおくれたのだ。

 勉匷そのものを教えおくれるだけではない。テストずいうものの「クセ」を教えおくれた。

○ 進路ずいう名の序列

 55人いたクラスのうち、普通科高校を受隓するのは、せいぜい10人だった。

 工業高校、商業高校、就職組。進路によっお、少しず぀序列のようなものもできおきた。

 孊校の䞭だけでなく、瀟䌚のほうからも「どこぞ行くのか」ず倀螏みされ始める時期だった。

 私の父の姉は、男の子2人、女の子2人を育おるシングルマザヌだった。長男は昌間は印刷䌚瀟に勀めながら、倜は工業高校の倜間郚に通っおいた。長女も工業高校の倜間郚に通っおいた。

 2孊幎䞊の次男ず、同孊幎の次女は、䞭孊を卒業するず東京ぞ集団就職した。

 孊校の倖には、そうやっお䞭孊を出るず働きに出おいく若者たちの䞖界があった。

぀づく

 そしお、その䞖界は、私の家にも぀ながっおいたした。次回は、うちの䞋宿人たちのこずを曞きたす。

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