見出し画像

【読書感想文】プーシキン『オネーギン』─知的な傲慢さはいかにして破れるか

無様だな。

最後まで読んで主人公に対して沸き起こった感情です。

これだけだとつまらない小説のようですが、この無様さと移し鏡になって光る存在が描かれているのが印象的でした。

19世紀ロシアを代表する詩人、プーシキンの残した『オネーギン』を読みました。

フィッツジェラルドの『夜はやさし』を読んでいる際に、幾度となくバイロンやプーシキンが言及されていて読みたくなりました。

『夜はやさし』の序盤で描かれる決闘のシーンが非常に19世紀的で驚いたのですが、プーシキンも最期はサンクトペテルブルクで決闘して命を落としています。

今回読んだ『オネーギン』でも決闘のシーンが非常に有名です。

Eugene Onegin and Vladimir Lensky's duel
Watercolour by Ilya Repin (1899)

レーピンの絵だけで雰囲気が伝わってきます。

チャイコフスキーが書いたバレエもすばらしくて、ロシアの芸術家にとっては意味の深い作品なのでしょう。

都会的な空虚さ

さて、ストーリーに入っていきましょう。

主人公のエフゲニー・オネーギンは叔父の領地を継いだ若い貴族です。

裕福であらゆる贅沢を味わってきたこともあり、華やかで都会的な洗練の結晶のようです。

もはや社交界でも決して心の底から愉しむことはなく、人生に厭きてしまったような、少々青臭い己惚れの混じった空虚さに苛まれています。

憂鬱というよりは、ただあてもなく漫然と生きているような印象です。

こんな感じなので当然心を許す友だちもいない訳ですが、そこで唯一レンスキーという詩人とは付き合うようになります。

一緒に遊びに行ったある貴族の屋敷で出会ったタチアーナから熱烈なラブレターを受け取りますが、オネーギンは素っ気なく断ってしまいます。

僕の魂は仕合せには無縁なのです。せっかくのあなたの完全さも所詮はむだで、僕は全くそれに値いしないのです。信じて下さい(良心に賭けて申します)、結婚生活はお互いに苦痛となるにきまっている。どれほどあなたを愛していたにせよ、僕は一旦慣れたが最後、すぐさま愛想がつき果ててしまう。あなたは泣きはじめるが、あなたの涙は僕の胸を打つどころか、かえって僕の心を重くするのが落ちなのです。

アレクサンドル・プーシキン『オネーギン』池田健太郎 訳

この断り方が虚飾に満ちているというか、オネーギンの人間性をよく表しているように感じました。

その後、レンスキーの方は順当に婚約します。

オネーギンはあるとき下らないことで苛立ち、腹いせにレンスキーの婚約者を誘惑して彼を激怒させます。

そして例の決闘に至るという流れです。

この辺の展開はかなり違和感があるというか、あまり共感できなかったところです。

描写が淡泊というか文量をかけていないこともありますが、オネーギンの行動があまりに芯を欠いていると感じます。

決闘の朝も惰眠をむさぼるように寝坊するし、本当は乗り気でないくせに世間体を気にしてのそのそと現場に向かいます。

結局、レンスキーは散ってしまいました。

嬉々たる希望の花盛りに、まだ実を結ぶその前に、少年の衣服を脱ぐか脱がぬかに、詩人は空しく枯れたのだ! あの熱い胸の高鳴りはどこへ行ったのか。若々しい、気高い、優しい、勇ましい感情と思想との、清らかなほとばしりはどこへ行ったのか。恋のあらあらしい欲望は、知識と努力との飢えは、破廉恥と恥辱との恐怖は、どこへ行ったのか。そしてまた、御身ら、ひそかな夢想は、天上の生活の幻は、聖なる詩の夢は?

アレクサンドル・プーシキン『オネーギン』池田健太郎 訳

やり切れない悲しさです。

静かで高潔な精神

その後、オネーギンは旅に出ました。

そしてペテルブルクに帰って来ると、公爵夫人となったタチアーナと再会します。

この頃のタチアーナはすでに立派な貴婦人といった貫禄を備え、非常に堂々としていてオネーギンのことは歯牙にもかけない様子です。

昔、フランスの小説を読み耽って窓辺でひとり静かに空想をしているような寂しくて大人しい雰囲気だった少女のころとは見違えるほどです。

一方のオネーギンは未練たらたらでタチアーナに焦がれてしまい、恋文を何通も送ったり果ては屋敷に押しかけて告白したりと酷い体たらくです。

みてられないですね。

ここで対峙するタチアーナのふるまいがホントにすばらしいのです。

オネーギン様、私にとってはこんな花やかさも、いまわしい上流社会の虚飾も、社交界の渦の中での成功も、流行の邸宅も夜会も、何の値打ちがありましょう? 私は今すぐにでも、こんな仮装舞踏会のような衣裳や、こんな輝きや騒々しさを、一棚の書物と、あれはてた庭と、貧弱なあの住居と、はじめて私が、オネーギン様、あなたにお目にかかったあの場所と、今では十字架と木の枝が可哀そうな私の乳母を見おろしているあのつつましいお墓と、喜んで取替えたいと思います。……
​仕合せは目の前にありましたのに、手を伸ばせば届くほど近くに……。でも、もう私の運命は決まってしまったのです。私は軽率だったかも知れません。でも母が涙ながらに頼んだのです。私の、幸うすいターニャにとっては、どんな理屈でも同じです。……私はもう一人の妻です。このようにどうぞ私を見捨てて下さい。私はあなたを愛しております(今さら嘘を申したとて何になりましょう)、けれども私はもう他の人に身をまかしました、永久に操を立てるつもりでいます

アレクサンドル・プーシキン『オネーギン』池田健太郎 訳

心を偽らないつよさ、変わらぬ愛情、諦めと潔さ、そして圧倒的な誠実さ、どれをとってもオネーギンにはない精神的な気高さに溢れていました。

オネーギンは雷に打たれたようにその場に竦みます。

ある若者がその空虚な態度によって友情もそして愛情も永久に失ってしまう、という幕引きでした。

プーシキンが描いたロシアの青年像

オネーギンを描いた背景は何なのか。

当時のロシアではフランスをはじめとした西洋的な文化が流入していて、ロマン主義や自由主義的な思想も貴族階級の中では一般化しつつあったと言えるでしょう。

華やかな上流階級の生活を送る一方で、彼らの中にはオネーギンのように人生に意味を見出せなくなってしまった若者もいたのだろうと思います。

このあたりの社会背景は明治期の日本に似ていて、漱石の描く人物にもいくらか通じるところがあります。

プーシキンはより洗練されているというか、あくまで貴族階級の上澄みの中で起こっていることを扱っていますが、自由を謳歌する一方で虚無的になっていくというのは同じです。

その一方で虚飾に塗れず、尊厳を失わず、道徳を重んじ、誠実さを貫くことのできているタチアーナこそ、プーシキンが描きたかった人物だろうと思うのです。

その後のロシア文学において、タチアーナは一種の理想的な女性像として様々な小説家に影響を与えたそうです。

とは言え、彼女もあくまで上流階級の一部であり、田舎の素朴さや純ロシア的なものを象徴させるのは少し難しい気もしました。

ラブレターを仕方なくフランス語で書いていたりします。

当時のロシアでは愛の告白ですら自分たちの言葉で表現することができなかったというのは悲しいものですね。

プーシキンはその時代のなかで現実的な構造としてオネーギンとタチアーナを描き、ロシア的な存在へ賞賛の光を当てようと試みたといったところでしょう。

あとがき

思っていたのと少し違う作品でした。

冒頭で述べた通りオネーギンは嫌だなと感じましたが、これは何というか恥ずかしい話、同族嫌悪も幾らかあったと思います。

インテリっぽくて冷笑的なところ、若いころの自分を振り返ると少し身に覚えがあるというか、高校生のころに読んでいたら全然違う印象だったかも知れません。

その後いろいろな人生経験を経てある程度は角が取れたかなと思いますが、肝に銘じておきたいものです。

タチアーナのあの徳を大事にする感じをみていると、『クレーヴの奥方』が思い浮かびました。

それから高潔さというテーマについてGeminiに相談してみた結果、ヘミングウェイの『武器よさらば』を次は読んでみたいと思います。

以上。