もう怒り続けることにも疲れてしまった
あの日から、ずっと苦しんでいる。
いじめのことを思い出しては腹が立ち、学校の対応を思い出しては悲しくなる。
「どうして、あのとき守ってくれなかったのだろう」
「どうして、事実を認めてくれなかったのだろう」
そんなことを何度も考えてきました。
いじめがどれだけひどくても、盗難が続いても、暴言を吐かれても、怪我をさせられても、それでも学校が「いじめ」と認めない。
被害を受けた側からすれば、これほど苦しいことはありません。
事実関係を確認することは必要です。すべてのトラブルを一方的に決めつけてはいけないとも思います。
でも、だからこそ
証拠があるなら確認してほしい。
子どもの声を聞いてほしい。
そして、きちんと認めてほしい。
いじめそのものも、もちろんつらい。でも、それ以上に苦しくなることがある。それは、助けを求めでも理解してもらえないことです。
学校や教育委員会に何度も説明し、資料を集め、証拠を整理して、それでも話が前に進まない。その繰り返しの中で、怒りや悲しみだけが積み重なっていきます。
そして人は、時間が経てば少しずつ変わっていくものなのだと思います。
最初は「絶対に事実を明らかにしたい」と強く思っていても、何年も同じことを繰り返していると、だんだん疲れてしまう。当然です。
「もう怒りたくない」
「もう悲しみたくない」
「ただ普通に暮らしたい」
それが正直な気持ちです。
怒り続けることにも、悲しみ続けることにも、ものすごく体力が必要なのです。
忘れたいわけではありません。
許したわけでもありません。
ただ、もうこの感情に押しつぶされたくない。
被害者が何年も苦しみ続ける前に、もっと早い段階で、学校や教育委員会が真剣に向き合ってくれていたら。
事実を認め、必要な対応をしてくれていたら。
こんなにも長く、怒りと悲しみを抱えて生きなくてもよかったのではないでしょうか。
被害者が「もう疲れた」と諦めるまで待つのではなく、もっと早く救ってほしい。そう強く思います。
