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証拠をまとめる苦しさを、どうか想像してほしい

いじめや暴力の被害に遭った人が、学校へ事実を伝えるためにどれほどの労力を費やしているか、ご存じでしょうか。
これまでの経緯を時系列で整理し、いつ、どこで、何があったのかを書き出す。写真や録音、診断書、LINEなど、残された証拠を一つひとつ確認しながら資料をまとめていく。その作業は、想像以上に苦しいものです。

なぜなら、そのたびに辛かった出来事を思い出さなければならないからです。
「あの日、何があったのか。」
「子どもはどんな表情をしていたのか。」
「自分は何を言われ、何を感じたのか。」
記憶をたどるたびに、心の傷が開いてしまうことがあります。それでも、「事実を分かってほしい」「子どもを守りたい」という一心で、多くの被害者や保護者は資料を作り続けています。

ところが、苦労して集めた証拠であっても、学校から「そういう認識ではありません」「確認できません」「そのような事実は把握していません」などと言われてしまうことがあります。
時には、証拠そのものを否定されたり、論点をずらされたり、納得できない説明で話を終わらせようとされたりすることもあります。また新たな資料を作り、説明をし、証拠を集める。その繰り返しです。
まるで終わりの見えない作業です。

もちろん、一つひとつの案件には個別の事情があります。被害者本人にしか分からないことも多く、最終的には当事者が資料をまとめなければならない場面もあるでしょう。しかし、その精神的な負担は決して軽いものではありません。時間も労力も奪われ、心まで疲れ切ってしまう人が少なくありません。
だからこそ思うのです。
最初から、客観的な立場で事実を丁寧に受け止め、証拠を公平に確認してくれる第三者がいてくれたら、どれだけ救われるだろうと。

被害者が何度も同じ説明を繰り返さなくても済み、学校側も事実に基づいて対応できる。そんな仕組みがあれば、問題の長期化や二次被害も減らせるのではないでしょうか。その一つの参考になるのが、「寝屋川モデル」のような第三者が関与する仕組みです。

学校だけで判断を完結させるのではなく、独立した立場で事実を確認し、子どもの安全を最優先に考える体制は、これからますます必要になると感じています。
被害者が証拠を集めることに人生を費やすのではなく、一日も早く安心して前を向ける社会になってほしい。そのためにも、公平に事実を受け止める仕組みづくりが全国に広がることを心から願っています。

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