きっとうまくいくom-3との毎日
夕暮れ時、部屋の明かりをつけないまま、デスクの上で西日に照らされるOM-3を眺めています。アルミ削り出しのダイヤルに指先を滑らせると、いつものひんやりとした金属の冷たさが伝わってきて、それだけでなんだか少しホッとするんですよね。
あちこち連れ回して、何千枚とお気に入りの景色を吸い込んできたこのカメラ。最近、ようやくお互いの「手の内」が分かってきたというか、こいつの得意なところと、ちょっと不器用なところが、くっきりと見えてくるようになりました。
手のひらに収まるクラシカルな姿は相変わらず愛おしくてたまらないんですが、今、私の前にはちょっと贅沢で、ものすごく頭の痛い「壁」が立ちはだかっています。
どこまでも歩ける魔法と、モニターの前の小さなため息
最初はね、とにかく身軽になりたくて、一本で広角から望遠までいける14-150mmの便利ズームをくっつけて歩き回っていたんです。
レンズ交換の手間もないし、重さも気にならない。カバンにポンと放り込んで、近所の土手を歩きながら、遠くの水面で羽を休める水鳥をググッと引き寄せて撮る。そのフットワークの軽さは、まるで足に羽が生えたみたいで、本当に最高でした。
でも、お風呂上がりにウキウキでパソコンの大きなモニターに写真を映し出したとき、ふと、胸の奥がチクッと痛むような感覚があって。
「あ、やっぱり、ちょっと線が緩いな……」
風景の細かい葉っぱの輪郭や、夕日に染まる建物のエッジが、どこかフワッと滲んでいる。好みの色にチューニングして、その場の空気は間違いなく写っているはずなのに、自分の心の奥にある「もっとカチッとした、息を呑むような描写が欲しい」という欲求が、どうしても満足してくれないんです。結局、私はどこまでも「写りの良さ」をあきらめきれない、業の深い生き物なんだなと、モニターの前で小さいため息をついてしまいました。
憧れの「PRO」が、スニーカーを革靴に変えてしまう瞬間
じゃあ、と思って、ズーム全域で明るくてキレキレの絵を吐き出してくれる、あの「PRO系」のレンズをガチャリとハメてみるわけです。
ファインダーを覗いた瞬間から、もう世界が違います。ガラス越しなのに、まるで目の前の空気が一枚めくれたかのようにクリアで、シャッターを切ると、鳥肌が立つような精密な写真がモニターに浮かび上がる。
「そう! これだよ、この写りが欲しかったんだ!」って、部屋で一人でガッツポーズしたくなるくらい、描写の面では100点満点の答えをくれるんです。
だけど、今度は左手に、ずっしりとした「確かな重み」がのしかかってくるんですよね。
鏡筒が太くなって、ガラスがぎっしり詰まったそのレンズをつけると、せっかくスニーカーみたいに軽快だったOM-3が、急に「ちょっと気合いの入った登山靴」に変身してしまう。首から下げているとジワジワと肩に重みが伝わってきて、ふらっと立ち寄ったカフェのテーブルに置くときも、なんだか少し大げさな存在感になってしまうんです。
「身軽さをとって、ちょっと緩い絵で妥協するか」
「描写をとって、このずっしりとした重さを受け入れるか」
出かける前にカメラバッグを開くたび、私の頭の中で二人の自分が激しいケンカを始めます。せっかくマイクロフォーサーズという小さな世界に来たのに、結局重さを気にして悩んでいるなんて、なんだかもの凄く滑稽じゃないですか。
割り切れないからこそ、愛おしい
便利ズーム一本で軽快に街に溶け込む心地よさも、PROレンズを握りしめて世界を緻密に切り取る高揚感も、どちらも本当の私の気持ちです。スペック表の数字を見るだけじゃ絶対に分からなかった、実際に使って、悩んで、手を動かしたからこそ突き当たった、ものすごく贅沢な葛藤。
結局、今日も答えは出ないまま、お気に入りのストラップを指に巻きつけています。
でも、この「あっちを立てればこっちが立たない」という不器用なジレンマも含めて、私はこのOM-3というカメラとの生活が、たまらなく愛おしいんです。完璧にすべてをこなしてくれないからこそ、次のお休みはどの組み合わせでいこうかって、夜通し悩む時間がこんなにも楽しい。
外はすっかり暗くなって、ため池の方から静かな虫の声が聞こえてきました。
明日は少し曇るみたいだから、あのPROレンズのしっとりした描写を試してみようか、それともやっぱり、身軽さだけをポケットに詰めて出かけようか。
そんな終わらない答え合わせをしながら、今夜はもう少しだけ、この小さな相棒を磨いてみようと思います。
