自分の本音と向き合った時、人はどう変わるのか
子供の頃、そういう時代なのかそういう環境だったのか、
「わがままをいうな!文句言わずにやれ!やると決めたなら最後までやれ!死ぬ気でやれ!」
とよく言われる事が多かった。
当たり前のように殴られた。
人格を否定され続けた結果、小中学生の頃は自分ではない自分を生きていた。
周りの子達を見ていても、自分に蓋をしながら嫌々ながらもやっている子もいたんじゃないかな。
最初は楽しかった事が、やらされていると感じた瞬間、自分が自分じゃなくなっていく。
高校に入る前に強烈な反動で、人の言う事も聞かず好きに生きた。
そうしたら人生がガラッと変わったのだ。
周りは好きな物、事、人だらけになっていたのだ。
それまでだったら「あー、これ嫌だなあ」と思う事も、全く気にならなくなるくらいに。
「自分らしく生きるってこんなに楽しいのか!」って。
呼吸する事すら幸せな位毎日楽しかった。
話は変わるが、俺はいわゆる社会不適合者である。
これまで仕事とかしていた時もずっと「違和感」しかなかった。
好きで楽しいと思って始めた事が、苦痛になって、それでも無理して行くという生活。
ちょっとだけ変わった仕事をしていた時、最初はものすごく刺激的で、でもやりたい事と違っていた。
そうなると寝ても覚めても頭の中は「辞めたい辞めたい辞めたい辞めたい」になる。
カラフルだった世界がモノクロになるように。
ここ数ヶ月は自分のやりたいように色んな事をやっていたのだが、ここ数日、マヤ暦では白い風の終わりから今は青い鷲の期間。
これまでなった事のない目のものもらい、全身のかゆみ、身体に栓をしたかのような全身の圧迫感が続いていた。
◆代替療法のホメオパシー
普段からホメオパシーという代替療法を採り入れていて、現れた症状にはそれで対処していた。
このホメオパシーと言うのは、マヤズムといって表面的な症状の背後にある、病気への罹りやすさや体質的傾向がどんな人にもある。
慢性的な症状(急性症状も)を根本から改善する療法で、西洋薬のように対症療法ではなく、その人の持つバイタルフォース(自己治癒力)が活性化し、その人の本来の状態に戻す。
◆母の変化
ホメオパシーは母の介護で現代医学の限界を感じていた頃に採り入れた。
父が亡くなって葬儀の時、母がそれまでの母ではなくなったあの日。
母は俺の名前も分からない、俺が誰かも分からない、自分の家かも分からない...ずっと一緒だった鏡の向こうKINの父と母。
あまりに衝撃が大きくて母は受け止めきれなかったのだと思う。
そんな状況から少しずつ日常会話を出来るようにまでなっていった。
代替療法というのは薬機法の対象外であるものの、サプリメントや施術などの広告や販売方法、効果効能を謳う事は薬機法の規制対象となる。
いつも飲んでいるホメオパシーレメディ(そういうのがあるんだな〜位で見てください)とは違うレメディで今日は、
スタフィサグリアというのを飲んだ。
ここ数日の、目のものもらいや皮膚のかゆみ、強烈な心の違和感もあってこの半月ほど、毎日睡眠不足が続いていた(最近話題のショートスリーパーとかではなく、単に昔から睡眠が浅い)。
自分に合うレメディを探すのは本当に難しい。
テキストで読んだり学んでも、試さなきゃ分からない。
「ホメオパシーは似非科学」「早期発見が遅れる」と、まあそう感じる人がいるのは分からなくもない。
実際、自分自身も試すまでそう感じていた時もあったしそれに限らずだが、どんな事でもやってみなきゃわからない事だらけだから最初は疑いつつも、否定する前に自分でやってみる気持ちを大切にしている。
やってみて面白いと感じたのが、ホメオパシーは本当に色んな種類があって、その中から合うものが見つかると飲んだ瞬間に変化を感じられるのだ。
今回は普段飲まないレメディなのでどういう変化が起こるか全く予想していなかった。
飲んで一分ほど、突然涙がとめどなく溢れ出る。
自分の本音に蓋をしていた感情が塞き止められたダムが崩壊するかのように感情が溢れ出た。
「あ〜、俺ってこんなに我慢してたんだな、傷ついてたんだな、無理していたんだな、自分を抑えていたんだな。。。」
本当は気づいていた。そこに上から思いっきり自分の感情に蓋をしていた。
心と身体の感覚が一気に緩む。
昔の自分を思い出した。
「自分らしく生きるってこんなに楽しいのか!」
という感覚を。
「あーーー、全部めんどくせええええ!!!!」
が、
「ま、いっか!全部楽しもう」
となった。
ここ数日、無意識でずっと身体に力が入って強ばっていてあちこち痛かったのが数分で楽になった。
ホメオパシーを勧めたいという話ではなく、それがなくても変化はできるが、人は悲しいかな、中々気づきにくい。
ただ気づいたら症状は終わって、身体は元に戻ろうとする。
しかし、「頭」だけで分かっていても繰り返す生き物なのだ。
◆自分との向き合い方
自分の本音と向き合うのは簡単なようで難しい。
だから食やアルコール、ギャンブルに走る人がいるというのも分からなくもない。
それを好きな人は適度ならいいのだが、溺れてしまうと、それは本来の自分らしさが無くなってしまう。
自分自身も、現実逃避で薬物に溺れて一人じゃどうしようもない時期もあった。
命を何度も絶とうとした事もあった。
ずっと迷って、外側に何かを求めていた。
家族がいたから立ち直れた。
◆答えは自分の内側にある
ここ最近になって、自分の内側に意識を向ける事の大切さを色んな痛みを通して感じる事が増えた。
本当は皆、自分自身で答えを見つけられるし、身体は全部知っているということ。
それは決して「分かった気」になる、頭で理解するという話ではない。
外側に求めても、最終的に決めるのは自分自身なのだ。
意見を否定するという事ではなく、決定権は自分。
◆気づいたら終わる
この地球に仮に自分一人だとしたらそれは気づけないのである。
誰かを、何かを通して自分の心の映し鏡として初めて「自分」を知る。
「この人苦手だな」「これ嫌だな」そう感じられるのは対象があるからそれに気づける。
「苦手」「嫌」これで終わらせるのは思考。頭で考えている状態。これはエネルギー的にとても重く、反芻するのでとても疲弊する。
この時、意識が外側に向いている状態(自分→○○)なのでまた同じ出来事を繰り返したり、別の事として同じような現象が現れる。
これを「苦手/嫌だと"感じている"自分がいる」と、感情として受け止めるとこの現象が終わっていく(自分←○○)。
例えばそれまで苦手と感じていた「この人が苦手」という思いが、「自分はこの人のこういう振る舞いに苦手意識を感じる」と変化していったりする。
その人自身の行動は変わらなくても、自分の捉え方が変わると、その人に対しての見え方が変わる。
これは抽象度を上げても同じで、世界の出来事は変わらなくても、
【自分(の捉え方)が変わると、世界(の見え方)が変わる】
視点(認識)が変わる
↓
行動や選択が自然に変わる
↓
結果として現れる現象も変わる
見て見ぬふりをして、自分に蓋をしてきていた人にとって、自分と向き合う事は最初は結構キツい部分もある。
見たくない自分の感情と向き合うのだから。
これをやっていくと、自分の身体や心の反応が変化していく。
パターンを繰り返してしまう人は、最初は短い時間から少しずつやってみるといいかもしれません。

皆違う、という事を知るだけで本当に生き方が楽になる。
Aという存在・出来事に対して「苦手」と感じる人もいれば、「心地いい」と感じる人もいる、ただそれだけ。
それが分かったからと言って傲慢になれば元の木阿弥。
常に素直に、謙虚に、目の前の一個一個に感謝の気持ちを持つ事の大切さを、人であったり出来事、痛みなどを通して日々感じている。
