薬物と武器が抉(えぐ)る国家の黄昏―21世紀アメリカに投影される19世紀清朝の幻影
社会を蝕む薬物の蔓延
歴史という「思考のインフラ」を使いこなすことによって、現代社会の混迷の中に過去の鏡像を見出すことができるかも知れない。
現在、アメリカ社会を蝕むフェンタニル等の薬物汚染と、歯止めの掛からない武器の蔓延は、単なる治安上の問題ではない。それは、19世紀の清朝中国が辿った「国家OSの機能不全と崩壊」という歴史的必然の再来である。
かつての清朝を崩壊へと導いたのは、イギリスが貿易赤字解消の「禁じ手」として投じた阿片であった。阿片は社会の末端から個人の精神と労働力を破壊し、国家の屋台骨を内側から腐らせた。翻って現代のアメリカを見れば、中国をはじめとする供給拠点からの輸入超過という構造的赤字の影で、強力な合成薬物が社会に溢れている。これは、マクロ経済の不均衡がもたらした「現代の阿片戦争」の変奏曲に他ならない。
分断を暴力に変換する武器の蔓延
薬物による「内側からの崩壊」に拍車をかけるのが、武器の蔓延による「暴力の民営化」である。近時の中国史学において、国家が反乱鎮圧のコストカットのために導入された「団練(だんれん)」への理解が深まってきているようである。団練とは、清代の農村部において郷紳などの地方有力者(地主や知識人、官僚リタイア者、任官待機者など)が、自分たちの財力で組織した自衛のための民兵集団である。
清朝末期、内外での戦争と名目固定の税収構造の下、中央政府の統制が弱まり、各地で軍閥(藩鎮)が割拠した「藩鎮化」のプロセスの前提条件としてこの団練の存在とその結果としての社会下層への武器の蔓延があるという視点が生み出されている。国家が暴力装置の独占に失敗し、市民が「自力救済」のために武装を強化する時、それは近代国家が築き上げた「法の支配」の終焉を意味する。
東洋史学の泰斗・宮崎市定が、阿片貿易に従事する秘密結社への武器の蔓延と太平天国の乱の関連性を喝破していたことに、今一度目を向けることが必要だろう。
トランプ的手法と薬物、武器の蔓延の相乗効果?
この状況下で現れたトランプ的な政治手法は、既存のエリート層(エスタブリッシュメント)への不信を煽り、制度的手続きを「人民の意志を阻む障害」として破壊しようとした。これは、第7代大統領ジャクソンが拓いた「大衆民主政」という劇薬の再活性化であり、政治を妥協の場ではなく、敵を殲滅すべき「友敵闘争」へと変質させた。この「超越的」な破壊者の登場は、共和制の基盤である「熟議」を喪失させ、権力の「大統領化(独裁化)」を加速させている。
辛亥革命後の中国が長きにわたる内乱期に突入したように、21世紀のアメリカもまた、国家というプラットフォームが内側から喰い破られる「新しい中世」へと向かっているのかもしれな。そこでは、イーロン・マスクのようなテクノリバタリアンたちが、国家を凌駕する独自のインフラと私兵的影響力を持ち、唐末の「黄巣の乱」を主導した武装商人のように振る舞うという状況を想定するなという方が無理だろう。
同時に、移民排除のための安直な連邦政府の武力行使に対して、自治体が不満をため込んでおり、批判している状況は、州権が憲法体制の骨格であるアメリカ合「州」国において、かなり問題なのではなかろうか。
あたかも、それを示唆するかのように、「シビル・ウォー」という映画が一定のヒットを飛ばし、現在も配信されている。
薬物という「毒」が社会の紐帯を解き、武器という「力」が断絶を決定的なものにする。私たちは今、かつての清朝が経験したような、帝国の黄昏と、それに続く凄惨な「割拠的一円支配」の争奪戦が、高度にデジタル化された現代アメリカにおいて再現される地平に立っているのかもしれない。
