立花孝志のいない夜明け。
「立花孝志がいたらなんて言うだろう」
そう思うことがある。
立花は道義的に法的に重い罪を犯して、いまは冷凍庫のような檻の中いる。
立花孝志は愛に飢えたこどもである。(実際に放置子だったらしい)
愛に飢えている者でも、だいたいはある程度の年齢を重ね、経験を積めば、人並みに愛したり、助けたり、社会人として適切な行動がとれるようになる。しかし、幼少時に破れた心の穴はふさがることはない。
立花孝志の人物像
基本は楽観主義で、「社会が良くなること」を望んでいる。(誰も信じないだろうが)
その手段が、知性を暴走させることと裏を暴露すること、小火を類焼で大火事にして注目されること、なのでごく一般的な人間には狂人にしか見えない。本人は、さほど良心の呵責を感じていない。
その理由は、生まれてから両親が自分に対してずっと罪を犯していながらそれを悪びれることなくそのままにしていたから。親の影響は大きい。
経済的なゆとりがあったらとっくに精神を病んで社会に出ていないかもしれない。(最も病みやすい星の並びが複数あるが具体的には言わない)
働かないと生きられない状況下だったのでいまの彼がある。
で、最も不可解なのは、どの行動も「やりたくてやっているわけではない」。殆どが、「事実を解明するため」に場当たり的にというか、当座の対策として行っていて自分が良くなりたいのではなく、時間をかけてさまざまな問題を解決していけたらそれでまぁ良いだろう、というつもりでいるため現状どのように自分が罵倒されようとあまり関係がない。良くなるはずの結果に常に目を向けている。必ずしも彼の目論見通りに行かないから檻の中にいる。
傷つくことには慣れている。だから脅しに屈しない。それで保釈されない。
ただに、意地を張っているというよりも、理想を譲らないのだろうと思う。
相当な変人である。
世の中には変人が一定数いて、社会に対して不満を持っていたり理解者がいなかったり、排斥を許せない者が立花孝志にシンパシーを抱いている。
どれもが独善的な視点の話だが。
そうは言っても、ほんとうの善など何処にもないし全く真っ黒の悪もない。
すべては玉虫色だ。
満たされた人生を送っている者は、他人に強く干渉しない。
これは単なる傾向で、絶対ではない。
他者を殊更に意識せずにおっとりと生きられる「選ばれし者」もいる。
反対に、追われるように生きてきた、生きるために何かを追わざるを得なかった者は、他者を動かして「世界を変えようと」しがちである。
善悪とは別に、このような巻き込み体質の人間がぼんやり生きている草食人種にとってのカンフル剤になる。
立花孝志は、数多くの償いきれないほどの罪を犯していながら、社会を改善する方向へ傾ける一助となっていた部分もあった。
奴を絶対に許さない
重い重い刑を望む
と言う者も
もう一度、娑婆に出て
社会を変えてくれ
あんな無茶できる奴いない
と待っている者も
どちらもいることだろう。
罪は当然償う必要があるし、生きる姿勢を改めるべきだ。
ただ、
鬱滞した社会の境界線を超えられるのはあのような狂人だけだ、と思う。
森にどんぐりがあったらクマは出て来なかった。
間伐をして日光を満遍なく当てるよう管理していたらよかった。
林業なんて死にそうな仕事は誰もしなくなった。
こどもは社会が面倒見て育てないと「人間」のようになれない。
親や周囲の大人が適切な躾をしていたらすぐにバイト飛ぶような子にならない。教育を与えていたら、選挙に行く大人になってるはずだ。
だが、教育も躾も面倒なので誰もしなくなった。
臭い物に蓋をしていればなんとかなる時代は終わったのだ。
怠惰を選んだツケで、害獣たちと、手の付けられないこどもたちと、改革モンスターと日常を生きて行くのだ。
私は咎を雪いだ立花孝志がもう一度、働く姿を見られる時を待っている。
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国王修行に励んでおります。平凡な人生のなかで奇妙な感性を活かし、たくさんの記事を生み出してまいります。応援よろしくお願い申し上げます。
