最高の瞬間に出会えるのが“飲食”両親の背中を追い、一生を捧げると決めた道
「飲食と、ともに。」は飲食店経営者、従業員など "飲食"とともに生きる人の人生にフォーカスするnote連載です。過去の経験から生まれた考え方、経営や仕事へのこだわり、外食産業へのメッセージを届けることで、外食産業をともに盛り上げていくことを目的としています。今回は、株式会社バルス 代表取締役 大里竜也さまにお話を伺いました。

父と唯一心を通わせることができた場所が野球
幼少期からプロ野球選手を夢見て、小学1年生から大学生まで野球に没頭した大里さん。しかし中学時代、元プロ野球選手の平田良介さんと同じチームになり「上には上がいる。自分は野球の道ではないな」と初めての挫折を味わった。それでも大学まで野球を続けたのには、“ある理由”があった。当時から大里さんの両親は、ラーメン屋と喫茶店を営んでおり、多忙な父と話す時間はほとんどなかった。そんな父が、野球の試合だけは必ず見に来てくれていたのだ。 「普段父が喜ぶ姿をあまり見ることがなかったので、笑顔が見たくて野球を続けていた」 と話す大里さん。野球は、忙しい父と唯一、心を通わせることができる大切な場所になっていたのだ。
“好き”で評価され、飲食にのめり込んだ日々
両親の背中を見て育った大里さんが、本格的に飲食を始めたのは、高校3年生のときに始めた「牛角」でのアルバイトだった。 そこで大里さんは、お客さまのアンケートによって輝くスタッフを決める仕組みに出会い、才能を開花させた。前任者の持つ6カ月連続MVPという記録を大幅に塗り替え、気づけば2年8カ月連続でトップの座に君臨し続けたのだ。 「初めて野球以外で褒められることができた」と話す大里さん。 接客が好きで、さらに好きなことで評価される喜びが、原動力となっていったのだ。さらに成果が認められ、大学4年時には学生店長に就任。大里さんは飲食への熱が高まり、このまま就職したいと考えていたが、まさかの両親から反対された。 「一般企業に入った後でも飲食はできる。でも逆はできない。だから一度は企業に就職しなさい」という言葉が、大里さんの胸に深く刺さったのだ。

数々の成果を自信に変え、独立へ
新卒で大手住宅メーカーに就職した大里さんの目標は、最初から明確だった。将来、飲食業で独立するために、高単価の営業を経験して力をつけること。その言葉通り着実に結果を出した大里さんは、入社から3年で退職し、次なる道として、エー・ピーカンパニーを選び、塚田農場での修行がスタートした。名古屋エリアの7店舗の立ち上げに尽力する中、自身が店長を務める店舗が「モデル店」に認定されたほか、「ナンバーワン店長」に輝くなど、社内のあらゆる賞を総なめにしたのだ。 どうせやるなら数字にこだわり、結果を出したいという営業マン時代と変わらぬ貪欲な姿勢で、独立に向けた力を着実に蓄えていった。こうした数々の成果が大きな自信となり、6年間勤めた塚田農場を卒業し、独立を果たしたのだ。
最高の集団で、愛される店を創り出す
大里さんが店舗づくりにおいて、何よりも心血を注いでいるのが「コンセプト」。 街の空気感、行き交う人々の表情、さらには物件そのものが持つ独特の形状など、すべての要素を精緻に読み解き、“ここにしかない店”を創り上げている。世の中のあらゆる人を驚かせ、感動させたいという強い衝動こそが、他にはない尖ったコンセプトを生み出す最大の原動力となっているのだ。
さらに大里さんがどの店においてもブラさない軸にしているのが、働くスタッフの「人間力」。 「マニュアル通りに練習した笑顔を作る人よりも、来てくれたお客さまに喜んで帰ってもらいたいという心を持つ人の方が、圧倒的にお客さまの記憶に残る」と大里さんは話す。前例のないコンセプトで尖った店をつくり、最高の仲間たちと目の前のお客さまを喜ばせる。これこそが、大里さんがめざす「究極の店づくり」なのかもしれない。

飲食業界をバルスする、誰もが笑顔になる最高の瞬間を求めて
大里さんにとって飲食は、最高の瞬間に出会える仕事。誰もが笑顔になる瞬間をダイレクトに味わえるからこそ、大里さんは飲食に一生を捧げる覚悟を決めているのだ。
社名が示す通り、めざすのは飲食業界の常識をひっくり返すこと。年商10億円へのロードマップを描きながら、業界の働きやすさと働きがいを根本から変えていく構えだ。
さらに大里さんにはもうひとつ、温かい夢がある。いつか飲食人だけが利用できる小さな居酒屋を開くことだ。コの字のカウンターに大里さんが一人で立ち、多様な飲食人が等身大で交わるコミュニティを作りたいのだ。両親の背中を見て育った大里さんは、食を通して人を喜ばせる道をこれからも突き詰めていく。

