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本物の楽しさを追求。人生のすべてを飲食に注げる桜井さんの生きざま

「飲食と、ともに。」は飲食店経営者、従業員など "飲食"とともに生きる人の人生にフォーカスするnote連載です。過去の経験から生まれた考え方、経営や仕事へのこだわり、外食産業へのメッセージを届けることで、外食産業をともに盛り上げていくことを目的としています。今回は、株式会社イートジョイ・フードサービス 代表取締役 桜井博教さまに話を伺いました。

桜井 博教|16歳で起業を決意し、21歳で「昭和食堂」のアルバイトからわずか約半年で未経験から店長に就任。料理の独学や店舗経営の基礎を身につけた後、25歳で営業部長として店舗展開に貢献する。飲食業界の社会的地位向上を志し27歳で独立し、株式会社イートジョイ・フードサービスを設立。名古屋を中心に「道南農林水産部」や「餃子のネオ大衆酒場 ニューカムラ」などを運営。

家業を断り、16歳で決断した「起業」

桜井さんが起業を決意したのは16歳のとき。菓子卸業を営んでいた父からの「家業を継ぐか?」という問いかけがきっかけであった。当時は大手スーパーやコンビニの台頭により、流通構造が激変する真っ只中。問屋業の先行きに不透明感が漂っていた時代で、答え次第では事業転換も視野に入れていたという父だが、桜井さんが出した答えは「家業は継がない」。この決断は決して後ろ向きなものではなかった。「家業を継がないのであれば、自ら新たな事業を興して社長になるしかない」。父を超えるという野心から、16歳という若さで覚悟を決めた桜井さんは、その日を境に起業することを人生のマイルストーンに据えたのだ。

料理本1冊、1ページ目から作り始めた21歳

自身の生業を探すため、大学時代は家庭教師や引越し業者など多数のアルバイトを経験。中でも桜井さんの人生に大きな光を射したのが、21歳で始めた飲食店のアルバイトだ。最初に入った店では同年代が既に活躍していたため、オープニングスタッフとして別の店に入り、アルバイトリーダーのポジションを掴み取った。それが、昭和食堂との出会いだった。
社長と意気投合した桜井さんは、休みの日も社長のそばで経営を学ぶ日々を送り、入社からおよそ半年が経った頃「店をやってみるか?」と任され、21歳にして店長に就任。料理経験はゼロだったが、居酒屋料理の本を1ページ目から順番に作り続けるなど地道な努力を続け、厨房やホールなどの現場仕事と、店の売上などの数字管理まで、すべてを自分1人でこなしながら、飲食店経営の基礎を身体に叩き込んでいったのだ。

同級生の一言が突きつけた飲食業界のリアル

25歳で営業部長に抜擢され、昭和食堂の店舗展開に尽力していた桜井さん。その頃、中学の同級生と久しぶりに再会し、飲食業界で働いている話をすると「まだ遊んでるの?」という予期せぬ言葉が返ってきた。その一言が、桜井さんの心に火をつけたのだ。「飲食業界は一般的にこういう見られ方をするんだ」と痛感したと同時に「自分自身が飲食業界の見られ方をよくする会社を作ろう」と決意した瞬間でもあった。こうして入社当初から決めていた27歳で独立。単なるキャリアのステップではなく、使命感を背負った一歩でもあった。

「本物の楽しさ」の正体

桜井さんを通して飲食に関わるスタッフに、最も強く伝え続けているのは、会社の理念でもある「本物の楽しさを追求する」という姿勢。桜井さんが定義する楽しさとは、表面的なものではなく、チームが一丸となって高い壁を乗り越え、共に掴み取る本質の喜びである。そのために欠かせないのが、視座を上げることだ。
飲食の現場には、マネジメントやマーケティング、コミュニケーションなど、人がビジネスパーソンとして、また一人の人間として成長するためのすべての要素が凝縮されていると話す桜井さん。だからこそ、自分との縁が生んだスタッフたちには、この飲食店現場を通して自らの可能性を広げ、何事にも一生懸命に生きる豊かさを知ってほしいと願っているのだ。

飲食にすべてを捧げた後に、めざすもの

桜井さんにとって飲食は、自分の人生そのもの。21歳で飲食業界に飛び込んで以来、一度も立ち止まることなく走り続けてきた。そんな桜井さんが唯一仕事を忘れられる時間が、サッカーである。10歳からはじめ、53歳となった今もなお、中学時代の後輩や友人たちとボールを追いかけ心地よい時間を過ごしている。
「おじいちゃんになっても必要とされる人間でありたい」と真っ直ぐな眼差しで話す桜井さん。これまで培ってきた経験を次の世代へ伝えていくことこそが、自分の使命だと確信し、飲食への情熱と積み上げた確かな実績を武器に、若者たちの背中を押し続けていく。

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