「何者か」になりたくて。飲食の可能性を信じ、仲間の人生を背負う覚悟
「飲食と、ともに。」は飲食店経営者、従業員など "飲食"とともに生きる人の人生にフォーカスするnote連載です。過去の経験から生まれた考え方、経営や仕事へのこだわり、外食産業へのメッセージを届けることで、外食産業をともに盛り上げていくことを目的としています。今回は、株式会社バルカンパニー 代表取締役 關敏さまに話を伺いました。

「何者か」になるために。内定を蹴ってパキスタンへ
關さんのキャリアは、型破りなスタートだった。大学を留年し、24歳でようやく手にしたイベント会社の内定。しかし、人事担当者の話を聞くうちに「本当にここでいいのか?」という違和感が膨らむ。そんな時、アルバイト先のガソリンスタンドで出会った自称・芸能関係者から「パキスタンで仕事をしないか」と持ちかけられた。關さんの両親は、騙されていると泣いて止めたが、そんな言葉には耳も貸さず飛び込んだ。その裏には「何者でもない自分を変えたい」という強い思いがあったのだ。こうしてパキスタンに渡航。当初はコンサルの仕事だと聞かされていたが、「日本料理店を出すから店長をやれ」と命じられた。關さんは帰国するわけにはいかず、15歳から働いていたお好み焼き屋や、海鮮レストランでの調理経験を頼りに、パキスタンで飲食キャリアをスタートさせたのだ。
温野菜の再建で気づいた、周囲の支えと感謝の気持ち
帰国後の關さんは、念願のコンサルタントとして「ベンチャー・リンク」に就職。入社当初はどうしようもなかったと自身で話す關さんの転機は、温野菜の担当になったこと。当時、全国20店舗すべての売上に伸び悩んでいた時期で、上司からは「4店舗の売上を4カ月で倍にする」という過酷なノルマを掲げられたのだ。広島カープの試合が見たいという動機で広島エリアを志願した關さんだったが、現場の惨状を前に、猛烈な反骨精神で仕事にのめり込み、見事ノルマを達成させたのだ。その時に關さんは初めて“あること”に気がついた。「成果を出せたのは、僕一人の力じゃなかった。店長やスタッフ、本部、いろんな人に支えられていたんだ。」自分の人生は自分で何とかすると生きてきた關さんだったが、初めて周りの人たちの存在に気づき、感謝を知ったのだ。

口だけではなく、当事者になって戦う選択
その後キャリアを積み上げ、中国支社の社長として5年間、現地の飲食市場を切り拓いた關さんは、2011年に自らの会社を設立。当初はコンサルからスタートした關さんだったが、心にはひとつの違和感があった。「飲食を人気産業にする」と掲げながら、自分では飲食店を経営していない。自分はリスクを取らずに、クライアントへ口を出すのは違うのではないかと感じたのだ。そこでまずは他社をコンサルする前に、關さん自身が借金をして飲食店を開業し、自社の待遇改善に本気で挑戦することを決意。カレー屋から自身の飲食店をスタートさせた。こうして自分が現場で実践し、成功した方法をクライアントに伝えていくことが、關さんが譲れない信念となっている。
失敗は挫折ではなく、自分に向いていなかったという「発見」
誰かが嫌な思いをしてまで飲食をやる意味はないと考えている關さん。だからこそ、店長の数しか出店しない。マネージャーの数しかブランドを作らない。無理な拡大をしないことが、關さんの経営方針だ。「若い頃は、人と比べてばかりだった。でも今は、自分で選んだ人生ならどんな選択であれ正解だと思っている。失敗は挫折ではなく、自分に向いていなかったというだけの発見。人生は短いからこそ、自分らしく歩むほうが幸せなんです」と笑顔で話してくれた。
私生活では、柔術にも打ち込んでいる關さん。40代から始め、世界大会の決勝まで進むほどの実力を持っている。武道とビジネスの思考は似ていると語るその姿は、50代を迎え、より一層研ぎ澄まされた静かな熱を帯びている。

仲間が夢を描ける社会を創る
關さんにとって飲食は、可能性。だからこそ、スタッフが夢を描き、安心して働くことができる環境を作ることが自分の使命だと話す。社長として、社員一人ひとりの待遇やキャリアを守り、その先の家族の生活も守る。飲食業界で働いていることを誇れるようにするために。仲間の人生を背負う覚悟で、旧態依然とした常識を打ち破り、新たなスタンダードを創るのだ。

