中国での成功を捨て、日本でゼロから挑戦。マグロと言えば「シマハラ」をめざす
「飲食と、ともに。」は飲食店経営者、従業員など "飲食"とともに生きる人の人生にフォーカスするnote連載です。過去の経験から生まれた考え方、経営や仕事へのこだわり、外食産業へのメッセージを届けることで、外食産業をともに盛り上げていくことを目的としています。今回は、鮪のシマハラ株式会社 代表取締役 島原慶将さまに話を伺いました。

海に囲まれて育った少年が抱いた「東京」への憧れ
高知県の漁村でのびのびと育った島原さん。高校生の頃「東京に行けば人生が開けるかもしれない」という憧れから、大学進学のタイミングで上京し、建築について学びながら、ダイビング部に没頭する日々を送っていた。そんな中「いつか独立したい」という野望が芽生え、就職活動は業種にこだわるのではなく、上場準備中の会社を探し、入社したのが上場前のABCマートだった。入社2年目で上場を経験し、3年目が過ぎた頃に“ある転機”が訪れる。直属の部長が独立することになったのだ。突然の話で驚きはあったものの、人生を賭けた大勝負のパートナーとして自分を選んでくれたことに意気を感じ「期待に応えたい」と参画。しかし上手くいかなかったため会社を離れる決意をし、実家がある地元の高知へと戻った。
上場企業の会社員から、無職に。
周りの同世代は社会人5年目と仕事が楽しくなり始めた頃で、キャリアも積んでいく中、島原さんは履歴書を持って就職活動をする気にもなれず、本当に何もしない日々を送っていた。新卒から4年間、猛烈に働き続けてきた反動からか、静かに体を休めていたのだ。そんな生活が2年が経った頃、母の「大学まで行ったのに、30歳を目前にしてこのままでは困る」という言葉で我に返った。しかし、今さら東京に戻って就職活動をする気にはなれず、地元は田舎で就職する企業がない。そこで島原さんが思い浮かんだのは「海外へ行く」という選択肢だった。

思いつきで海外への渡航。そこでみた“マグロ”の価値
一方で、海外旅行の経験はもちろん、パスポートすら持っていなかった島原さん。最初はアメリカも視野に入れていたものの、航空券代の工面がつかず、高度経済成長の真っ只中にあった中国の波に乗ろうという軽い気持ちで、29歳の時に上海へ渡った。
もちろん現地でのツテはなく、ゼロからのスタート。上海に渡った最初の1年間は、言葉が通じず働くことができなかったため、昼に公園で現地のおじさんと太極拳をして過ごすという、のんびりとした日々をまたまた送ることとなった。
ある日、知人に連れられて香港の高級寿司店へ行った時、島原さんの目に飛び込んできたのは、富裕層が一斉に「トロ」を注文し会計は30万円という光景。マグロがこんなに高値でやり取りされている瞬間を目の当たりにしたのだ。「実家はマグロ漁師で、自分はマグロを食べて育ってきた。自分の強みでもある“マグロ”を軸にした飲食業がヒットするんじゃないか」と感じた島原さんは、動き出すと早かった。東京・築地の仲卸の社長に事業をプレゼン。縮小傾向にあったマグロ業界にとって、海外での販路拡大は悲願でもあったことから、1500万円を出資してもらい、2005年 上海に1号店をオープンした。

無職からスタートし、年商20億円を稼ぐまで
1号店オープンから13年、島原さんは最終的に14店舗を展開し、ピーク時には年商20億円を達成させた。成功の理由を聞くと「中国に来る多くの日本人が『中国で、中国人相手に商売をする』んですよ。でも僕が大事にしたのは、『中国人“と”商売する』こと。一緒に戦う仲間としてみることが大事なんです」と話してくれた。日本で成功した事業モデルを持ち込む企業が多い中、無職からスタートした島原さんには"正解"がなかったからこそ、現地に根ざしたやり方を自然と選び、功を奏したのだ。
中国を離れ、日本で“ゼロ”からのスタート
こうして急成長を遂げ、会社が大きくなるうちに、新たな壁が立ちはだかった。それまで試行錯誤でチームと一緒に走ってきたが、新しい手を打つときにメンバーの賛同が得られなくなったのだ。島原さんは「自分が組織を信用できていないんだ」と気づき、引退を決意。中国での事業を売却し、45歳の時に日本へ帰国した。
帰国後すぐに東京で「鮪のシマハラ」をオープン。「5年で30億円」という壮大な目標を掲げたが、現実はそう甘くはなかった。中国では社長業に徹していたため、日本の飲食の現場経験がなかったことが痛手となったのだ。そこから、イチから出直す気持ちで自ら厨房に立ち、スタッフと一緒に原価計算をし、発注をして、閉店後には掃除をする。そうすると意外と利益が出ないことを目の当たりにし、日本で飲食をする難しさに気づいた瞬間だった。島原さんは当時を振り返り「やっと飲食業のスタートラインに立てた気がしています」と真っ直ぐな眼差しで話してくれた。

45歳から65歳を人生のピークに、日本の飲食と向き合う
「食べて美味しいかどうかが大事。そこには言葉も資本も関係ない。これほど公平な業界はない。」島原さんにとって飲食は、誰もが平等に挑むことができ、評価がダイレクトに返ってくる最高の舞台なのだ。お世話になった人々への恩返しを胸に、45歳から65歳で人生のピークを迎えるべく、今も第一線を走り続ける。
漁師の父の背中を見て育ち、無職の時期を経て上海へ渡り、またゼロから日本の飲食に向き合う。振り返れば、島原さんの傍には、いつも「マグロ」があった。
「僕はマグロが大好きで、美味しいと思っている。だから皆さんに食べてほしい。」そう熱く語る島原さんは、「マグロといえば“シマハラ”」となる日をめざして、今日も日本の飲食と向き合い突き進んでいる。

