Archives 現象学から道元へ 「修証一等」 未踏の地に向かって
かなり基底的な哲学の問いだと思うが、ベルクソンとフッサール・ハイデガー・メルロポンティ(私見ではドゥルーズも入る)といった「現象学派」を本質的に分かつものは何か? そもそもそれは存在するのか?
— 永澤 護/dharmazeroalpha (@XlGjfmYpCchopJ6) November 21, 2022
科学が混乱して、堂々巡りに陥るのは、その『私』を対象にするからだと思います。
— 脊髄反射の限界を越えて (@shinrai669669) November 22, 2022
私自体が現象ですから、二重に現象を科学することになり、議論が収束しないのだと思うのです。
道元の廣録上堂語408は、虚空や空をどうとらえたらよいかを論じています。私抜きで考える技法といえます。
かなり基底的な哲学の問いだと思うが、ベルクソンとフッサール・ハイデガー・メルロポンティ(私見ではドゥルーズも入る)といった「現象学派」を本質的に分かつものは何か? そもそもそれは存在するのか?
こうして見ると現象学というものが哲学においてかなり包括的な探究領域になるがそれは現象学が現代物理学の標準理論的な性格を持つことによる。既に前提していることが膨大にある。 https://t.co/HMFZRyfHdw
— 永澤 護/dharmazeroalpha (@XlGjfmYpCchopJ6) November 30, 2022
誤解はないと思うが主意は「ベルクソン・ドゥルーズ等も含む現象学は現代物理学において標準理論が占める位置に類比的な位置を現代哲学(より漠然と言えば現代思想)において占めている。標準理論が膨大な前提を持ちそれら前提がその先のレベルで探究されているのと類比的に」ということである。
— 永澤 護/dharmazeroalpha (@XlGjfmYpCchopJ6) December 1, 2022
もちろんポイントは「現象学が標準理論と類比的な形で膨大な前提を持ちそれら前提がその先の現象学ではないレベルで探究されている」の部分であり先にアップした私のnote記事にそれを述べた。#哲学 #現代思想 #science https://t.co/1pCL1WycBz
— 永澤 護/dharmazeroalpha (@XlGjfmYpCchopJ6) December 1, 2022
上記リンクから転載
「ドゥルーズのフランシス・ベーコン論における感覚、情動、神経系統といった用語との関連で言えば、ドゥルーズによる前掲書をはじめとする現象学の劣位化は慎重に受け止め吟味する必要がある。
いずれにせよ、ドゥルーズが自らと差別化したかったのはなんといっても現象学だろう。」
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哲学・サイエンス・アートvol4
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