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『この私が今ここにあること――〈空性〉の形而上学』 紹介



拙著『この私が今ここにあること――〈空性〉の形而上学』は、エッセイでも、哲学・思想書でも、研究書でも、アフォリズムでも、哲学のパンチライン集でもありません。


それは、読者をとても不思議な雰囲気へと誘う一冊です。

既存のどのジャンルにも収まりません。あえて既存の言葉を用いるなら、「形而上学書」と呼ぶしかないでしょう。しかし、その呼び名さえ十分ではありません。

未知のものに触れたとき、人はしばしば、それを既知の言葉では言い表せないと感じます。本書もまた、そのような読書体験を目指しています。

川端康成の『山の音』が、単なる「小説」という呼称だけでは捉えきれない作品であるように、本書もまた、既存の分類を少しだけ超えたところにある本であればと願っています。                             内容紹介(JPROより)

哲学者・永井均氏・清水高志氏推薦

 「誰も問わなかった問いが、哲学と出会う。」 ――永井均

「〈空〉の消息と世界の無限開闢を語る唯一の書物」――清水高志

*** *** *** ***

 「この私」が、なぜ、いま、ここにあるのかーー。

誰にとってもあまりに当たり前でありながら、考えはじめた途端に底の見えない問いがある。

この世界があること。私がいること。そして、その私が、ほかの誰でもなく「この私」として、今ここにあること。


本書は、その根源的な事実をめぐって、カント、アリストテレス、プラトン、ナーガールジュナ、道元、親鸞、永井均、入不二基義、清水高志らの哲学・思想を横断しながら、〈空性〉の力としての形而上学を構想する、著者渾身の哲学的探究である。

中心にあるのは、「この私が今ここにあること」という、誰もがそこから逃れることのできない問いである。

私とは何か? 現実とは何か? 言語はどこで世界に触れるのか? 自由とは何か……?

そして、Aでもなくnon-Aでもない「第四レンマ」の〈界面地帯〉において、世界と私とはどのように立ち上がるのか?

本書は、安易な答えを与える本ではない。

むしろ、私たちがふだん自明のものとして通り過ぎている「私」「今」「ここ」「現実」「言葉」「自由」を、もう一度、根底から問いなおすための本である。

哲学の古典、仏教思想、現代日本哲学を架橋しながら、「この私が今ここにあること」の不思議へと迫る、比類なき形而上学の試み。

🌹目次

Epigraph/始まりの碑文

第一部

 第一章 Prelude/前兆

 第二章 この私の感覚ーー迷宮の扉

 第三章 この私が線を引くこと

 第四章 持続的なものーー時空の生成

 第五章 この私が数えること

 第六章 〈X〉という他者

 第七章 現実と言語の狭間で

 第八章 この私が今ここにあること

 第九章 〈他者〉の到来ーーデカルト『第三省察』の衝撃

 終幕の碑文へ

第二部

 序文 〈私〉と〈空性〉への旅

 第一章 無内包性と形式性

 第二章 この〈私〉とその影

 第三章 〈非ー思量〉という次元/場

 第四章  〈自己触発〉を巡る問題圏

 第五章 カント『純粋理性批判』のデッドライン

 第六章 左右の問題ーーこの私の左右と時制の生成

 第七章 プラトン『テアイテトス』の問題圏

   第八章 対称性の自発的な破れと自由という力

Epilogue/終幕の碑文

附論一 〈非僧非俗〉--《定言命法》から〈非行非善〉へ

附論二 Any-nessのDeadlock

後記

🌹著者紹介

永澤護

哲学者/形而上学者。北海道大学文学部卒。旧東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。NPO法人 The Human Potential Institute 監事。宇多天皇と旧安田財閥安田善次郎末裔〔亡父が2代目非嫡出子〕。ハーバード大学招聘学者・宮永國子主宰『宗教と社会』学会プロジェクトにおいて多分野の研究開発者と協働研究を行うとともに教育研究活動を継続。主な著書に、『カンブリア革命』水声社、『グローバル化とアイデンティティ・クライシス』(共著) 明石書店、『グローバル化とパラドックス』(共著) 世界思想社、『近代化と寛容』(共著) 風行社、編著書に『戦争、そして今──あの日々を、一人の女性が生きぬいた』KDP、永澤春榮著・永澤護編などがある。


🌹Epigraph/始まりの碑文

   本書のテーマは、この私が今ここにあることです。この私が今ここにあるとは、そもそもどういうことなのでしょうか。それは、この私の今ここへの問いといってもいいでしょう。必ずしもこの問いに対する答えではなくても、この問いを考える上でなにか手掛かりになるようなことを、これから探し求めていくということです。もしそれをどこまでも探し求めていこうとするなら、それは終わりのない探究になります。本書は、この私が今ここにあることというテーマを、この私の今ここへの問いとして探求した記録であり、また同時に、読者に対するこの探究の旅への誘いなのです。
例えば、私は、今ここで、この文章をノートパソコンで書いています。おそらくなにかを思いながら。なにかとは、今から一週間前に入った温泉のお湯がとても気持ちよかったとかです。もう少し硬く言えば、今から一週間前に入った温泉のお湯がとても気持ちよかったという私の経験です。その私の経験を、私は今ここで、「今から一週間前に入った温泉のお湯がとても気持ちよかった」と思っているのです。でもこのことは確かでしょうか? また「このこと」とはどういうことなのでしょうか?
 さらに次のように問うことができます。私が今ここで書いているということは、この私が今ここにあることとなにか関係があるのでしょうか? それともとくに関係ないのでしょうか? ちょっと振り返ってみると、私が今ここで書いているということのうちに、この私が今ここにあることはすでに含まれているように思えます。あるいは、私が今ここで書いているということは、この私が今ここにあることのうちにすでに含まれているようにも思えます。でもその含まれているとは、いったいどういとなのでしょうか?
内容的に言えば、本書は、ナーガールジュナ(Nāgārjuna)が〈空性〉の力としてリニューアルした「第四レンマ(Aでもnon-Aでもない)」と道元の『正法眼蔵』を通奏低音的な指針(guiding concept like a basso continuo)とし、最終的に親鸞の非僧非俗という日本仏教が到達しうる一つの極点に至る探究の旅の記録です。
この第四レンマの哲学的-形而上学的な含意に関しては、ナーガールジュナの『中論 Mūlamadhyamaka-kārikā』を私の見るところ初めて包括的な理解へと齎した清水高志の『空の時代の『中論』について』(1)の読解作業がベースとなっています。
 
 哲学とは――そのもともとの意味は「知を愛すること philosophia」なのですが――なぜかこの私に訪れた問いをどこまでも探究していくことです。どこまでも探し求めていくというそのあり方が、きっと愛するということなのでしょう。であるなら、なぜかこの私に訪れた問いがあって、その問いをどこまでも探究していく旅に出るなら、それはすでに哲学を生きているということです。哲学とは、何かの学問ではなく、なぜかこの私に訪れた問いを今ここで生きることそのものなのです。
ここで、本書のタイトル『〈空性〉の形而上学 この私が今ここにあること』について説明します。本書は、永井均の助言「中高生ぐらい(まあまあ頭はよいけど知識はまったく何もない)を読者に想定して書くとよいのではないでしょうか」を指針にして書いています。そういうわけで、哲学の専門用語はできる限り使わないか、使うとしてもできるだけかみ砕いていくことにします。
 
 まず、「形而上学」――読みは「けいじじょうがく」となります――ですが、これはもともとはアリストテレスというプラトンの一番弟子で「すべての学問の祖」と呼ばれる古代ギリシアの偉大な哲学者の一群の講義ノートに後からつけられたタイトルです。それらノートの内容は、今でいう物理学(一般に自然科学)の祖である「自然学(ピュシカ)」の探究の後でなお残された――つまり自然学によっては探究できない――問題に絞った探究の記録です。それで、この講義ノートは、ギリシア語で『タ・メタ・タ・ピュシカ』(τὰ μετὰ τὰ φυσικά  自然についての書の後の書)と名付けられました。ということで、ギリシア語でμεταφυσικά、ラテン語でmetaphysica、英語で言えばmetaphysicsとなり、この場合の「meta(メタ)」が「の後の」、「physics」が「自然学」(物理学)です。 
 先に述べた本書のテーマ――この私が今ここにあること――を巡る問い、つまりこの私の今ここへの問いは、物理学(自然科学)の探究の後でも生き残るような形而上学の問いなのです。形而上学の問いを探究することは、哲学することそのものです。
本書は、この私が哲学することの原初的次元/起源を探究し、かつ記述します。「原初的」とは、「物事のそもそもの初めの場面におけるあり方」、また「次元」は、本来は数学用語ですが、さしあたりは「場面」または「(何らかの)場」という理解でいいでしょう。ですから、ここで「原初的次元」を「起源」と言い換えています。
 この言い換えのために「次元/起源」と書きましたが、本書において、「A/B」と書いた場合のスラッシュ記号「/」の使い方について説明します。このスラッシュ記号「/」は、AとBのどちらかだけを取ることなく、また必ずしもAとBが対立したり対比されたりすることなく言い換えられることを示します。したがって、「A/B」は、AとBが互いに排除しない「AまたはB」つまり「AであるとともにB(AはBともいえる)」を意味します。例えば、「言語的/概念的」は「言語的または概念的」「言語的であり概念的であること」となります。
 ところで、自らの哲学の原初的次元/起源とは、哲学の力のことです。この私が哲学していく原動力と言ってもいいでしょう。またその原動力が、哲学がこの私を介して自らを産み出す力です。形而上学としての哲学の力が、この私を介して自らを産み出すのです。
 哲学の力とは、無内包の〈私〉それ自体を創出する力のことです。この無内包の〈私〉それ自体を創出する力こそが、本書全体のテーマなのです。「無内包の」という言葉と山括弧〈〉が付加された〈私〉については、このEpigraphに続く「第一章 Prelude 前兆」と「第二章 この私の感覚――迷宮の扉」において説明します。 
 本書は、この哲学の力を、この〈私〉の方から探究し、かつ記述します。『序論』は、永井哲学における〈今〉をこの〈私〉の〈今-ここ〉に読み替えることで、『本論』で主題的に探究する〈空性〉という次元/場とその力へと至る道筋を創る作業です。 
 従来の見方からすれば本書のジャンルは哲学(書)になるでしょうが、本書のコンセプトは新しいジャンルとしての形而上学(書)であり、既存の哲学や形而上学とは独立したジャンルとしての形而上学(書)です。
 本書の性格に応じて、叙述スタイルはドラマなどのナレーション形式にしました。私(筆者)がナレーション的に語ることになります。つまり、本書は、私(筆者)によるナレーションで構成された哲学/形而上学書です。
 〈私〉それ自体を創出する力をこの〈私〉の方から探究するという探求方法により、このナレーションは、筆者の「私」が同時に〈私〉でもある叙述スタイルになります。
 この叙述スタイルは、本書の探究方法と同様に、哲学書史上初めてのものです。これに近いことを〈私〉に十分自覚的ではない形で行っていた例外がデカルトの『省察』の比較的初めの部分です。しかし、デカルトは最終的には〈私〉を排除します。すべての叙述に渡ってこうした叙述スタイルを取っているのは本書が唯一です。 
本来不可能なことを可能にする作業に終わりはありません。それは、始まりも終わりもない無限を今ここでの有限に切り変える――同時に今ここの有限を世界の果ての彼方の無限遠点 (point at infinity)と往還させる――作業だからです。有限的な存在者である人間は、今ここで無限にアクセスするという奇跡的な力を持っているのです。それが自由という力です。
 〈私〉それ自体を創出する力を、この〈私〉の方から探究する場合、無限を有限に切り替える力としての自由を、無限それ自体との関係において探求すること。それは、自由という力を創出する〈空性〉の探究作業です。
 
 哲学の力は、今ここで、この私が世界の果ての彼方の無限遠点 (point at infinity)へと到達し、同時にその到来に出会う自由という力なのです。
 それでは、Epigraph/始まりの碑文です。
『〈私〉は〈0〉と《私》/〈1〉の狭間で不断に振動している』
これは、未解読のメッセージ/暗号です。それは、これからの探究の解読対象になります。そして、最終的な謎解きのキーワードつまり暗号の鍵が、自由という力です。
本書は、すべての叙述に渡って筆者の私が同時に〈私〉でもあることによってのみ見えてくることを記述した史上初めての哲学書なのです。

🌹【本書に登場する人物固有名】🌹 仏陀 ナーガールジュナ 親鸞 道元 清水高志 永井均 カント ソクラテス プラトン アリストテレス デカルト パルメニデス 顔アカウント ベルクソン レーベルク 久保元彦 実川敏夫 ライプニッツ 大森荘蔵 ウィトゲンシュタイン 入不二基義 エウクレイデス ブラウアー カントール ゲーデル ラッセル フェルマー チューリング 白隠 安部公房 棚橋一晃 羽生善治 薬山惟儼 クリプキ ベンヤミン 山本一成 フッサール ハイデガー メルロ・ポンティTsuyoshiIdei 槇野沙央理  halching ベッケンシュタイン ホーキング ボルツマン ドゥルーズ 近藤和敬 フランシス・ベーコン ベケット ガタリ ルクレティウス メンデルスゾーン 谷口一平 清水将吾 澤木興道 呉健雄 テアイテトス 南部陽一郎 玄沙師備 唯円 ルソー リーマン コーエン チャイティン ランボオ マクタガート フーコー 青山拓央 ショーペンハウアー 金子大栄 西田幾多郎 ミシェル・セール 塩谷菊美 櫛谷宗則 入角晃太郎 永澤護

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