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梅雨の光



☔ 先週までの空梅雨から一転、今週は雨が降り続いている。しかも日によっては強風による横殴りの雨が降りつけ、我が家の庭やベランダで育っていた植物もいくつか倒れてしまった。

 近くの公園に出かけると、やはり植えられている草花は、かなり傷つき傾いたが、ほとんどが踏ん張って持ちこたえていた。そうした中で早くも蜜を求めて飛び始めているモンシロチョウや、ヒメウラナミジャノメなどの蝶の姿も見かけた。






☔ 梅雨時に合わせるようにして咲く「アジサイ」は、やはり雨が似合う。

 雨の中でひときわ美しく見えるのは、厚い雲という巨大なフィルターを通過して降り注ぐ光が白や青白くなるためだ。

 雲を形作る無数の水滴が太陽光を均等に散乱させ、私たちの目に届く頃には、しっとりとした柔らかな白い光へと変わる。この散乱された光は、わずかに青みを帯びた白色光(色温度が高い光)になる。この光は花びらの発色(特に青や紫、ピンクなどの花)をクリアに引き立てる。

 また強い影がなくなり、花びら全体が均一に照らされることによって、花が持っている本来の鮮やかな色彩が強調される。

 世界中、雨天ではこの現象が起こるが、日本の梅雨においてはさらに特殊な状況下に置かれる。

 激しいゲリラ豪雨を降らせる積乱雲は空を黒色に覆う。しかし梅雨前線付近に停滞する層雲や高層雲といった、空全体を均一に覆う雲が広範囲に発生すると、この雲は光を適度に通すため、「どんよりとした青白い世界」が広がることになる。これは年中雨が降る地域や、スコール主体の熱帯地域とは異なる、東アジア地域における梅雨特有の現象である。

 また日本の梅雨時には、南方から暖かく湿った空気が流れ込んでくる。空気が大量の水蒸気を含んでいるため、雲のベース(底)が低くなりやすく、地上付近にも霧のような微小な水滴が充満する。

 このようにして、日本の梅雨では、空から降り注ぐ光が地表近くでも優しく散乱され、「白いベール」のような、しっとりとした明るさが持続することになる。







☔ 梅雨特有の気象条件を味方につけたアジサイは、この時期に相応しい魅力的な色彩を自ら発光させ、薄暗い時期でも虫たちを惹きつける優れた知恵を身に付けているとも言えるだろう。

 アジサイの色が変わる理由は、花に含まれる色素「アントシアニン」が、土壌から吸収した「アルミニウム」と結合することによって、化学反応を引き起こすからであり、アルミニウムの吸収量によって、花色がさまざまに変化する。

 酸性土壌では、土の中にあるアルミニウムが溶け出しやすく、花は青色に発色する。日本では青色のアジサイが多く見られるのは、雨が多いために酸性土壌に偏りやすいからだ。反対に土壌がアルカリ性になると、アルミニウムが溶けにくいため、アントシアニン本来の赤みがかったピンク色が出やすくなる。

 アジサイの中には、土壌の酸度に関わらず色が固定されている品種もある。白系はそもそもアントシアニンなどの色素を持たないため、土壌の影響を受けずに純白を保つ。青や赤系の品種はアルミニウムを吸収しやすい・しにくい性質が遺伝的に固定されている。いずれにしても、アジサイの持つ色が梅雨空において艶やかに咲くことには違いない。

 日本という独特な気候風土において、自らの潜在的可能性によって色彩豊かなバリエーションを生み出すアジサイの個性。

 それは偶然の産物か。
 それとも神の采配なのだろうか。

 あるいは、もしもアジサイ自らが「梅雨時に美しく見える色」を選択しているとしたら  。それはアジサイの遺伝子に刻み込まれた「適者生存のための創造性」の証明になるに違いない。

 私たち人間もまた自らの中に、自分自身の色を決める創造性が潜んでいる。
 
 noteのページを開くと、やはりそこには「十人十色」が浮かび上がってくる。真っ赤に燃えているようなページ。青く沈んでいるようなページ。陽気に黄色く輝いているようなページ。透き通るような白いページ…。

 同じ背景色、同じフォント、同じシンプルなレイアウトであっても、同じ色彩のページはどこにもない。真に表現されるもの、伝わるもの、共鳴するものとは、書かれている内容そのものではなく、目には見えない「色」なのかもしれない。

 白い光のベールに照らされて浮かび上がる梅雨の花たち。
 私たちもまた誰もが創造性豊かな個性を生きている。

 



































Where Breathing Starts
Tord Gustavsen Trio




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燿 (hikari) 🐭🐮🐯🐰🐲🐍🐴🐑🐵🐔🐶🐗😽🐷