カラスと俺
「ペット飼ってた?」
「えーっとね、犬2匹とカメとハムスター。あとはね、カラス」
カラス!?
厳密に言えばペットという表現は少し違う。言うならば、保護?かな。
いつからか一人称が「僕」から「俺」へと様変わりし、すっかり板についてきた小学4年生?ぐらいのとき。
「おーい!こっち来てみ」
父の呼び声のほうへ向かった。
「おぉ……」
カラス!?
そこには父の両手に掴まれた一羽のカラスがいた。触れられるほど至近距離で目にするのは初めてだ。カラス界ではまだ子どもの部類なのだろうか、わりと小ぶりなカラス。
まっっっくろ!
胴体も、目も、嘴も、足も、全身まっっっくろ。間近で見るとこんなにもまっっっくろ。花鳥風月に描かれる黒点は、一つのアクセントとして芸術の一端を担うだろう。ただ目の前にある黒い塊は、すべてを引きずり込むような不気味さを醸し出している。そして鋭い嘴……。犬やハムスターに比べると、触れるのは少し躊躇ってしまう。こわくないと言うと嘘になる。もしも、カラスがパステルカラーで彩られていたなら、黒と白のまだら模様だったなら、せめてワンポイトあったなら、嘴がおちょぼ口だったなら、印象は大きく違っていただろうに。しかしまぁそれも個性。
胴体を父の両手に包まれたカラスは、首を傾げたり頷いたりと謙虚な素ぶりで暴れる様子はない。カラスってこんなに大人しい動物だったっけ? いや、謙虚なフリをしてこちらが油断した隙に、その鋭い嘴と漆黒の翼で猛威を振るう算段かもしれない――。こやつを囮に、カラスの大群が奇襲をかける作戦かもしれない――。腹も真っ黒に違いない――。
どうやら、ツバサを怪我しているようだった。
自宅の裏、山へと連なるコンクリート擁壁と家の狭間の路頭で、本来なら近づくと飛び去っていくはずのカラスが、ペンギンのようにノソノソと歩き回るだけなのを不審に思い、状況を把握した父が手に取ったようだった。
父は単身赴任で自宅にいない期間のほうが圧倒的に多い。父との接し方がよく分からず、人見知りに近い感覚を抱いていた時期もある。そんな父がどのような人物なのか、よく知らない。この日、父はこういう人間なのだと一つ覚えた。
真偽を確かめるため、今いちどカラスの足を地につけてみる。実況見聞を行う捜査官のように鋭い眼光でカラスの動向を凝視する――。
ノソノソ ノソノソ
こうして当面の間、カラスの面倒をみることになった。以前使っていたハムスター用のゲージを、棲み家としてカラスに授けた。ハムスターも、まさか自分の元棲み家にカラスが居座るとは思っていなかっただろう。驚きのあまり、天使の輪っかの中をカラカラと駆け回っているかもしれない。おちつけ、おちつけ。
カラスの名前は……付けなくていいでしょ。ペットとして永劫飼い続けるつもりはないので名前は付けなかった。カラスの名は、カラスだ。それにこやつは、雄? 雌? どっちやねん。
自宅に隣接する駐輪場兼洗濯物干し場となっているトタン屋根の下に、カラスゲージを置いた。自由に空を飛び回るカラスが、極めて制限された空間に身を置くことはいかがなものか。不便だな。辛抱せよ。
「ガラァーーー」
声きたなっ!
カラスの綺麗な鳴き声が「カァーカァー」だと定義するならば、こやつの声はきたないぞ。
「ガラァーガラァー」
痰が絡んだおっさんのような鳴き声。そもそもの地声なのか、突発的な何かが原因で形成された声なのかは分からないが、とりあえずドンマイ。まだお若いのにご苦労なさっているのね。しかしそれも個性、案ずるなカラスよ。
さぁさぁ、カラスを飼う――。
我が家にカラスの飼育について熟知している者などいない。当時は、困ったときにGoogleやSiriに教えを乞うなんて出来ない時代。さぁ、どうしようか。モミの木なら教えてくれるって誰かが言ってたような。ねぇねぇ、教えてモミの木――あぁ、これはカキの木。ねぇ、モミの木ってどんな木? ねえ、教えておくれ、モミの木よ。
カラスはゴミを漁るような雑食の生き物だ、何でも食べるだろうというのがおおよその見解だ。案の定、本当に何でも食べやがる。主に我々の毎食のおかずの一部をカラスに分け与えてやった。仲間たちは今ごろ餌を求めて飛び回っているだろうに、きちんと調理されたものをゆっくり頂けるなんて、贅沢なカラスだ。パン、米、牛乳、ハム、マヨネーズ、魚肉ソーセージ、チンジャオロースなどなど、与えた物は大抵食べた。餌には困らない。ラクだなカラスは。チンジャオロースのピーマンは食べなかったな。
やぁやぁ、カラスを飼う――。
こんな珍事を他言せずにいられますか? 小学生だぜ?
「今、ウチでカラス飼いよるんよー!」
誰よりも早く最新ゲームソフトを手に入れたおぼっちゃまのように、鼻を高くする。学校帰りにカラスを見に訪れる近所の友達、と言っても幼なじみのAくんとその姉だけなのだが……。
カラスと共生する珍妙な生活も悪くないと思う自分であったが、子どもの好奇心というのは、ハリケーンのように凄まじい威力を発揮する一方で、長くは続かない。2、3日も経てば穏やかな風が吹く。犬のように尻尾を振りながら駆け寄ってくるカラスではないし、ムツゴロウさんのように「よーしよしよし」と撫でまわす俺でもない。それでも家を出たとき、帰宅したときは、カラスゲージの前で足を止め、カラスの様子を伺うのが日課になっていた。背を向けていても、時々振り返ってヒョコヒョコとこちらに近寄ってくる。カラスは賢いというから、俺のことも覚えているかもしれないな。抱いていた苦手意識も消え、習慣という名の愛着が湧いていた。
「ガラァーガラァー」
声きたないな、相変わらず。まぁそれも個性だな。自分らしくていいさ。
――およそ1週間が経ち、さぁ、いよいよ飛び立ちのとき。
テスト飛行だ!
怪我の具合は、薄弱な我々の見解ではよく分からない。実際に飛んでみる以外方法はない。いざ、閉ざされた世界から壮大な世界へ。
父の手からそっと離されたカラスは、一歩一歩踏みしめながら、まるで地球のかたちを確認するようにゆっくりと歩く。飛べるのか? 飛べるよね? きっと飛べるさ。そのツバサは、世界を自由に飛び回るためにあるんだから。俺もツバサがほしい。
さぁ飛べ!
飛べ飛べ飛べ飛べ!!
バサバサバサバサッ
飛んだぁ!!!!
綺麗に飛べていたかな? 記憶は曖昧だが、カラスは確かに空を飛んだ。田んぼを駆け抜け、小さな川を越え、山のほうへと飛んでいった。さっきまで目の前にいたカラスが、もうあんなところまで。澄み渡る空の青色と、陽の光に照らされた緑色や土色の中に描かれた一点の黒は、目の前で見るよりも遥かに美しい黒だ。それが本来のあるべき姿だったな。
よかった よかった
こうしてカラスとの生活は幕を下ろし、我々も、カラスも、それまでと同じ生活に戻ったのであった――。
めでたし めでたし
さあ、みんなで歌いましょう!
せーのっ!
とんで とんで とんで とんで とんで とんで とんで とんで とんで〜♪
まわって まわって まわって まわーるぅ〜♪
とんで とんで とんで とんで とんで とんで とんで とんで とんで〜♪
まわって まわって まわって……
「ちょっと見て!」
茶の間で安堵の息をついたのも束の間、窓の外に目をやると、ノソノソと庭の砂利敷きの上を歩くカラスが一羽。いや、ほとんど歩いてもいない。気づけと言わんばかりにノロノロだ。
「戻ってきたん!?」
当然ながら思い当たる節はある。似たような小ぶりなカラスではあるが、しかし、確証はない。カラスなんて、そこら辺にいくらでもいるのだから。
「ガラァー」
やっぱりお前かぁ!!
お前だとすぐに分かるよ。個性って大事だな。
困ったな。まだ野生で生きていけるほど本調子ではなかったのかもしれない。野生での生き方を忘れてしまったのかもしれない。仲間の居場所が分からなかったのかもしれない。仲間と馴染めなかったのかもしれない。ここなら餌をくれるという目論見かもしれない。カラスは賢いというからな。たまに遊びにくる程度ならいいけど、棲みつかれると困る。いずれ、群れを従えてやってきたりして。
とりあえずは仕方がない。いつまでも離れようとしないので、再びゲージの中へと迎え入れた。カラスはまったく抵抗を見せない。
「おかえり」
帰ってきたんやなぁ……。故郷を離れた息子が帰郷したときの親の気持ちは、こんな感じだろうか。
「ガラァーガラァー」
こうして再びカラスとの生活が続いた。さらに3日ほどが経ち、再び外の世界へと誘う。飛べることは分かっている。あとはもう自分次第だ、カラスよ。あるべき場所で自分らしく生きるがよい。自由な空は、どんな世界だい?
さぁ、飛べ!
バサバサバサッ
もう戻ってくるなよー!
元気でなーー!
――それから、カラスは戻ってこなかった。
「カァーカァー」
道端、畑、電線、空、ゴミ収集所。
「カァーカァー」
カラスがいるいつもの日常。
「ガラァーガラァー」
ありふれた声に紛れて時々聞こえてくる。
「ガラァーガラァー」
あぁアイツだ。
しばらくはそんなふうに反応していたな。お前のその個性、俺は好きだな。だって、お前だって認識できるんだから。ちゃんと生きてるって。なんだかちょっと嬉しくなってた。
ところで、これってさ、おとぎ話の世界だったらカラスが恩返しに訪ねてきてもおかしくないやつよね? よね? よね? いつの日かカラスが恩を返しに現れるのではないかと、金塊や札束を咥えて戻ってきやしないかと、淡い期待を抱いていたが、現実はおとぎ話のようにはならない。おとぎ話は所詮、おとぎ話だ。そんなこと、分かってるけどさ。
“ガラァーガラァー”
もしかしたら、いつも一緒にあそんでいた友達が、初めて付き合ったあの子が、苦しかったときに優しい言葉をかけてくれた親友が、同じ地元を離れ同じ地で共に過ごしてきた盟友が、支えとなってくれた先輩が、厳しく叱ってくれた上司が、ミスをフォローしてくれた同僚が、慕ってくれた後輩が、共に汗を流し切磋琢磨し合った同期が、人生の分岐点だった元カノが、苦楽を共にしたクラスメイトが、とにかく苦手だったあいつが、いくつもの夜を飲み明かした仲間が、迷っていたとき背中を押してくれたあの人が、いつも近況を聞いてくれる美容師が、落とした財布を交番に届けてくれた名も知らぬ人が、繊細な夜に寄り添ってくれるアーティストが、鬱屈した日々を笑いで彩ってくれるお笑い芸人が、積み重ねることの大切さを体現してくれるアスリートが、廃れた心を震わせてくれる漫画家が、人生や命の尊さを教えてくれる作家が、これまで出会った誰かが、カラスが化けた姿だったのかもしれないな。もしくは、家族の誰かが助けてもらったのかもしれない。
ありがとうよ
なーーんてね。
“ガラァーガラァー”
カラスと俺
カラスとの思い出
時々この話を思い出すと、ジワジワと心があったかくなる――。あぁ、そうか。この感覚こそが、この思い出こそが、きっとカラスからの恩返しなんだな。
ありがとうよ
“ガラァーガラァー”
父や母も元気に暮らしてるよ
“ガラァーガラァー”
お前はどんな人生だった?
“ガラァーガラァー”
俺はずっと覚えてるよ
“ガラァーガラァー”
お前もずっと覚えていたのかな?
ねえ
教えておくれ
モミの木よ
