魅せる「格好良さ」と、秘めたる「かっこ良さ」。
サムライが命を懸けて表現したもの。
「格好いい」とは、人の見た目や振る舞いが良い印象を与える状態を表す言葉です。
「格好」とは、外から見た物の形、外見、姿、身なり、体裁、世間体などの意味を持ちます。
「格好」は、元々は「恰好」と表記していましたが、「恰」の字が常用漢字ではなくなったため、「格」の字が標準になったそうです。
「恰」は、ちょうどという意味を持ち、「好」は、良いという意味を持つので、「恰好」は、ちょうど良い、相応しいという意味で使用されるようになりました。
この「恰好」という言葉が使われるようになったのは、江戸時代からと言われています。
身分制度が確立され、主に武士や商人たちが着る衣服や身なりが重要視され、そのスタイルや姿勢が社会的地位や個人の価値を表現する手段として捉えられていました。
江戸時代では、武士の中でも身分が細かく規定されていて、その身分の差が一目瞭然で分かるように、装束つまり衣服による外見が重要視されました。
注目すべき点は、その装束には、家紋(家系の紋章)が表記されている点です。
装束とは、個人の身分のみを周知させるためではなく、家系・格式を示す重要な文化的な要素を含んでおり、江戸時代の社会構造や政治・軍事の歴史を理解する上で欠かせない情報といえます。
武士にとって恰好いい外見は、身分や伝統を背負っているという自分の姿を、他者に認識してもらうという意味を持ちます。
そのことは、個人的な品格にとどまらず、代々受け継がれてきた伝統や主君への恩義に背くような、恥ずかしい行動を自ら戒めているとも解釈できます。

「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか。」
これは、戦国時代を終結させた大坂の陣で活躍した真田信繁(真田幸村)の言葉とされています。
幕府軍と豊臣軍による決戦において、豊臣家への恩義を貫いて戦い、その勇敢さから「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称えられました。
彼は、単なる戦上手としてではなく、義理や忠義を重んじる武士の鑑(かがみ)として語り継がれています。
戦国時代は、身分や地位の低い者が上位の者に打ち負かして、権力や地位を奪う「下剋上」という現象が日常的に起こる、混乱の時代でした。
そんな不安定な時代でも、義理を守ることや、信頼を裏切らないことが尊重されてきました。
この真田信繁の言葉は、武士として、人として生きることの意味を私たちに問いかけてきます。
自分が受けた恩や義理を軽視し、感謝を示すことなく、自分の利益だけを追い求め、他人のことを顧みないことは、人間として正しい生き方ではない。
恩義を忘れ、私欲に支配される者は、表面的には、人の姿をしていたとしても、本来の「人間らしさ」を失っている。
この「人間らしさ」を失うということは、身分や格式に関係なく、人として生まれながら持っている存在価値そのものを、自ら手放しているのだ。

貴きを欲するは、人の同じき心なり。
人びと己に貴き者あり、思はざるのみ。
人の貴とぶ所の者は、良貴に非ざるなり。
令聞広誉身に施す、人の文繍を願はざる所以なり。
貴きを欲するのは誰しもが抱く、同じき心である。
人には自ずから貴きが備わっている。
ただ人がそれを忘れ去っているだけなのだ。
己に由らずして人が与えし貴などは、真の貴ではない。
仁義が自然と溢れ出るが故に、望まずして真の令聞広誉が身に施される。
されば、形だけの美麗な衣服など何で欲することがあろう。
古代中国の戦国時代に活躍した思想家の一人である、孟子の言葉です。
彼の思想は、人の本質は善であるという「性善説」と呼ばれるものです。
人の本質は、本来的には善であり、不善を行う者が存在しているのは、様々な外的な要因によるものであると、彼は主張しました。
孟子の主張に立脚した上記の言葉は、このような意味を持ちます。
貴い存在でありたいと思う気持ちは、人は誰でも同じように持っている。
全ての人は、自分の中に貴いものを持っているにもかかわらず、それを認識しようとしない。
仁義や徳に満たされれば、外的な評価や外見を求めることがなくなる。
つまり、真の価値は内在するものであり、外的な評価に依存するものではないのだ。

真田信繁の甲冑や旗に描かれている真田家の家紋は、六枚の銭を円形に配置した「六文銭」と呼ばれるものです。
この六文銭は、仏教の考え方に基づき、「三途の川の渡し賃」を意味するとされています。
真田家の家紋は、「いつ戦場で命を落としても悔いはない」「すでに死を覚悟して戦に臨んでいる」という覚悟を表しており、戦死した際には六文銭を持って浄土へと旅立とうという、強い決意を象徴しています。
しかし、死を軽んじたり、命を粗末にするといった意味を持っていません。
自分に与えられた大切な命の儚さを自覚することにより、今この瞬間を全身全霊を傾けて生きるという「かっこ良さ」が、この家紋には込められているのです。
また、真田信繁は、大坂夏の陣では、鎧や旗などの装備を赤色で揃える「赤備え」で統一し、不利な戦局の中でも、死力を振り絞り、戦い抜きました。
前年の大坂冬の陣では、従来からの黒い鎧のままだったといわれています。
元々「赤備え」は、旧武田軍の猛将と名高い飯富 虎昌(おぶ とらまさ)から山県昌景(やまがた まさかげ)に引き継がれた武田軍の精鋭部隊の象徴でした。
現に徳川家康自身、三方ヶ原の戦いにおける武田軍との大敗北の際には、武田の「赤備え」の恐ろしさを痛感したことでしょう。
「赤備え」は、合戦の最中では強烈な輝きを演出する半面、敵味方を容易に判別できるようになり、また鉄砲隊の絶好の標的となってしまいます。
大坂夏の陣は、徳川家康の周到な策略により、野戦を余儀なくされました。
信繁は、勝利の可能性がほとんどないことを覚悟して、豊臣家への最後の忠義を証明するため、あえて目立つ「赤備え」に身を固め、自分が求める「格好良さ」を演出して、戦場に散っていきました。

大坂の夏の陣の終結から約250年後の明治維新により、武士の時代が終焉を迎え、西欧の文化が流入し、武士社会が理想とした考え方は衰退していきました。
そして、太平洋戦争の敗戦により、それまで残っていた日本独自の価値観は消去されていき、アメリカの価値観へと大きく変貌していきました。
戦後80年以上が経過し、現在の日本社会は、見た目の魅せる「格好良さ」に重点が置かれ、目に見えない内なる「かっこ良さ」が蔑ろにされているように感じます。
この状態のままでは、真田信繁が伝えてくれた「格好良さ」と「かっこ良さ」の2つの言葉の意味を理解することは難しくなるだろうという危惧を、私は抱いています。
ここ最近、【承認欲求】という言葉をよく耳にするようになりました。
私自身、外部からの【承認】を求めて右往左往しているという自覚を持っています。
でも、真の【承認】とは、外部に求めるよりも、自分の中に存在する貴きものを自覚することから得られるような気がします。
そのことを証明するため、内なる「かっこ良さ」、そして、人として「かっこよい」生き方について、様々な視点から、少しずつ考えていきたいと思います。
SUPER BEAVER の『人として』は、「かっこいい」について考える上で、私にとって大切な曲です。
馬鹿だねって言われたって
カッコ悪い人にはなりたくないじゃないか
人として 人として
かっこよく生きていたいじゃないか
このたびの画像につきましては、「みんなのフォトギャラリー」より、おかのくらさんの作品を使わせていただきました。感謝申し上げます。ありがとうございました。
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