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【エッセイ】思い出の曲は、先に決めておける

シャッフル再生の途中、ある曲のイントロで、急にあの夏に戻された。

曲が終わっても、しばらく戻ってこられなかった。あの年の光、部屋の温度、そこにいた自分。

選んだ覚えはない。なのにその曲は、いつの間にか「あの季節の曲」になっていた。誰が決めたんだろう。


気づいたら、あの曲があの季節になっていた

コンビニのBGM、誰かの車のプレイリスト、街で不意にすれ違う音。日常は、こちらの都合を聞かずに曲を流してくる。

たいていは、そのまま通り過ぎていく。でも時々、一曲だけ引っかかる。

イントロの数秒で、季節が変わる。冬のコートを着ていても、耳の中だけ夏になる。あの年の朝の光、駅までの道の匂い、やたらと元気だった自分。

不思議なのは、「思い出の曲にしよう」と思って聴いていたわけではない、ということだ。

好きで繰り返し聴いていただけ。通学の電車で、バイト帰りの夜道で、試験勉強の机で。ただ生活の中で鳴らしていた曲が、気づいた時には、その季節と切り離せなくなっていた。

しかも、張りつくのはたいてい「何でもない時間」だ。人生の大事件のBGMではなく、何度も歩いた道、何度も過ごした夕方。繰り返しの中にいた自分のほうが、濃く残っている。

思い当たる曲が、ひとつはあると思う。曲名を思い浮かべただけで、どこかの季節の空気が、薄く立ち上がってこないだろうか。

その曲を「あの季節の曲」にしたのは、誰なのか。

少なくとも、自分でそう決めた日は、どこにもない。それなのに、カレンダーより正確に、その曲は季節を覚えている。


記憶は、聴き込んだ場所に住みつく

からくりは、たぶんシンプルだ。

同じ曲を繰り返し聴いていた時期、曲はその時の生活と一緒に鳴っている。朝の光の角度、部屋の温度、通り道の匂い、その頃の悩みの重さ。

写真には写らないそういうものが、聴くたびに少しずつ、曲の側に染み込んでいく。

たぶん、曲がいつ再生しても同じ形で流れるからだ。三分の曲は何年経っても同じ三分で、入れ物の形が変わらないから、染み込んだ空気も崩れずに残る。

だから数年後にイントロが鳴ると、頭が過去を検索するより先に、身体がその頃の生活の中に置き直される。「思い出す」というより、「戻る」に近い。記憶を眺めるのではなく、記憶の中の部屋に、もう立っている。

曲は、その季節の空気を詰めたタイムカプセルになる。しかも本人の許可を取らずに、勝手に封をする。

中身は、やさしいものばかりとは限らない。戻りたくない時間が住みついて、聴けなくなる曲もある。その話は前に一本書いたので、心当たりのある人はそちらへ——別れた後に聴けなくなる曲がある理由

ここで考えたいのは、逆側だ。

曲が勝手に記憶を保存してしまうのなら——保存される場所を、こちらから先に用意しておくことも、できるんじゃないか。


なら、先に決めてしまえばいい

タイムカプセルが勝手に埋まるのなら、埋める場所をこちらで選んでもいいはずだ。

実は、近いことをすでに半分やっている人も多いと思う。旅行の前にプレイリストを組む。あれは「移動中に聴く曲」を選んでいるようで、あとから振り返れば「旅の記憶の置き場所」を先に用意している。

数年後にそのプレイリストを流すと、車窓や、ホテルの朝や、置き忘れていた気分が戻ってくる。仕込んだつもりはなくても、仕込みになっている。

私の場合は、夏とボサノバだった。

昔から、夏になるとボサノバ系を聴き込んできた。CDの収納ボックスには、ボサノバだけをまとめた一箱があって、夏が近づくとそれを引っ張り出して、部屋のプレーヤーで順に鳴らす。箱に手を伸ばすことが、夏の始まりの合図になっている。

夏の箱

外に出る日も同じだ。駅まで歩く道でイヤホンをつけて、配信アプリで「ボサノバ」や「ブラジル」と検索してプレイリストを流したり、好きな奏者を名前で探したりする。気温より先に、検索窓に夏が来る。

ジョアン・ドナートやエルメート・パスコアールが鳴ると、体温が少し上がって、暑い気温の中に立っているような感覚になる。

もともと夏の音だから夏に聴くのか、夏ごとに聴き込んできたから夏の音になったのか。もう区別がつかない。たぶん、両方が絡まって強くなっている。

音の質感が季節と合っていると、記憶は定着しやすいらしい——少なくとも、私の身体はそう覚えてしまった。

だから今年は、順番を逆にしてみようと思っている。

「この夏はこの一枚を聴き倒す」と、先に決める。夏が終わってから「あの夏の曲」が決まるのを待つのではなく、最初のページに栞を挟んでおく。

うまくいく保証はない。それでも、聴き込んだ曲が季節ごと残ってくれるなら、未来の自分への帰り道が、ひとつできやすくなる。


未来のいつか、イントロ一音で帰ってくる

やり方は、たいそうなものじゃない。

まず、一枚決める。今の季節に聴きたい音でいい。新譜でも、ずっと棚にあった一枚でも、音の温度が今の空気と合っていれば、それで足りる。

次に、生活の決まった場面で流す。朝のコーヒーの間、通勤の窓際、夜の洗い物。特別な時間ではなく、これから何度も繰り返す時間に置くのがコツだと思う。カプセルに入るのは、その繰り返しのほうだから。

あとは、聴き倒す。飽きてきても、もう少しだけ付き合ってみる。飽きた頃には、曲の側に生活が染み込みはじめている。

それで終わり。埋めたことは、忘れていい。

むしろ忘れた頃にしか、カプセルは開かない。数年後のどこかで、そのイントロに不意打ちされる日が来る。

その時あなたが戻るのは、大事件の日ではなく、コーヒーの湯気や、窓の外の光や、洗い物の水音だ。何でもなかったはずの今が、妙に濃く保存されていて、少し驚くと思う。

今のこの季節も、いつか「あの頃」になる。それなら、帰り道の入口くらいは、自分で選んでおきたい。


今の季節の一枚を、決めてみてほしい。

候補が浮かばなければ、最近よく再生している一枚で構わない。「これにする」と決めた瞬間から、ただのヘビーローテーションが、未来へのタイムカプセルに変わりはじめる。

数年後のあなたが、イントロ一音で帰ってこられるように。

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音影【音楽小説家】 人とAIの境界で物語を紡ぐ旅にお付き合いいただきありがとう。私の言葉があなたの心に響いたなら、チップが創作の新たな種となります。共に想像の先へ。

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