雨の日ほど、自分の基準が試される。|若僧の教訓話*36
雨の日は、好きですか。
私は、正直あまり好きではありません。
走れない。
外作業もできない。
「今日はこれをやろう。」
そう決めていた予定が、雨ひとつで崩れてしまうからです。
朝、雨音を聞くたびに、
「今日はダメか。」
そう思ってしまうことが何度もありました。
でも、ある日ふと考えました。
本当に今日は、
「ダメな日」なのでしょうか。
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雨が降ると、草木は潤います。
屋根から落ちた雨粒は、少しずつ地面を削ります。
私たちは「雨」と聞くと不便さばかり考えてしまいますが、自然にとっては命をつなぐ大切な存在です。
では、人間だけが「雨=悪い日」と決めているのかもしれない。
そんなことを思いました。
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実は、行動経済学には
「アンカリング効果」
という考え方があります。
人は、最初に置いた基準(アンカー)によって、その後の物事の感じ方が大きく変わるというものです。
例えば、お店で
「15分ほどお待ちください。」
と言われたのに、10分で案内されたら少し嬉しくなります。
でも、
「すぐ案内できます。」
と言われて10分待ったら、長く感じてしまうでしょう。
待った時間は同じ10分。
違うのは、最初に置かれた基準だけです。
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私は気づきました。
雨の日が嫌なのは、
「今日は晴れてほしい。」
というアンカーを、自分の中に打ち込んでいるからではないか、と。
もし最初から、
「晴れでも雨でも、その日にできることをやろう。」
そう考えていたら、少し違う景色になるのではないでしょうか。
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実際、雨の日には雨の日にしかできないことがあります。
御朱印を書く。
塔婆を書く。
本堂や庫裡の掃除をする。
静かな雨音の中で、お寺をもっと良くする方法を考える。
不思議なもので、外で身体を動かしている時には思いつかなかったアイデアが、机に向かっている時にふっと浮かぶこともあります。
そう考えると、雨の日は「何もできない日」ではなく、
「違うことができる日」
なのかもしれません。
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これは雨だけの話ではないと思います。
仕事。
人間関係。
子育て。
ダイエット。
思い通りにならない日は、誰にでもあります。
でも、そのたびに
「今日は最悪だ。」
と考えるのか。
「今日は別のことができる日だ。」
と考えるのか。
その違いは、案外、自分がどこにアンカーを置くかだけなのかもしれません。
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もちろん、雨の日が好きになったわけではありません。
できれば晴れてほしいです(笑)
でも最近は、雨音を聞くたびに、こんな言葉を思い出します。
「雨垂れ石を穿つ。」
小さな雨粒でも、続けば石に穴を開ける。
地道な努力は、いつか必ず力になる。
そう思えるだけで、雨の日も少しだけ悪くない一日に変わりました。
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私たちは天気を変えることはできません。
でも、
物事を見る基準は、自分で少しだけ変えられる。
雨の日ほど、それを教えてくれている気がします。
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📿 あとがき
ちょっと今回は、いつもの若僧の教訓話とは毛色が違いましたね(笑)
実は私、仏教だけではなく、行動経済学も大好きなんです。
「人はどうしてそう感じるのか。」
そんなことを考えていると、仏教とどこか通じるものがあるように思えて、とても面白いんですよね。
