法事を普段着で行くのは失礼ですか?|「聞きづらいから、私が書きます。」①
法事の日。
クローゼットを開けて、ふと焦ります。
「喪服がない。」
「クリーニングに出したままだ。」
「仕事帰りだから着替えに戻る時間もない。」
そんな時、頭に浮かぶのはきっと同じ言葉ではないでしょうか。
「普段着で行ったら失礼かな……。」
故人様に失礼ではないだろうか。
ご遺族に申し訳ないのではないだろうか。
お坊さんに何か思われるのではないだろうか。
今日は、そんなお話です。
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お世話になっております。
記録と闘う修行僧、そっさんです。
今回から新しいシリーズを始めます。
題して、
「聞きづらいから、私が書きます。」
お寺のこと。
法事のこと。
お坊さんのこと。
「こんなこと聞いたら失礼かな。」
そんな疑問を、できるだけ正直にお話ししていこうと思います。
第一回は、
「法事を普段着で行くのは失礼ですか?」
です。
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🍃 まず結論からお話しします。
結論から申し上げます。
喪服で参列されることが望ましい。
これは今でも変わりません。
故人様への敬意、ご遺族への心遣いという意味でも、喪服には大切な役割があります。
ですから、
「普段着でも全く同じです。」
とは申しません。
ですが、ここからが今日一番お伝えしたいことです。
私は法事で皆さんを見ています。
でも、
服装ばかり見ているわけではありません。
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👀 私がお経を読みながら見ているもの
法事には、本当に様々な方がお越しになります。
足が悪く、ゆっくり時間をかけながら焼香へ向かわれる方。
ご家族がそっと腕を支え、一緒に歩かれる姿。
遠くから何時間もかけて来てくださる方。
仕事を終えて、そのまま駆けつけてくださる方。
法要前には、
「○○さん、遠くから来てくれたんだよ。」
そんな会話が聞こえてくることもあります。
私は、そういう景色を見ています。
服装より先に、
その人が今日ここへ来るまでの道のりを想像してしまうのです。
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👦 忘れられない、小さなお子さんのお焼香
以前、法事で小さなお子さんがお焼香をされていました。
きっと朝、お父さんかお母さんに、
「今日はおじいちゃんに手を合わせる日だよ。」
そう言われて来られたのでしょう。
夏の暑い日。
エアコンのない本堂。
聞いたこともないお経が流れています。
子どもにとっては、何を言っているのか分かりません。
何をしているのかも分かりません。
前の人が順番に歩いて行き、お焼香をしています。
そして、自分の番になります。
どうすればいいのか分からない。
お母さんに手を引かれながら、
周りを見よう見まねで、お辞儀をして、お香をつまみ、手を合わせる。
その姿を見ていて、私は思いました。
「今は意味なんて分からなくていい。」
大切なのは、
故人様に手を合わせるという時間を、お父さんお母さんが一緒に経験させてあげていることです。
今は形だけかもしれません。
でも十年後、二十年後、
「あの時、おじいちゃんに手を合わせていたのは、こういう意味だったんだ。」
そう気付く日が来るかもしれません。
その小さな種を植えている親御さんの姿は、とても尊く映りました。
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🙏 お焼香は、ゆっくりで大丈夫です。
最近、私は法事のたびに必ずお伝えしています。
「お焼香は、ゆっくりで大丈夫ですよ。」
私へのお辞儀は気になさらなくて構いません。
前の人を気にして急がなくても構いません。
その時間は、
故人様と向き合う時間です。
「ありがとう。」
「元気にやっています。」
「また来ました。」
どんな言葉でもいい。
心の中で故人様とお話ししてください。
気持ちが落ち着いてから、お席へ戻っていただければ、それで十分です。
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⛩ 修行で学んだ礼儀と、今思う礼儀
修行道場では、礼儀や作法を徹底的に学びました。
全員が同じ服を着て、
同じ時間に起き、
同じ生活を送ります。
だからこそ、礼儀を揃える意味があります。
しかし、お寺へ来られる皆さんは違います。
仕事があります。
子育てがあります。
介護があります。
急な予定変更もあります。
夜勤明けの方もおられるでしょう。
一人ひとり、生きている環境が違います。
だから私は、
修行道場と同じ物差しで皆さんを見ることはありません。
礼儀は大切です。
でも、
事情まで否定する礼儀であってはいけない。
私はそう思っています。
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🌸 私が一番大切にしたいこと
法事とは、
正しく振る舞える人だけが来る場所ではありません。
大切な人を想う人が集まる場所です。
服装も礼儀の一つです。
けれど、それ以上に大切なのは、
「手を合わせよう。」
そう思って、この場所まで来てくださったお気持ちではないでしょうか。
私は、お経を読みながら、
そのお気持ちにも手を合わせています。
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もしこの記事を読んでくださっている方の中に、
「あの日、普段着で法事へ行ってしまった。」
「失礼だったかな。」
と、今でも気にされている方がおられましたら、お伝えしたいことがあります。
大丈夫ですよ。
故人様を想い、
手を合わせようと思ったそのお気持ちは、
決して失礼なものではありません。
どうか安心して、お寺へお越しください。
お寺は、
失敗しない人が来る場所ではなく、
大切な人を想う人が集まる場所なのです。
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🍃 聞きづらいことほど、安心していただけるように。
また一つ、私が書きます。
