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ピザの分け方

今シーズンのドラマが,そろそろ終了する時期になってきた。ドラマ大好きな私が,今シーズンお気に入りだったドラマはいくつかあるが、その一つに「リーガルビート」がある。以下ネタバレあり。

吃音を持つ新米弁護士が、世の弱者たちに「諦めていいことじゃないと思います」といい続けながら、弱者に寄り添って戦うドラマである。

弁護士としての法廷での戦いは,彼の今までの人生の戦いと重なる。

吃音を揶揄われたり,馬鹿にされたり,それで何か諦めたこともあるのだろう。しかし、吃音に悩まされてきた彼は,言葉で戦う道をあえて選んだ。弁護士という道。

先週の話は、ASDを抱えた研究員が,実験室の温度管理を忘れ、実験中のマウスを死なせてしまったという事件。

そして、裁判の争点は,ASDの彼女への配慮が,十分なされていたか?、職場の体制を問うものとなる。

彼女は、その特性をカバーすべく,いくつかの配慮を職場に依頼する。しかし、それが職場関係にヒビを入れる。特性ゆえの配慮(指示の文字化など)が1人の教育係に一任されたために,配慮は彼にとっての負担になっていく。

そして、実験中のマウスを死なせた罪をASDの彼女へ被せ,退職へ追い込もうとする。

裁判の中で,その事実が明らかにされると、教育係はこう言う。彼女への配慮の対応で,自分は追い込まれた。彼女が仕事をするために、どうして自分が犠牲にならねばならないのかと。

この事件は,1人の教育係に対応を丸投げした会社の支援体制の見直しと、特別な配慮を考える機会を与えた。


事件が解決したあと、同僚とピザを前にして,新米弁護士が言う。

ピザをきっちり三等分するのが、平等。でも、もし、お腹が空いている人がいたら,その人に配慮して,少し多めに分けるのが公平だ。社会には,この公平が必要だ。


なるほど。平等は誰しも同じように平らにすること。公平は必要な人に必要なものを配慮することで,住みやすさや生きやすさを平らにすることだ。

公平な配慮があって,平等な社会になると言うことか。

自分たちの住んでいる社会は、まだまだ生きづらさを抱えている人たちがたくさんいる。経済的、精神的な生きづらさしかり、自分が想像できないしんどさを抱えて生きている人がいる。

そうした生きづらさを,少しでも解消するために、法があり、政治家がいる。国があり,役場がある。コミュニティがあり、ご近所さんがある。職場の組合があり、仲間がいる。

隣人の生きづらさを理解し、寄り添う。そんな公平で平等な優しい社会にしたいなあと思わされる言葉だった。





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