山を守り、災害を防ぐ「治山ダム」の基本——谷止工と床固工の違いと設計の裏側
日本の国土の約3分の2は森林で占められており、その多くが急峻な山岳地帯に位置しています。近年、気候変動に伴う集中豪雨の激甚化や大規模な台風の来襲により、山腹崩壊や土石流といった山地災害のリスクが高まっています。こうした災害から私たちの暮らしを守るために欠かせないのが、山間部の渓流に建設される「治山ダム(ちさんだむ)」です。
本記事では、林野庁の「治山技術基準(総則・山地治山編)」[1]をベースに、治山ダムの基本的な役割、代表的な2つの区分である「谷止工(たにどめこう)」と「床固工(とこがためこう)」の違い、そして安全なダムを造るための設計プロセスについて、専門知識をわかりやすく紐解いて解説します。
1. 治山ダムとは? その目的と役割
治山ダムは、一般的な河川に造られる「砂防ダム」や発電・利水を目的とした「多目的ダム」とは異なり、森林整備や山地災害の防止を目的とした「治山事業」の一環として建設されます。その主な目的は、渓流の侵食を防ぎ、土砂の流出をコントロールすることにあります。
具体的には、以下のような多角的な役割を担っています [1]。
2. 「谷止工」と「床固工」の違い
治山ダムは、その設置後の機能や渓流に与える影響によって、大きく**「谷止工(たにどめこう)」と「床固工(とこがためこう)」**の2つに区分されます [1]。これらは混同されがちですが、目的や設計上の考え方が異なります。
それぞれの定義と特徴を以下の表にまとめました。
| 谷止工<br>(たにどめこう) | 上流側に貯砂(土砂を貯める)機能があり、ダム設置後に上流側の縦断線(渓床の高さ)に変化が生じるもの。 | ・ダムの上流側に意図的に土砂を堆積させる。・堆積した土砂によって渓床勾配を緩和し、山脚を固定する。・土石流や流木の流下を直接的に抑止する。 |
| 床固工(とこがためこう) | 上流側の渓床がすでに固定されており、ダム設置後において上流側の縦断線に大きな変化がないもの。 | ・現況の渓床の高さを維持(固定)し、これ以上の洗掘(削られること)を防ぐ。<br>・渓床勾配が比較的安定している場所や、すでに土砂が飽和している場所に設置される。 |
このように、**「これから土砂を貯めて山を安定させる(谷止工)」のか、それとも「今の安定した状態をキープして削られるのを防ぐ(床固工)」**のか、という目的の違いによって使い分けられています。
3. 治山ダムの型式と材料
治山ダムは、その構造や使用する材料によって様々な種類に分類されます。
① 機能による分類
遮水型(しゃすいがた):流水や土砂を完全に遮断する構造です。最も一般的であり、重力式コンクリートダムなどがこれに該当します [1]。
透過型(とうかがた) / 透水型(とうすいがた):スリット(隙間)が空いた構造で、平常時の水や細かな土砂はそのまま流し、土石流や流木が発生したときだけ効果的に捕捉するダムです。近年、渓流の生態系(魚類の遡上など)や自然環境への配慮から採用が増えています。
② 構造・材料による分類
最も標準的な型式は、ダム自体の重さ(自重)によって水圧や土圧に抵抗する**「重力式(じゅうりょくしき)」**です [1]。使用される材料には、以下のようなものがあります。
無筋コンクリート:最も耐久性が高く、実績も多い標準的な材料。
鋼材・鋼製枠:施工性に優れ、工期を短縮できる。ただし、酸性の強い水質の渓流では腐食の懸念があるため使用を避ける必要があります [1]。
木材・丸太積:現地調達が可能な場合があり、環境負荷が低い。
4. 治山ダムの設計プロセスと「放水路」の科学
治山ダムを設計する際、最も重要かつ科学的な検討が必要なのが**「放水路(ほうすいろ)」**の設計です。放水路とは、ダムの天端(てっぺん)中央に設けられた、水を下流へ安全に流すための「凹み」の部分を指します。
放水路の設計は、ただ水を流せばよいわけではなく、計画された大雨(計画高水流量)に耐えられるように、緻密な水理計算に基づいて決定されます [1]。
放水路の高さ(水深)の算定方法
放水路の高さ $h$ は、計画高水流量から算出される「計画水深 $h_c$」に、水面の変動などを考慮した「余裕高 $\Delta h$」を加えて決定します [1]。
$$h \ge h_c + \Delta h$$
この計画水深 $h_c$ を求めるには、上流の渓床の状況に応じて主に2つの水理公式が使い分けられます。
縮流ぜき(しゅくりゅうぜき)による方法
ダム完成時に、上流側の渓床が放水路よりも低い位置にある場合に適用されます。放水路の「側のり勾配(横の斜め度合い)」が長方形(垂直)の場合、以下の公式(縮流ぜき公式)を用いて、計画高水流量 $Q_{max}$ を流せる水深 $h_c$ を逆算します [1]。
$$Q_s = 1.77 \cdot B_1 \cdot h_c^{3/2}$$
(※ $Q_s$: ぜきの流量, $B_1$: 放水路の下の長さ)開水路(かいすいろ)による方法
ダムの上流側が土砂で完全に満たされ、放水路がそのまま上流の川底と平らにつながっている場合に適用されます。この場合は、流体力学で一般的な**「マニングの公式」**を用いて、水がスムーズに流れる水深を計算します [1]。
さらに、土石流の発生が想定される渓流では、流下する最大の石の大きさ(最大礫径)以上の高さを確保することが標準とされています [1]。
5. まとめ
普段、私たちが山間部をドライブしているときなどに目にする治山ダム。一見するとただのコンクリートの壁のように見えるかもしれませんが、そこには「谷止工」や「床固工」といった明確な役割の違いがあり、複雑な水理計算や地形・地質調査に基づいて、1基ずつオーダーメイドで設計されています。
森林を守り、下流の暮らしを災害から守る。治山ダムは、日本の豊かな国土と安全な社会を支える「縁の下の力持ち」なのです。
参考文献
[1] 林野庁「治山技術基準(総則・山地治山編)」
