【連載】庄内の潮騒とあの日の記憶 《第7章》鳴りやまない汽笛と静かな港
大人になった今だからこそ振り返る、あの息が詰まるほど濃密だった山形県の庄内浜でのお話です。
この物語には、サスペンスもミステリーも恋愛模様も出てきません。作者の当時の日記帳を紐解いて、昔を懐かしみながら書き綴っています。
昔はこうだったなぁ~、こんなことがあったなぁ~と感慨深く思い起こしています。どうぞ最後までお楽しみください‼️
新潟から戻る頃には、空はもう茜色だった。
日本海に沈みかけた夕陽が、道路脇の田んぼを真っ赤に染めている。
僕と拓海は、重くなった足をペダルに乗せながら、のんびりと山形へ戻っていた。
荷台のバケツは軽い。でも、胸の中には妙な満足感が残っていた。
栄治伯父さんの包丁捌き。
初めて知った本物のアワビの味。
そして、大人たちの「見逃し方」。
あの頃の僕たちは、叱られながら守られていた。
今なら分かる。
「なぁ俊介」
先を走っていた拓海が、不意に声を落とした。
「なんか今日、港の空気変じゃね?」
僕もその時、気づいた。
風が、止まっている。
夏の夕方特有の、生ぬるい潮風がまるで吹いていなかった。
代わりに、沖のほうから低い音が響いてくる。
――ボォォォォ……
汽笛だった。
低く、腹に響くような音。
僕たちは顔を見合わせ、
坂道を下って港へ向かった。
漁港には、普段よりずっと多くの大人たちが集まっていた。
誰も騒いでいない。
防波堤にも、岸壁にも、ただ黙って沖を見ている。
中には沖に向かって手を合わせている人も。
その視線の先に、一隻の大きな遠洋漁業船が見えた。この辺では滅多に見ることのない船だ。
夕陽を背負った黒い船影。
その船は、集落の沖をゆっくりとそして何度も何度も旋回していた。
――ボォォォォ……
また汽笛が鳴る。
長く。
重く。
胸の奥まで沈むような音だった。
「なんだあれ……」
僕が呟くと、近くにいた自称ライターの里海さんが、煙草を咥えたまま言った。
「今日は海に出るな」
その声には、いつもの冗談っぽさが無かった。
拓海が首を傾げる。
「なんで?」
里海さんは少し黙り、沖を見たまま呟いた。
「落ちたんだと」
それだけだった。
誰が、とも。
どこで、とも言わない。
ただ、その場にいた大人たちは皆、意味を知っている顔をしていた。
遠洋船は、またゆっくりと向きを変える。
まるで、帰れなかった誰かを探しているみたいに。
その時だった。
里海さんが、小さく舌打ちした。
「……赤ぇな」
「え?」
僕が海を見る。
夕焼けだった。
海面一面が、異様なくらい赤かった。
波もない。
風もない。
ただ、赤い。
里海さんは煙草を地面に落とし、靴でゆっくり踏み潰した。
「お前ら、今日は浜へ行くな」
「夜釣りもするな」
「……特に、赤い灯りは使うな」
僕と拓海は、思わず顔を見合わせた。
赤い灯り。
その言葉に、昨日の赤い電気浮きが脳裏をよぎる。
だが里海さんは、それ以上何も言わなかった。
遠くでまた、汽笛が鳴った。
――ボォォォォ……
あの夏の記憶の中で、あの音だけは今でも妙に鮮明だ。
大人になった今なら分かる。
あれは単なる弔いじゃなかった。
海で生きる人たちが、
“海へ帰れなかった者”へ向ける、
静かな別れの儀式だったのだ。
《第8章》へ続く! ※全11章
(みっ) = 里海 毅 ( Satomi Tsuyoshi )
