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私はスカイツリーに上る母

2年半前、娘の受験で東京へ行った。

試験中、私は暇なので、まだ行ったことがなかったスカイツリーに行ってみた。そこで動画を撮ってインスタのストーリーに載せたら、それを見た母からすぐにLINEが来た。

「あなた、何やってるの」

暇だからスカイツリーに来たよーと返事をしたら、

「私はあなたの受験の時、試験の間ずっと近くの公園で祈っていましたよ!」

ときたもんだ。イラッ…

だから私も皇居前広場あたりで祈ってるべきだってか?
いやでも結果あなたの娘、落ちたやん…

私が受験に失敗したのは、母の祈りが届かなかったからではなく、私の努力と実力が足りなかったからに尽きる。私はそれをよーく知っている。だから娘が合格するかどうかは本人のがんばり次第でしかなく、試験当日に私にはどうすることもできない。

娘を無事に試験会場に送り届けたら、あとは娘が力を発揮することを信じて、私は背負いすぎずに私の時間を過ごそうとスカイツリーへやってきた。白く霞んだ東京を眺めて写真や動画を撮った。おみやげも買った。娘にとってもその方が重くないだろうと思った。

でも母はそうじゃなかった。私が第一志望で受験した大学は、母にとっても憧れの大学だった。だから母はまるで自分が受験するかのような心持ちで娘の受験期を過ごしていた。そんな母の目にスカイツリー観光をする私は、さぞかし受験生の親として自覚や緊張感が足りないように映ったことだろう。

娘の将来や受験という節目を軽く考えていたわけではない。でも受験は本人が自分の目標に向かって引き受けている試練であって、親はいっしょに苦悩している場合じゃない。親にできることは、お金を出して、環境を整えて、信じること。
そして受験は人生の通過点であり、ゴールでもなければ失敗したら人生終わりでもない。結果にこだわりすぎないことが大事なんじゃないかと思っている。

そんなふうに私は母とはちょっと違う価値観を確立したにもかかわらず、母の一言に苛立ってしまった。いくつになっても親の立場から娘を戒めようとする母の態度と、戒められようとする私自身の娘としての反射神経。この2つの針に一瞬チクッと刺されてしまった。

祈りもスカイツリーも関係なく、娘は自分の力で合格した。
同じように娘のことを思っていても、母と私では気持ちの置き場所が違う。

母は、祈る母。私は、スカイツリーに上る母。
あのLINEには、「スカイツリーに上って天に近いところで祈ったよ」と返したが既読スルーだった。

これはいつぞやの飛行機から見えたスカイツリー

そして母は今日もLINEをよこす。
お祭りに参加した孫(息子の方)を見に行った感想が、「大きくなったね」でも「かっこよかったよ」でもなくこの一言。

「〇〇くん、ずいぶん真っ黒い顔してたけど、なんで日焼けしたの?」

しらーーーん(爆)

悪気がないのは分かってる。でもなぜそこを見る。なぜそこを聞く。

母も年をとり、私も年をとり、母との関係が少ししんどい今日この頃。年老いた母を支えたいという気持ちと、少し距離を置きたいという気持ちの間で揺れている。

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