「歳をとる」ということは、「敗北」ではないということ。
某有名作家さんの記事を引用したいけど、有料記事なので何らかの侵害にならない程度に書き記そうと思う。
若い頃は、変化や刺激を求めるのが当然で、それが減ることはどこか「敗北」のように感じていたけど、今(60歳くらい?)はそれが、内面の豊かさへ向かう自然な移ろいだと理解できるようになった 、というお話。
彩り豊かな実体験を交えて、軽やかに流れてふわっと余韻を残すようなエッセイ。
プロはやっぱりちがうわあ…
それはともかく、今50歳の私だけど、これを読んで共感の鐘がゴーンゴーンと鳴り響いたのだった。
私も、若い頃はまったく想像がつかなかった。
流行りの服を着て、流行りのヘアスタイルとメイクで、興味をもったことになんでも挑戦し、いろいろなところに出向いて、たくさんの人と交流する。
これができなくなったら人生終わりだと思っていた。
おばさんってどうしておばさんっぽい格好をするんだろう、歳をとっても若い人の流行を取り入れればいいのに、私ならそうする、みたいなことを思ったりして。
こっぱずかしい!やれるもんならやってみろ!(あの頃の自分へ)
だから敗北感を感じていた時期もある。
まだ若い頃と同じように体が動き、それなりに若いスタイルも似合っていた40代前半。
そこから40代後半にかけて、それまで着ていた服が似合わなくなり、メイクが浮き、何かしようにも体が動かない、無理に動くとどこか痛める、疲れがとれない、いったい私はどうしてしまったのだろうと、心も体もまさにジェットコースターで急降下しているような時期。
事あるごとに焦りと虚しさを感じていた。
しかし、ある時ついに若さへの執着を手放した先に、新しい世界が見えた。
健康で、清潔で、心地よいこと。
外から熱い刺激を受けるより、内側が充実していて豊かであること。
他人の価値観に左右されず、自分軸でいること。
流行っているか、どんなふうに見えるかよりも、好きか、心地よいかで選ぶ。
想像して楽しむことと、実際に体験することとを分ける。するとおのずと体験の質が変わる。
自分の感情の主導権は自分が握る。他者のふるまいに期待しない。
そして、無理をしない。
そんなふうにマイペースに過ごしていると、たまのドキドキやワクワクはとてもさわやかなスパイスになる。
もちろん、いくつになっても刺激を求めてアグレッシブに生きられる人もいるだろうけど、それが正解でこっちが不正解ということでは決してない。
「歳をとる」ということは、流行や常識や役割やイメージにとらわれず、どんなときも自分にとって心地よいものを選択して生きるモードに変わっていく、ということなんだ。
人生終わりどころか、むしろ人生の始まりなんじゃないかとさえ、今は思う。
私は仕事も遊びも広く浅くいろんなことをやりすぎて、結局何もモノにしていないじゃないか!と自分を責めたこともあったけど、今こうして自分にとって心地よいものを選んで生きるモードになると、多少無理をしてでもいろんなことを経験して知っておいてよかったなと思う。
母も祖母も親戚のおばさんも、学校の先生も職場の先輩も、みんなこういうモード転換期を過ごしていたんだろうなあ。
若い頃はまったく見えていなかった。
おばさんという人種は「女を捨てた」みたいに言われがちだけど、それは新たな「女性性」を獲得した神々しい姿だったのだ(笑)
そう考えると私はまだニューモード初心者。
これから自分の感性を贅沢に味わえるのが楽しみでもある。
とはいえ、あまりにも自分の心地よさにシフトしすぎると「老害」の域に振り切ってしまうので、社会の中で美しくあろうとする気品と配慮は忘れずにいよう。
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