見出し画像

生涯映画人 안성기 배우님을 추모하며

生涯映画人。
韓国映画百年史の3分の2近くを韓国映画と伴走した俳優アン・ソンギを悼んで。韓国映画の中のアン・ソンギは韓国の近現代史を韓国人の心にも刻んできた。

まだ韓国映画が世界にそれほど知られていない頃、鬼才キム・ギヨン監督映画のドアを子役として開け映画界に入っていったアン・ソンギ。
昨年亡くなった韓国のトップ女優キム・ジミと共演した『黄昏列車 황혼열차』(1957年)がデビュー作。そこから1950年代~1960年代は韓国映画往年の巨匠たち、キム・ギヨン監督やシン・サンオク監督、ユ・ヒョンモク監督にキム・スヨン監督らの作品に子役として多数出演。
(以下、映画の核心に触れる部分もございます)

エズラ・ヴォーゲルも後に「アジア四小龍」を書いていた通り、高度経済成長するアジアのFour Asian Tigers/Dragonsの1970年代は韓国を代表する小説家のひとりチョ・セヒ 조세희 が書いた連作小説「こびとが打ち上げた小さなボール 난장이가 쏘아올린 작은 공」にも表れている。その映画化作品にもアン・ソンギは1981年に出演していた。前年のイ・ジャンホ監督『風吹く良き日 바람불어 좋은날』では漢江の奇跡、急速に近代化する韓国社会で疎外されもがき逡巡する青年たち。そんな青年若者たちと等身大の姿でスクリーンに登場し共感を得てここから「アン・ソンギ時代」が始まっていた。

韓国ニューウェーブ映画の旗手イ・ジャンホ監督、ペ・チャンホ監督、パク・グァンス監督映画の主人公としても。同じ時代、イム・グォンテク監督映画で最も美しいとされる『曼陀羅 만다라』を通して韓国映画は少しずつ世界に知られるようになっていたが、同作品で真面目な僧を演じていたのもアン・ソンギ。映画を通して多様な姿を見せている。
ペ・チャンホ監督『ディープ・ブルー・ナイト 깊고 푸른 밤』に『鯨とり 고래사냥』、パク・グァンス監督『チルスとマンス 칠수와 만수』の80年代、
スクリーンの中も外も、熾烈な時間の層の中で生きている、映画と現実の同時代性。

1980年代後半から1990年代にかけてはミジャンセン映像美で名高いイ・ミョンセ監督デビュー作『ギャグマン 개그맨』にも主演。カン・ウソク監督『トゥ・カップス 투캅스』でコメディ・スターぶりも発揮しつつ、社会派チョン・ジヨン監督作品も。

民主化後がくっきり刻まれ、国際共同製作や合作も始まった2000年代。
中国を代表する女優チャン・ツィイー(章子怡, 当時はデビュー間もない)と共演したキム・ソンス監督『MUSA -武士- 무사』のような東アジアが舞台のスケールの大きな史劇にも出演。映画公開時に観た約23年前<その時代アジアが共有していた心が深い部分で3つの民族の共通言語になっている>と書いていたが、アジアの文化的つながりを通して互いに疎通できる普遍性が
強く印象に残ったことをおぼえている。

2000年代の韓国は南北分断の痛みをまだ抱えたまま痛切に感じることも少なくなかっただろう。その頃カン・ウソク監督『シルミド SILMIDO 실미도』にも出演。一方、1998年頃からの米韓投資協定を通して始まった米国による
韓国映画スクリーン・クォータ制廃止圧力に対し映画人が声を上げ始めた。
2003年にも米国は韓国に圧力、米韓FTA交渉に際し2006年にもまた米国がスクリーン・クォータ制廃止圧力をかけていた。その中でアン・ソンギは映画人対策委員会共同委員長として前面に出て韓国映画を守り韓国文化を支えようとスクリーン・クォータ制廃止に反対し、映画人が毎日一人ずつプラカードを持って街頭に立つリレーデモにも参加していた。韓国映画愛あふれる俳優は韓国映画を守るという使命感のままに路上にも出て行動していた。

アシアナ国際短編映画祭(AISFF)の実行委員長やDMZ国際ドキュメンタリー映画祭の組織委員なども務め、後輩を見守り支える育成も含めた映画愛にあふれる俳優の生涯だったが、釜山国際映画祭名誉執行委員長キム・ドンホ氏が初監督した短編映画『JURY』でアン・ソンギ演じた優柔不断な映画祭審査委員長のユーモラスな姿も思い浮かぶ2010年代。盟友のひとりともいえる俳優パク・チュンフン監督作『トップスター 톱스타』への出演も。イ・ジュニク監督、チャン・リュル監督、シン・ヨンシク監督ら作品にも出演して
縁を結んでいた。

2020年代。
コ・フン監督『紙の花 종이꽃』で主人公の葬儀師(アン・ソンギ)は1980年の光州を述懐する。
(以下、映画の核心に触れる部分もございます)
<軍に所属していた当時、部隊が光州に配置された。私は戦争が始まったと思った、人々が銃を持っていたからだ...>
公開時にはアン・ソンギも出演した『光州 5・18 화려한 휴가』(キム・ジフン監督)が思い出され、歴史が呼び起こされるセリフだった。しかし、2024年12月3日を経験した後は、どこへ配置されるともわからずに送られ銃を持たされ、戦争が始まったと思わされる状況が戦慄をもってリアルに伝わってくる。あの「非常戒厳」宣布の状況を甦らせもして。戦争や殺戮にそうやって巻き込まれうる、民主主義というシステムの脆弱性を目の当たりにしたから。一方、映画の中のアン・ソンギは歴史を忘却せず、歴史に真摯に向き合う韓国の大人の姿だった。

2020年代最後はキム・ハンミン監督の李瞬臣三部作映画『ハンサン -龍の出現- 한산: 용의 출현』、『ノリャン -死の海- 노량: 죽음의 바다』で
李舜臣を支える老将어영담 魚泳潭・光陽縣監を重厚に演じていた。
闘病の間に出演した作品で遺作。敵将にも「潔い」と言わしめるほど高潔で
見乃梁の水先案内人として正義の戦いの前線に立つ姿は、韓国映画を守る使命を全うし続けて来た俳優の現実の姿ともオーヴァーラップし、壮年になった韓国映画界の品位ある大人としても映っていた。

約10年前に、韓国映画で妻、娘、母に最もふさわしいのはチェ・ウニではなかったか...と書いていた
韓国映画百年の歴史の中で60数年を映画と共に歩んだアン・ソンギは、幼いころは韓国映画の頑是ない息子として、やがて韓国映画の隣の青年として同志として、あるいは夫として父として、そして先輩・師として、品格ある大人、착한 사람としても永遠に心に残るだろうと確信する。

韓国ユニセフによると、40年以上前からUNICEF親善大使などとしてボランティア活動も続けていたアン・ソンギ。韓国芸能界に顕著なのは寄付や社会貢献だが、その対象は世界にも向いている。韓国がまだ発展途上で不安定だった頃から寄付やボランティアなどを通して世界の子どもたちにもドアを開いていたのが俳優アン・ソンギ。朝鮮戦争のさ中に誕生した俳優本人は、社会が混乱していたため出生届も遅れて出されたらしい。だからかもしれない、戦争や紛争などで苦しむ世界の子どもたちへの関心と愛をずっと深く持ち続けてきていた。韓国映画界の善き大人、先輩としてだけでなく、世界の子どもたちに対しても愛を与えるよき大人だった俳優。
「子どもたちに向き合うたびに、受け取るよりも与えるよろこびの方が大きいと気づかされる」とも語っていたそう。

2023年にシリア・トルコ地域で大きな地震が発生した際、韓国ユニセフを通じて寄付を届けたのはBTSのメンバーだけでなく俳優ソル・ギョング、ソン・ユナ夫妻にキム・ヘスはじめ芸能界からも数々の支援がすぐに集まっていた。アン・ソンギ俳優の撒いたグッドウィルGoodwillの種が韓国映画界の後輩たちにも確実に引き継がれ受け継がれ、韓国社会のあちこちで芽を出し育ち、世界にも差し伸べる手となっているよう。そこから世界中の多くの子どもたちを守る樹、枝としても広がっていっていることも心にとどめたい。
子役として韓国映画界に入る扉を開けた俳優は、その後は後輩たちのためにもドアを開け扉が閉まらないように支え押さえ続けジェントルにたたずんでいた。そのドアは海外の子どもたちのためにもやさしく開けられていた。
どうか安らかにお眠りください

釜山国際映画祭開催中、海雲台の海岸にアン・ソンギ俳優のお顔が...

初出

Copyright 2003-2026 아포방포. All rights reserved.

本note(ブログ)、サイトの全部或いは一部を引用、言及する際は
著作権法に基づき出典(ブログ名とURL)を明記してください
無断で本ブログ、サイトの全部あるいは一部、
表現情報、意見、
解釈、考察、解説
ロジックや発想(アイデア)
視点(着眼点)写真・画像等も
コピー・利用・流用盗用することは禁止します。
剽窃厳禁
悪質なキュレーション Curation 型剽窃、
つまみ食い剽窃もお断り。
複製のみならず、
ベース下敷きにし、語尾や文体などを変えた剽窃、
トレース、リライト

切り刻んで翻案等も著作権侵害です。

いいなと思ったら応援しよう!

아포방포 Lectori salutem💜