『 マジックスネーク 』 ってなんやねん
🦆💬
マジックスネークという玩具がある。
24個の三角形状のパーツが一本につながっていて、
それぞれの関節を回転させることで、
さまざまな立体を作ることができる。
犬。
鳥。
ボール。
コブラ。
謎の物体。
名前すら付けられない形。
カチャカチャと関節を回しているだけなのに、
さっきまで一本の棒だったものが、突然「 何か 」になる。
私はこの玩具が昔から好きだ。
というより、改めて考えてみると、とんでもなく面白い玩具だと思う。
なぜ、もっと人気がないんだ。
こんなにエキサイティングな玩具はなかなかない。
ルービックキューブは犬しか作れない
比較すると分かりやすい。
立体パズルの王様といえば、ルービックキューブだろう。
六面の色を揃える。
完成。
そして人々は、その完成までの時間を競う。
10秒。
5秒。
3秒。
0.1秒でも速く。
競技として高度なのは分かる。
膨大なパターンを認識し、
アルゴリズムを覚え、
指の動きを最適化し、
ミスを減らし、
極限まで時間を削る。
これはこれで、ものすごい世界だ。
ただ、
マジックスネーク側から見ると妙なことになる。
ルービックキューブは、
犬しか作れない立体パズル
みたいに見えるのだ。
何度やっても最後に作るものは同じ。
犬。
今日も犬。
明日も犬。
世界中の猛者が集まって、
「 誰が一番速く犬を作れるか 」
を0.1秒単位で競っている。
もちろん、
これはルービックキューブを否定しているわけではない。
むしろ重要なのは、
遊びの方向がまったく違う
ということだ。
収縮と拡散
ルービックキューブは、収縮する玩具だ。
バラバラになった状態から、ひとつの完成状態へ向かっていく。
可能性を減らす。
正解へ近づく。
余計なものを削る。
最適化する。
完成形は決まっている。
だから、
「 どうすればもっと速く辿り着けるか 」
という研究が始まる。
これは収縮の面白さだ。
一方、マジックスネークは逆方向へ進む。
一本の状態から、
「 これ、何になる? 」
が始まる。
一回曲げる。
また曲げる。
さらにひねる。
すると、
「 なんか鳥っぽいぞ 」
となる。
さらに動かす。
「 いや、犬になった 」
また動かす。
「 なんだこれ 」
また動かす。
「 でも、この形かっこいいな 」
可能性が増えていく。
つまりマジックスネークは、
拡散する玩具
なのだ。
正解へ向かう遊びと、正解を生み出す遊び
この違いは大きい。
ルービックキューブでは、正解が先に存在している。
プレイヤーの仕事は、そこへ辿り着くことだ。
マジックスネークでは、正解そのものをプレイヤーが作る。
犬を作れば犬が正解になる。
鳥を作れば鳥が正解になる。
名前のない形を作ったっていい。
だから、
「 何が正解か 」を決める権利が遊ぶ人間側にある。
ここが非常に面白い。
普通のパズルでは、間違いは間違いだ。
狙った場所と違うところを動かした。
失敗。
一手戻す。
ところがマジックスネークでは、
間違えて関節を回した結果、
「 待て、この形いいな 」
が発生する。
エラーが発見になる。
失敗だったはずのものが、新しい完成形になる。
これは創作そのものだ。
制約があるから面白い
ただし、マジックスネークは完全に自由なわけではない。
ここがさらに重要だ。
粘土なら、かなり自由に形を変えられる。
紙なら切れる。
積み木なら増やしたり減らしたりできる。
しかしマジックスネークは、基本的に与えられた部品だけで戦う。
24個。
増えない。
減らない。
接続関係も決まっている。
関節の動きにも制限がある。
つまり、
ものすごく不自由だ。
でも、その不自由さが面白い。
何でもできるわけではないから、
「 この制約の中で、どこまで違うものが作れるんだ? 」
という問いが生まれる。
創造性とは、完全な自由から生まれるとは限らない。
むしろ、
制約と自由の境界
から生まれることが多い。
俳句は17音しかない。
将棋は駒と盤面が決まっている。
音楽にも音階や拍子がある。
建築には土地も予算も法律もある。
デザインにも目的やサイズや素材がある。
何も制約がなければ、そもそも工夫する必要がない。
マジックスネークは、
その構造を玩具としてものすごく単純な形で持っている。
24個しかないのに、まだ知らない形がある
これも興奮するところだ。
部品数は最初から分かっている。
構造も分かっている。
手のひらに乗る。
それなのに、
まだ自分が知らない形が存在する。
宇宙の果てへ行かなくていい。
深海へ潜らなくていい。
机の上の24個の部品だけで、
「 未発見 」
が発生する。
この感覚はかなり異常だ。
昨日まで知らなかった形を今日発見できる。
しかもそれを誰かが見て、
「 何それ、作り方教えて 」
となる。
すると発見された形が共有される。
名前が付く。
番号が付く。
作り方が記録される。
その瞬間、
ただの個人的な遊びが、
知識体系
になり始める。
36種類から100種類へ
現在、自分の中では36種類ほど形がある。
だったら、それぞれを競技にできる。
犬を最速で作る。
鳥を最速で作る。
ボールを最速で作る。
コブラを最速で作る。
形ごとにタイムアタックが成立する。
ここで、ルービックキューブ的な「 収縮 」が戻ってくる。
面白い。
最初は、
「 何が作れる? 」
と拡散していた。
形が発見された。
その瞬間、
「 じゃあ、これをどうやったら最速で作れる? 」
と収縮が始まる。
つまり、
拡散によって競技が生まれ、競技によって収縮が始まる。
そして、その収縮を研究している途中で、
「 この途中形状、別の何かに見えるな 」
となれば、
また新しい完成形が発見される。
再び拡散する。
拡散 → 収縮 → 拡散
たぶん、この循環が一番面白い。
新しい形を発見する。
拡散。
↓
その形を速く作る方法を考える。
収縮。
↓
別の変形ルートを試す。
拡散。
↓
最速ルートを決める。
収縮。
↓
途中で新しい形を発見する。
また拡散。
終わらない。
完成が終点にならない。
完成が次のスタート地点になる。
これは創作活動にもかなり近い。
一作品完成した。
終わり。
ではない。
完成したものを見たことで、
「 じゃあ次はこうできる 」
が発生する。
答えを出すと、新しい問いが生まれる。
マジックスネークは、その思考の流れを手で触れる形にしたような玩具だ。
そして100種類揃ったらRTAをやる
ここからさらに面白くなる。
100種類の形が揃ったとする。
だったら、
100種類全部作るRTA
ができる。
ただ100個を順番に作るだけではない。
どの順番で作るかも自由にする。
すると突然、競技の性質が変わる。
AからBへ変形するのは速い。
でもAからCへは遅い。
BからCへは速い。
だったら、
A → C → B
より、
A → B → C
のほうが速いかもしれない。
つまり単純に、
「 一個一個の形を速く作れる人 」
だけが勝つとは限らなくなる。
形と形の間をどうつなぐか
が重要になる。
完成形ではなく「 間 」を研究する
ここが相当面白い。
普通、作品を見るときは完成形を見る。
犬。
鳥。
ボール。
でもRTAになると、
重要なのは完成形だけではなくなる。
犬から鳥へどう行くか。
鳥からボールへどう行くか。
その「 間 」が競技になる。
つまり、
形態ではなく変形そのものが研究対象になる。
これは完全に別世界だ。
例えば、
「 36番から72番への変形は通常8手だが、持ち方を逆にすると6手で行ける 」
みたいな発見が起きるかもしれない。
すると、
新ルート。
ショートカット。
テクニック。
選手ごとの得意経路。
戦略。
研究。
そういう文化が勝手に立ち上がってくる。
100個の順番だけでも、とんでもない
100種類を一度ずつ作るだけでも、
順番は100!通り存在する。
約9.33 × 10の157乗。
数字がデカすぎて、もう「 何兆 」という日本語ではどうにもならない。
ただし現実のマジックスネークでは、すべての数学的な並びが同じように実現できるわけではない。
関節構造や対称性、同一形状、物理的な操作制約などがある。
だから重要なのは、巨大な数字そのものではない。
重要なのは、
ルート探索という新しい遊びが発生すること
だ。
同じ100形態でも、
巡回順によってタイムが変わる。
だったら、最適解を探したくなる。
するとRTAプレイヤーだけでなく、
ルート研究者まで現れる。
人間、こういう無駄に壮大なことを始めると急に本気になる。
そこがいい。
2本使えば、さらに世界が広がる
そしてマジックスネークは、別に一本で遊ばなければならない理由もない。
2本使う。
すると単純に部品が増えるだけではない。
関係性が増える。
左右対称の形。
巨大な生物。
二つの独立した物体。
絡み合う構造。
片方が胴体で、もう片方が翼。
片方が台座で、もう片方が上部構造。
一本では成立しなかった形が現れる。
一本の内部での変形だけでなく、
一本と一本の関係
までデザイン対象になる。
ここまで来ると、もはや単なるパズルではない。
小さな立体造形システムだ。
部品ではなく「 関係 」が形を作る
マジックスネークの面白さを突き詰めると、ここに行き着く。
部品そのものは変わらない。
昨日の犬を構成していた部品と、
今日の鳥を構成している部品は同じ。
違うのは、
部品同士の関係だけ。
どの向きで接続しているか。
どこで折れているか。
全体としてどう配置されているか。
それだけで、
人間の目にはまったく別のものとして認識される。
つまり、
意味は部品そのものだけに宿っているわけではない。
関係性によって意味が生まれる。
これは玩具を超えて、かなり広い話につながる。
文章もそうだ。
同じ単語でも並び方で意味が変わる。
デザインもそうだ。
文字、画像、余白、ボタン。
部品は同じでも配置が違えば体験はまったく変わる。
音楽もそうだ。
同じ音でも順番と間隔が違えば別の曲になる。
社会もそうかもしれない。
同じ人間でも、誰とどう接続されているかで集団の性質は変わる。
マジックスネークは、
関係性が全体を作る
という非常に大きな原理を、手のひらサイズで見せてくれる。
人間はなぜ「 犬 」だと思うのか
さらに不思議なことがある。
マジックスネークで犬を作る。
でも実際には犬ではない。
プラスチックである。
毛もない。
目もない。
吠えない。
尻尾すら雑な三角形かもしれない。
なのに、
人間は見る。
「 犬だ 」
と。
なぜだ。
どれだけ情報を削っても、ある配置を超えた瞬間に、脳は対象を認識する。
つまりマジックスネークは、
人間が何をもって「 形 」を認識しているのか
を観察する道具にもなる。
どこまで抽象化しても犬なのか。
どの関節を一つ動かした瞬間、犬ではなくなるのか。
犬と鳥の境界はどこなのか。
これは認知の問題だ。
立体パズルの顔をしているくせに
触っていると突然、
認知科学みたいな話まで出てくる。
欲張りな玩具である。
正解がないことは欠点なのか
おそらく、
マジックスネークがルービックキューブほど
競技文化として巨大化しなかった理由の一つは、
ゴールが分かりにくいこと
だと思う。
ルービックキューブは明快だ。
揃えば成功。
時間を測れる。
比較できる。
順位を作れる。
初心者も世界王者も同じゴールを見ている。
これは競技として非常に強い。
マジックスネークは、
「 何でも作っていいよ 」
と言ってくる。
自由だ。
しかし自由は、必ずしも遊びやすいとは限らない。
人間は時々、
「 で、何をすればいいの? 」
となる。
だから正解がないことは、
大衆的なゲームとして見ると弱点にもなる。
でも私は、
そこが一番好きだ。
「 正解がない 」のではなく「 正解を増やせる 」
ここは区別したい。
マジックスネークには正解がない。
そう言うと、
何をやっても同じ。
評価不能。
ただの自由遊び。
みたいに聞こえる。
でも実際には違う。
犬という形を発見した瞬間、
「 犬を作る 」
という新しい課題が生まれる。
つまりプレイヤーが、
新しい正解を追加できる。
これが面白い。
最初から用意された問題を解くだけではない。
自分で問題を発見して、
その問題を後から競技にできる。
遊ぶ人間が、
プレイヤーからゲームデザイナーへ移動する。
ルールまで作れる玩具
ここがマジックスネークの強烈なところだ。
例えば、
一形態タイムアタック。
ランダム指定。
10形態連続。
100形態RTA。
目隠し。
左右の手を限定。
最少操作数。
二本部門。
制限時間内の新形態発見数。
テーマ指定造形。
他人が作った未知形態を再現。
いくらでも競技を作れる。
つまり、
玩具の中に遊びが入っているのではなく、
遊びを作るための仕組みが入っている。
これはかなり特殊だ。
収縮も面白い。でも私は拡散が好きだ
ここまでルービックキューブと比較してきたが、
結局どちらが優れているという話ではない。
収縮には収縮の面白さがある。
一つの目標に向かって、
無駄を削る。
技術を磨く。
精度を上げる。
極限まで最適化する。
これも人間の知性の一つだ。
ただ、私は拡散が好きだ。
一つのものから、
「 こっちもある 」
「 あっちもある 」
「 これとこれを組み合わせたら? 」
「 2本使ったら? 」
「 100種類集めたら? 」
「 大会にしたら? 」
と可能性が増えていく方が興奮する。
一本道を速く走るより、
道そのものが増殖していくところを見たい。
マジックスネークは「 問いを増やす玩具 」
だから、
私がマジックスネークを好きな理由を一言でまとめるなら、
問いを増やしてくれるから
なのだと思う。
これは何になる?
他には何が作れる?
もっと少ない操作で作れる?
別の形から直接変形できる?
100種類作れる?
順番を変えたら速くなる?
2本なら?
3本なら?
競技にしたら?
誰も作ったことのない形は?
触れば触るほど、
答えではなく問いが増える。
そして、増えた問いの一つを解くと、
そこからまた別の問いが出てくる。
玩具とは、本来こういうものでいい
玩具は必ずしも、
「 正しく遊ばなければならないもの 」
ではない。
説明書通りに完成させる必要もない。
ランキングがなくてもいい。
クリア画面もいらない。
遊ぶ人間が勝手にルールを作ってもいい。
壊してもいい。
組み替えてもいい。
意味不明なものを作ってもいい。
昨日と違う遊び方を始めてもいい。
マジックスネークは、それを許している。
むしろ、
勝手に遊び方を増やした人間ほど得をする。
そういう玩具だ。
マジックスネーク大会を開こう
だから私は大会をやりたい。
現在36種類。
まず36競技。
形が増えたら競技も増える。
50。
75。
100。
100種類揃ったら、
100 RTA。
全形態を巡回する最速ルートを研究する。
ルートが更新される。
記録が更新される。
新しい変形技術が生まれる。
途中で新しい形が見つかる。
101種類になる。
また大会が増える。
終わらない。
これでいい。
むしろ終わらないから面白い。
It’s REAL WORLD ?
世界では今日も、
一つの正解へ速く辿り着く能力が高く評価されている。
学校でも。
会社でも。
競技でも。
試験でも。
もちろん、それは必要だ。
でも同時に、
「 そもそも他の形はないのか? 」
と考える人間も必要だ。
一つの犬を0.1秒速く作る研究も面白い。
だが私は、
まだ名前すら付いていない生物を探したい。
完成された道を速く走るより、
誰も道だと思っていなかった場所を曲げて、
「 ここ通れるじゃん 」
と言いたい。
マジックスネークは、
その感覚を思い出させてくれる。
24個の部品。
一本の蛇。
カチャ。
カチャ。
カチャ。
そして突然、
昨日まで世界になかった形が現れる。
それを見て、
「 なんだこれ 」
と笑う。
たぶん、その瞬間が一番面白い。
マジックスネークとは何か
正解のないパズル。
ではない。
正解を増やせるパズル。
完成しない玩具。
ではない。
完成するたびに、次が始まる玩具。
自由な玩具。
だけでもない。
強い制約の中から自由を掘り出す玩具。
そして何より、
可能性を収束させるのではなく、拡散させるための装置。
私は、その拡散が好きだ。
だからこれから、
マジックスネークの魅力を皆さんに伝えていく。
犬だけじゃない。
鳥もある。
球もある。
怪物もある。
まだ誰も名前を付けていない何かもある。
そして100種類揃ったら、
全部作る。
最速で。
どの順番が一番速いかまで研究する。
玩具一個にそこまでやる必要があるのか。
知らん。
面白いからやる。
それで十分だ。
🪄 🐍
ー
👦💬
長ぇーよ。
完
