神武くん東征の謎に挑戦・まとめ― 地形から見えてくる、もう一つのヤマト建国 ―
神武東征の謎に挑戦
― 地形から見えてくる、もう一つのヤマト建国 ―
神武東征を地形から考えると、不思議な点がいくつも見えてきます。
神武軍は一度、生駒・大和川方面から大和へ進もうとして敗れたと伝えられています。
そこで私が考えたのは、紀伊へ転進し、橋本付近から葛城山地を越えて高田・八木方面へ進出したという仮説です。
葛城山地からは奈良盆地を広く見渡すことができ、敵情を把握しながら進軍できた可能性があります。一方、生駒山を越えた先は地形が複雑で、視界や進路にも制約があったのではないでしょうか。
さらに気になるのは、北回りのルートです。
大阪湾から河内へ入り、淀川・木津川を利用して笠置・柳生を経由し、山の辺の道から三輪山、大和三山へ向かうことも考えられます。
もし南の葛城ルートと北の木津ルートが同時に動いていたとすれば、大和へ二方向から進軍する戦略も想像できます。
また、葛城地域には高天原伝承が残り、東には古代から信仰を集める三輪山があります。
その中央には橿原・飛鳥があり、政治の中心は平城遷都まで長く奈良盆地南部に置かれました。
これは偶然なのでしょうか。
それとも、葛城山と三輪山という二つの聖地が、大和王権を支える「両翼」のような存在だったのでしょうか。
さらに、後の陰陽思想や方位観と重ね合わせると、この配置には何らかの意味があった可能性も考えられます。
もちろん、これらは現在の定説ではなく、地形・神話・古代交通・祭祀を重ね合わせた一つの歴史地理学的な考察です。
神話は、史実をそのまま語るものではないかもしれません。
しかし、その背後には、古代の人々が見た風景や戦略、そして建国の記憶が残されているのではないでしょうか。
歴史の謎は、まだ終わっていません。
