言葉の意味より、認識のズレが問題だった
まあ、毎日のように事件が起きてしまうのだが。
保育参観に「行く必要性を感じないとは」?
今度、幼稚園に通う年長さんと年少さんの保育参観がある。これまでの保育参観は全て私が行った。おそらく夫は保育参観があったことさえ認識していない。
それはどうでもいい。
前回の保育参観の時、仲の良いママ友のところは全員パパが参加していた。家族ぐるみで仲がいいところもあるので、「今日はパパさんが観に来たんですね」と話しかけてみた。すると、「子どもの様子を見てみたくて…」と笑っていた。そうだよね。観たいよね。
それを踏まえて、「今度の参観はパパが行く?この前の参観はどこもパパが来てたよ。」と促してみた。
「うーん、行く必要性を感じない。」
え?うん?は?え?んん?
「…なんて言った?」
え?んん??
聞き間違えかと思った。
しかしマジだった。
「…え?どういう意味?」
夫は黙ってしまった。
行く必要性を感じないって…
言い方…
どういうこと?子供に興味がないということ?
本当は「行くという選択肢を持っていなかった」
翌日、夫が申し訳なさそうに、
「やっぱり、参観に行きたい。」と言ってきた。
そうか、と聞いていたら、
「俺の中では、父親は保育参観に行けないと思ってた。俺の親は母親しか行ってなかった。」
ええええ?
理由として出てきた言葉と、
実際の思考過程が全然一致していないじゃん。
「行く必要性を感じない」
これを普通に解釈すると、
・保育参観に価値を感じていない
・子どもの様子を見る必要がないと思っている
・優先順位が低い
という意味になると思う。
でも後から聞いたら、
父親は行けないものだと思っていた。
「必要性を感じない」ではなく、
「選択肢として認識していなかった」
だった。
これは全然違う。
雰囲気でしゃべっている人が存在する
私は長い間、
人は自分が使う言葉の意味を理解した上で話していると思っていた。
だから、「必要性を感じない」のような強い言葉が出てきたら、その重さごと受け取っていた。
でもよく聞くと、本人はそこまでの意味で使っていないことがある。
言葉を軽く使っているのではない。
そもそも、その言葉が持つ影響範囲を把握していないことがある。
このようなタイプの人は、言葉を厳密なラベルではなく、なんとなく近い雰囲気を伝える道具として使っていることがある。
だから、価値判断の問題だと思っていたら、実は認識の問題だった、という経験を私は何度もしている。曖昧に、雑に言語化してしまったせいで、全く意図しない方向へ話が進む。
そして、一番びっくりしているのは本人だったりする。
あんまり酷い時は、私も「100回考えてから言え」なんて言ってしまうが、多分そういう事ではない。
100回考えても、「必要性を感じない」と言うんだと思う。
今は言葉の厳密さを求めるのはやめて翻訳したいと思ってはいるが、このレベルの強い言葉が来るとイライラが勝ってしまう。
一方で私は、結構言葉が強い。
強い言葉を使う前には、
他の表現はないか。この言葉の意味は何か。相手はどう受け取るか。本当にそこまで言い切れるか。
検討している。
勢いで言うのではなく、ちゃんとその意味で言っているので、更にタチが悪い。ごめんね。
もちろん責任は引き受ける。
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