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夕方4時半のお弁当の壁

保育園のお迎えのついでに、
「手作りのお惣菜を受け取れるサービス」が始まったというニュースを見た。

なんていいサービスなんだろう、と思った。

スーパーにもコンビニにも、お惣菜は売っている。
でも、「保育園で受け取れる」というところに心引かれる。

お惣菜を買いに行く時間。
子どもを連れて、お店に寄る手間。
「今日は何にしよう」と考える負担。

これらを全てカバーし、帰宅後すぐに食べられるという安心感と余裕を与えてくれる。

夕食の準備は、ただ作って出せばいい、というものではない

何を作るか考えて、
足りない食材は買い足し、
献立によっては下ごしらえも必要だ。

食べ終われば、後片付けが待っている。

重い鍋を洗い、
油のついたフライパンをこする。

余った食材を片付け、
レンジ周りを拭き、
床のよごれも気になる。

そうやって追われながら、
明日のお弁当のことを考える。

あっという間にお風呂の時間。
子どもとゆっくり話す間もなく、
一日が終わっていく。

だからこそ、
「子どものために栄養バランスにも配慮したお惣菜」を
「保育園で」受け取れるというサービスは、
働く親の
「そこが欲しかった」をピンポイントで叶えてくれる、
温かいエールのようにも思えた。


それで、昔のことを思い出した。

息子が小学校6年生だった頃のこと。

通っていた塾から手紙をもらって帰ってきた。

「これからが学習時間が長くなりますので、軽食を持たせてください」

軽食?

「みんな、お弁当持ってくるんだって」

息子は当たり前のように言った。

塾は夕方4時半からだった。
どう考えても、その時間、私はまだ仕事中だ。

それが悩みの種になった。

塾の日だけ早退する?
それは現実的じゃない。

夫は私より帰宅が遅い。

塾を変える?
いや、息子には慣れた先生や友だちもいる。

そうだ、近くにコンビニがある。

私は仕事帰りに、そのコンビニの前を通ってみた。
数人の小学生が集まって、
チキンやポテトを楽しそうに食べていた。

たまにはいいかもしれない。
でも、毎回となると栄養面が気になる。

楽しそうな子どもたちを見れば見るほど、
なぜかチクリと胸が痛んだ。

ああ、時間さえあれば、
お弁当なんて、いくらでも作ってあげるのに。

私は母親失格なんだろうか。

ギリギリで回している生活は、
たった一つタスクが増えただけで、
全てが崩れ始める。

何度も迷い込んだ自分への問いかけの迷路に、また踏み込む私。

一番大切な子どもを後回しにして、
自分は何のため仕事をしているんだろう。

思考はぐるぐる同じ場所を回り続け、
悶々と悩んだ末、私は思いきって家族に打ち明けた。

すると、同居している義母が穏やかに言った。

「じゃあ、作ってあげようか」

――えっ、お義母さん、いいの?

考えてみれば、
義母は何十年も家庭を支えてきた、家事のプロだ。

女性が家事をし家族を支える。
それが当たり前だった時代に、懸命にその役割を果たしてきた人。

一方私は、仕事に追われる毎日で、
「嫁らしいこと」は何もできていなかった。

仕事のやりがいや自分の生きがいに固執する私は、
義母と比べて自分勝手なのではないか

そんな負い目を、どこかで抱えていた。

息子の塾だって、

「そこまでして、塾に通わせなくてもいいんじゃない?」

そう言われるかもしれないと、勝手に身構えていた。

でも義母は、そんな私にこう言ってくれたのだ。

「できることはするよ。家族なんだから、助け合えばいいんだよ」

義母は最強の味方だった。

そしてその言葉こそ、
「4時半の壁」を壊してくれる、力強いエールだった。

それから数年間、
義母は息子のお弁当を作り続けてくれた。

娘が塾に通うようになると、娘の分まで。

子どもたちは安心して勉強を続け、
私は安心して仕事を続けることができた。

あの頃、
私には助けてくれる義母がいた。

でも、今は親と同居している人は少ないんじゃないかな。

だから、ニュースを見て、胸が熱くなったんだ。

いつも私たちは、じたばたしながら、
子どもの未来も、自分の人生も、
どちらもあきらめないために、味方を探している。

それは決して「手抜き」なんかじゃない。

この社会で堂々と幸せになるために、
共に歩む「家事のみかた」を。



#家事のみかた



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