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【38歳パニック障害】私になにができるの?

38歳、生きています

「今の私に、何ができるだろう」

最近、よくそんなことを考える。

三十八歳。

若いとも言い切れない。
かといって、「もう十分やった」と言えるほど、人生をやりきった感じもしない。

体は、以前のようには動かない日がある。

朝、目が覚めた瞬間から、
「ああ、今日は大丈夫かな」
と思う日がある。

私はパニック障害がある。

「ある」と書くと、なんだかずいぶん簡単だ。

風邪があります。
花粉症があります。

そんなふうに並べてしまえば、それだけのことにも見える。

けれど実際は、そう簡単ではない。

ちゃんと眠ったはずなのに体が重い日。
理由もないのに胸がざわざわする日。
気持ち悪くなったり、息がしづらくなったりする日。

「今日は休みたい」

そう思っても、休めないことがある。

仕事がある。
生活がある。
子どもたちのごはんがある。

そして何より、私は仕事が嫌いではない。

だから困る。

体は「ちょっと待って」と言っているのに、
心は「まだできる」と言う。

私は長い間、その二人の間で働いている。

これまでの私に戻りたい?


昔の私は、もっと何でもできると思っていた。

頑張ればどうにかなる。
努力すれば追いつける。
ちょっとくらい無理をしたって、寝れば治る。

人生には、体力という名の貯金が無限にあると思っていた。

でも、三十八歳になって分かった。

貯金には限りがある。

しかも、いつの間にか減っている。

ある日突然、
「あれ、こんなに残高なかったっけ?」
となる。

若い頃は、徹夜しても翌日にカフェラテを飲めば復活した。

今は、カフェラテを飲んでも眠い。

むしろ二杯飲むと、カフェインの効果で心臓がドキドキと、難しい意味で元気になる。

それはそれで困る。

できない事、できる事。


パニック障害になってから、「できないこと」を数えるのが上手になった。

今日は遠くまで行けない。

人前で自分の意見を言うのが怖い。

体調が悪くなったらどうしようと思うと、新しい場所に行きにくい。

朝、ちゃんと起きられるか不安。

仕事中に具合が悪くなったらどうしよう。

考え始めると、できないことはいくらでも出てくる。

まるでスーパーの特売品みたいに、次から次へと。

「本日限り! 不安、詰め放題!」

そんなもの、いらない。

でも、勝手にカゴに入ってくる。

だから最近は、少し考え方を変えることにした。

「何ができないか」ではなく、

今の私に、何ができるか。



以前と同じようには働けない日がある。

でも、今日できることはある。

朝、ちゃんと起きて仕事へ行く。

笑顔で挨拶をする。

コーヒーを一杯、丁寧にいれる。

誰かの話を聞く。

後輩が困っていたら手を貸す。

「ありがとう」と言う。

家に帰って、ごはんを作る。

洗濯物をたたむ。

子どもの話を聞く。

疲れたら休む。

それだけ。

書いてみると、ずいぶん地味だ。

誰かが表彰してくれるわけでもない。

「本日の洗濯物、非常にきれいにたたまれていました!」

なんて通知も来ない。

でも、生活って、案外そういう地味なことの集合体なのだと思う。

毎日、大きなことを成し遂げなくてもいい。

今日一日を、なんとか終える。

それだけでも、ちゃんと生きている。

私だって最強さ


私は今でも、以前の自分に戻りたいと思うことがある。

体調のことなんて気にしないで、どこへでも行けた自分。

「大丈夫、大丈夫」と笑っていた自分。

何でもできるような気がしていた自分。

でも、もしかしたら私は、
以前の自分に「戻る」必要なんてないのかもしれない。

今の私は、あの頃の私より弱いのだろうか。

そう思っていた。

けれど、違うのかもしれない。

不安を抱えながら出勤する。

体調が悪くなるかもしれないと思いながら、仕事をする。

本当は横になりたい日も、家族のために夕飯を作る。

そして、無理をしすぎたら休むことも覚えようとしている。

これって、案外すごいことじゃないかと思う。

「できる人」だけが強いのではない。

「できないことがある自分」を連れて、それでも今日を生きる。

それも、ひとつの強さだ。


私は今でも、以前の自分に戻りたいと思うことがある。

体調のことなんて気にしないで、どこへでも行けた自分。

「大丈夫、大丈夫」と笑っていた自分。

何でもできるような気がしていた自分。

でも、もしかしたら私は、
以前の自分に「戻る」必要なんてないのかもしれない。

今の私は、あの頃の私より弱いのだろうか。

そう思っていた。

けれど、違うのかもしれない。

不安を抱えながら出勤する。

体調が悪くなるかもしれないと思いながら、仕事をする。

本当は横になりたい日も、家族のために夕飯を作る。

そして、無理をしすぎたら休むことも覚えようとしている。

これって、案外すごいことじゃないかと思う。

「できる人」だけが強いのではない。

「できないことがある自分」を連れて、それでも今日を生きる。

それも、ひとつの強さだ。


これからの私って?

三十八歳の私は、まだ途中だ。

社員になるかもしれない。

ならないかもしれない。

新しい仕事に挑戦するかもしれない。

今の場所で、もう少し頑張るかもしれない。

YouTubeをまた始めるかもしれない。

文章を書くことが、これからの私の居場所になるかもしれない。

正直、分からない。

人生のことなんて、三十八歳になっても全然分からない。

むしろ、若い頃より分からなくなった。

でも、一つだけ分かったことがある。

未来の私に必要なのは、
「何でもできる元気な私」じゃない。

今日の自分にできることを見つけて、それをちゃんとやれる私。

今日は働けた。

それでいい。

今日は休めた。

それもいい。

泣いてしまった。

まあ、そういう日もある。

何もできなかった。

本当に何もできなかったのなら、息をしていた。

それで一日分、生きた。

三十八歳。

パニック障害を抱えながら、
相変わらず不安になったり、
将来のことを考えて眠れなくなったり、
「このままでいいのかな」と思ったりしている。

それでも朝になれば、ディカフェコーヒーを飲む。

仕事へ行く。

誰かと笑う。

家に帰る。

そして、また明日のことを考える。

きっと私は、これからも完璧にはならない。

元気いっぱいの日ばかりでもない。

できないことも、なくならない。

でも。

今の私にできることは、まだたくさんある。

そう思える日は、少しだけ前を向ける。

だから明日もきっと、できることを一つ探す。

大きなことでなくていい。

誰かに褒められなくていい。

昨日の自分より、ほんの少し。

今日の私にできることを。

それだけでいい。

それだけで、私はまだ進んでいる。

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珈琲と余白 読んでくれてありがとうございます。 同じように悩む誰かの小さな支えになりますように。 もし少しでも心に残ったら、応援してもらえたら嬉しいです。