子育て卒業ママからの問い『心配して、楽しいですか?』
私はもう、子育てを終えました。
二人の息子は立派に成人し、今では自慢の息子たちです。
振り返ると、母親としても、人としても、私のほうが彼らに育ててもらっていたのだと感じます。
時代は令和になり、きっと子育ての形も、私の頃とは少し違っているでしょう。
それでも、「子どもを信じる」という本質は、きっと変わらない。
私の子育ては、途中から楽々になりました。
それは、運ではなく、選択の結果。
子どもを「信じる」と決めたあの日から、私の中で何かが変わりました。
子どもを信じる
― クローゼットにしまったゲーム機 ―
我が家では、長い間ゲーム機を禁止していた。
理由は単純。「勉強がおろそかになるから」
長男はもともとゲームに関心がなく、そのルールに特に不満もなかった。
でも、次男はちがった。
当時の私は、勉強は大事と疑っていなかった。
「ママはあなたたちのことを信じているよ」と、よく言っていた。
でも今思えば、その言葉を口にすることで、
自分が安心したかったのかもしれない。
ある日ふと、そんな自分に問いが浮かんだ。
信じていると言いながら、なぜゲームは禁止なんだろう?
その矛盾に気づいたとき、私の中のルールが消えた。
そして、次男が中学2年生のとき、任天堂スイッチの購入にOKを出した。
プレー時間の制限もなし。
いわばやりたい放題方式。
ただし18歳未満仕様で。
成績が下がったら? ゲーム漬けになったら? そんな想像はいくらでもできた。
でも、「この子を信じられる母でいたい」という思いが、無駄な想像を消してくれた。
私がコントロールする母親をやめることを選んだ瞬間だった。

次男は、スマッシュブラザーズに夢中になった。
気がつけば地元ではローカルチャンピオン。
友人たちは「どうせ勝てないから」と、
一緒にプレーしたがらなくなったほど。
ある日、部屋をのぞくと、次男が真剣な顔でコントローラーを握っていました。
「何してるの?」
「技を出すトレーニング。」
「へぇ〜!すごいなあ。努力してるんだね」
「負けるとさ、次は絶対勝ちたい!って思うから。」
負けを糧にできるタイプ。
悔しさをバネにして、自分の力に変えていく。
そして、家族で「マリオパーティ」をする時間もあった。
ワイワイ笑いながら、一緒に遊ぶその時間は想像以上に楽しくて、ゲーム=悪という考えが、消えていった。
ゲームを解禁してから、周りのママ友に驚かれた。
「とうとうゲーム機、解禁したんだって。大丈夫? 」と心配されることも。
コントロールする母親をやめたので、私の中に心配は生まれなかった。
何かを制限したり、口を出したりしなくても、ただ見ているだけで十分だと感じた。
そして、私が何も言わなくても、大事な試験の前には自分でゲーム機をクローゼットにしまい、勉強に集中するようになっていた。
ある日、姉からこんな話を聞いた。
「同級生の家庭のと比べ、『うちは自由にさせてもらってるし、やりたいことを応援してもらえるし、信じてもらってる感じがあるから、ラッキーだと思う』って言ってたよ。」
私の『子どもを信じる』の思いが伝わっていた。
今、息子は大学3年生。留学先でもゲームが橋になって友人が増え、腕を買われて大会に誘われた、とメッセージが届いた。
子どもの心配をするのは親の役目、そんなことも聞くけれど、心配して、楽しい?
子育て、親も子も楽しく、軽やかに成長していけるならその方がいいんじゃないかなと思う。
「どんなあなたでも信じている」このマインドを持っているとそれが可能だと経験したのでした。
~ARYA~
最後まで読んでくださってありがとうございました。

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