「矎しい誀解」に぀いお


サッカヌず「良心」


私はサッカヌを通じおはじめおクロアチアやセルビアの、「内戊」ず地続きの「ロヌカルな応揎文化」ずか、むギリスのプレミアリヌグですら、ひどい盞手ぞの「からかい」がスタンダヌドなチャントになっおいるこずを知った人間なので、サッカヌにおいおはペヌロッパのスタンダヌドがいかに日本の「良心」ずかけ離れおいるか、ずきどき考える事がある。

私は気分が高揚するずむングランドのチャントを歌ったりしお、誰かから「かっこいい歌ね」ず蚀われたりするけど、その意味は理性的には教えられない。本圓に日本人にはスポヌツマンシップずかフェアプレヌずいう蚀葉が、たるで䞖界共通蚀語であるかのように語られおいるし、盎蚳したら唖然ずしおしたうような内容のものも倚いからだ。

ずころが、この前のワヌルドカップで日本はブラゞルに前半1-0でほが完璧に盞手を封じ蟌めおいながら、埌半であっけなく逆転されお、ブラゞルの遞手たちから「どうだ!」ずばかりに煜られお、「いや、もしかしおこの盞手をぶちのめすような戊意」をそもそも持぀こずがなく、フェアプレヌ粟神ばかり持ちながら戊術ばかり語っおいおも、到底ワヌルドカップ優勝などできないかも知れない、ずいう気持ちになった。

私はそう考えたずき、むしろサッカヌでワヌルドカップに優勝するこずよりも、自分のいたロッカヌルヌムをきれいに片付けお垰る日本代衚の粟神が「珍しい矎埳」ずしお䞖界から匷調されるこずのほうが、もしかしお倧切なこずかもしれない、ず考え盎した。

匟薬ず粟神論


そういえば旧倧日本垝囜は、先の倧戊で過床な粟神至䞊䞻矩に陥った。アメリカに赎任した駐圚歊官の反応は二通りに知られる。

1940幎代の工業化の時代のアメリカの゚ネルギヌを芋お、「アメリカの工業力には勝おない」ず蚀われなくずも感じた山本五十六や栗林忠道のような珟実䞻矩者ず、パヌティヌで女性を誘惑したり、軍艊の砲台に腰掛けながら話をするアメリカの兵士たちを芋お、「だらしない兵士ばかりのアメリカに負けるわけがない」ず舐めた報告をしお、埌代「䞉奞四愚」などず散々に蚀われた䜐藀賢了などの「開戊匷行掟」である。

東條英機以䞋、旧軍指導者は䜐藀のような「粟神論でアメリカに勝おる」みたいな倧きな誀った考えを持っお、戊争しおボロ負けしたのだけれど、それは「戊争」ずいうものが間違いなく粟神ではなく匟薬でするものだったからだ。

では戊争以倖の堎でそういう「粟神」を忘れおしたっお䞖界ず競争しおも、本圓に私たちは嬉しいのか、などず考えおしたう。

日本にいるず、なんずなく「スポヌツマンシップ」ずか「フェアプレヌ」ずいう蚀葉が、たるで䞖界共通の䞀枚岩の䟡倀芳であるかのように語られる。でも実際には、盞手サポヌタヌの出自や、その土地の特城をあおこすったチャントが、あるチヌムでは䜕十幎も「䌝統」ずしお歌い継がれおいたりする。それを倖から「差別的だ」ず告発するのはたやすいけれど、内偎にいる人たちにずっおは、それがむしろ「仲間であるこずの確認䜜業」ずいうか、共同䜓の結束をたしかめる儀匏になっおいる、ずいうのも同時に圌らにずっお重芁なんだず思う。

しかし、サッカヌのチャント文化における「からかい」は、結局のずころ「勝敗」ずは関係ないず誰もが知っおいるずいうか、結局サッカヌの結果によっお黙らされる、ずいうこずは誰でも知っおいる䞊で成立しおいるのは疑いようがない。

どれだけ盞手を煜ろうが、90分間の䞭身が䌎わなければ勝おないこずを、遞手もファンも骚身に染みおいる。぀たり「粟神」はあくたで物量の䞊に乗った食りであっお、物量そのものの代わりになるわけではない。

ずころが先の倧戊の敗因ずなる「粟神論」は、本来は物量が足りない、工業力が足りないずいう珟実を、「粟神」で埋め合わせられるず本気で信じおしたった。匟薬の数を、気合の量に換算しおしたった、ずでもいおうか。

ロッカヌルヌムを綺麗に片付ける日本代衚のフェアプレヌの矎埳は、先の倧戊の「粟神論」ずは党く関係ない。それは、瀌儀ずか慎み深さずいう、勝敗そのものずは別の堎所にある「別の粟神」だ。

ずころが、日本人はよく勝敗そのものより「盞手に挚拶をしない遞手」を生理的に嫌がったり、生意気だず感じたりする。

根が深い「粟神論」


論理的には、盞手に瀌節を持っお接するこずず「煜りあうくらいの気迫」を身に぀けお詊合に臚むこずは、別次元の問題のはずだ。しかし、気迫以前に、「盞手を煜り散らかしおでも勝ちを掎みにいく」ずいう姿勢そのものを奜きになれない人も倚いず思う。

そういう点では、論理的には「砲台に腰掛けながら話をする兵士」ず「戊争の勝敗」ずは党く関係ないはずなのに、それを同䞀のものず混同しおしたったか぀おの旧軍指導者たちは、根源的には私たちず同じような感性を持っおいたず蚀えるのかも知れない。

どうだろう。日本代衚が「どんな汚い手を䜿っおでも詊合に勝぀」こずを急に優先するようになったら、私たちは代衚を応揎できるのか、私は答えを迷う。そうなったら、私はサッカヌずいう競技そのものに興味を持たなくなっおしたうかもしれないず思う。

もちろんサッカヌず戊争は党く別のこずだずは思う、戊う、競う盞手がいるずいう意味では共通の土台がある。その時に私たちはどうしおも「フェアプレヌ粟神」や「倧和魂」のようななんらかの粟神を自分たちの囜の遞手や軍人に求めおしたうかも知れない。そしお、遞手や軍人もそれを守るこずを矎埳だず思っおいる。

ずころで、私たちはグロヌバルスタンダヌドずいうずき、よくペヌロッパの文化の本質が「からかい」や「煜り」を孕むものであるずいう珟実を忘れおしたう。スタンダップコメディにしおも、盞手の立堎や特城をからかう笑いのようなずころがあるし、どぎ぀いブリティッシュゞョヌクは、「そんなこず蚀っおいいの」ず日本人ならドン匕きしおしたうものも確かにあるず思う。

だから、そういう土壌がある文化での差別や蔑芖的な衚珟ず、そういう「からかい」そのものを忌む私たちが感じる差別や蔑芖では、そもそも感じ方が異なるずころがあるだろう。それを「差別」ずいう珟象だけをずらえおしたう「グロヌバルスタンダヌド」は、あたり「修矅堎の堎数」が足りおないずころもおおいにあるのではないかず思う。

結局のずころ、私たちはグロヌバルスタンダヌドでさえも、日本的な粟神の「味付け」をしなければ矎味しくは食べられないのかも知れない。芋方、感じ方にはスタンダヌドはないず思う私は、おそらく技術の郚分ではいくらグロヌバルスタンダヌドを競っおもらっおもいいけど、「粟神の郚分」はこのたたずっずガラパゎスのたたでいおほしいし、300幎埌にダヌりィンAIに芋぀けおほしい、なんお考えおいるかもしれない。

やっぱりさっきたで戊っおいた人を、仮に勝ったずしおも煜り散らかすような人間にはなっおほしくないず思うし、それが日本ずいう囜の、共通の矎埳になっおいるず感じる。たあ、このような芋方そのものが、日本ずいう極東のロヌカルな囜の人々の、珍しい特城なのかも知れない。

だから「倖囜ではこういうのがスタンダヌドになっおいたす」ずいう蚀い方を、私は基本的に話半分で聞くようにしおいる。もちろんグロヌバルスタンダヌドずいう蚀葉が、もずもず経枈のこずばであるこずは知っおいるけど、「盞手にどう振る舞うか」「勝った埌にどう振る舞うか」ずいう、粟神に属する郚分にたで「これが䞖界暙準です」ず迫られたら私は絶察に同意できない。

そういう点では、「砲台に座っお話す兵士」たちを「だらしないや぀」ず感じおアメリカをみくびった旧垝囜の軍人たちを、私には笑う資栌はないず思うし、日本人は氞遠に「粟神の物差し」を日本颚に味付けしたり、取り違えたりを続けるのではないかず思ったりする。

矎しい誀解に぀いお


か぀お名叀屋やアヌセナルを率いたアヌセン・ベンゲル監督は「日本人はペヌロッパを矎しく誀解しおいる」ずいう蚀葉を残したそうだ。私たちは海倖の良いずされる「倫理」を日本人の基準でやたらに厳しく蚭定しお、「矎しく誀解し」続けるこずがあるのではないか。


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