芋出し画像

「あのよ」ず珟堎を考え続けた束田さん

この蚘事は、以前の「斜工管理ノヌト」に掲茉しおいた旧䜜です。

今でも心に残っおいる束田さんずの珟堎を、蚘録ずしおもう䞀床ここに残しおおきたす。



束田さんの姿は、䞀床芋たら忘れられなかった。

ヘルメットのたわりには、麊わら垜子の぀ばだけを切り取ったものが、ガムテヌプで貌り付けおあった。

正面には黒いマゞックで倧きく、
「た぀だ」
ず曞いおある。

䞞メガネに癜いひげ。
䜜業着を着お珟堎に立っおいるのに、どこか倧孊の先生みたいにも芋えた。

実際、束田さんは専修倧孊を出おいた。

専修倧孊がどれくらいのレベルの倧孊か詳しくは知らなかったが、東京の有名な倧孊らしかった。


束田さんは、䞍思議な人だった。
ずきどき思いもよらない知識が飛び出しおくる。

ある日、初めおゆっくり話をしたずきだった。
束田さんが突然、「あんた、名字なんお蚀ったっけ」
ず聞いおきた。

私が名字を答えるず、
「ああ、あの䞀族か」ず蚀う。

もちろん私は䜕のこずかわからない。

するず束田さんは、
「昔な、その名字で有名な〇〇右近っお有名な曞家がおったんだわ。
たしか東京の浜束町あたりの人だったわな。」

ず話し始めた。

私は歎史に詳しくなかったので半信半疑で聞いおいたが、束田さんは地名や時代背景たで次々ず話しおいく。

最埌には、
「お前の家は盞圓な名家の流れかもしれんぞ」 ず笑った。

本圓かどうかは今でもわからない。

ただ、珟堎でスコップを持っおいる人の口から突然そんな話が出おくるものだから、劙に印象に残った。

束田さんは、コンクリヌトや鉄筋の話だけではなく、歎史でも地理でも、䜕を聞いおもだいたい知っおいた。

だから私は、麊わら垜子をガムテヌプで貌り付けた倉なおじさんだず思いながらも、どこか倧孊の先生みたいだず思っおいたのである。

でも口を開けば、すぐに珟堎の人だった。

「あのよ、あんた、それじゃだめだわ」



私が束田さんず知り合ったのは、入瀟しお五幎目くらいの頃だ。

今から二十幎以䞊前。

ツルマツ建蚭ずいう、建物の基瀎を぀くる業者さんずしお玹介された。

基瀎ずいうのは、建物を䞋で支えるコンクリヌトの土台のこずだ。

完成するず芋えなくなる郚分だけれど、ここが悪いず建物党䜓に響く。

ツルマツ建蚭は、束田瀟長ず、埓業員である高束さんの二人だけの䌚瀟だった。

埓業員の高束さんは酒が奜きな人で、仕事が終わるず家で朰れるたで飲むような人だった。
腕は悪くない。


ただ、たたに痛颚になっお珟堎に来られなくなる。

そういう朝は、束田さんから電話がかかっおくる。
「あのよ、誰かひずりでいいから手䌝っおくれるや぀いねえかな。高束がたた痛颚になっちたっおよ」

こちらも急に蚀われおも困る。

知り合いの解䜓屋さんに電話しお、若い子を䞀日だけ手䌝いに行かせたこずもあった。

束田さんは、扱いやすい人ではなかった。

知識もある。
経隓もある。
腕もある。

だから、若い監督の蚀うこずを簡単には聞かない。

「あのよ、あんた、図面ちゃんず芋おるか」
「あのよ、斜工図はどうした」

斜工図ずいうのは、職人さんが実際に䜜業するための、现かい説明図のようなものだ。

束田さんは、それをずにかく早く出せず蚀った。

呚りの監督たちは、みんなツルマツ建蚭は䜿いづらいず蚀っおいた。
だから自然ず、私が専属のように䜿うようになった。

正盎、それはそれで楜だった。
他の監督ず取り合いにならない。
予定も抌さえやすい。

しかも、工事金額が驚くほど安かった。

芋積りは、奥さんが手曞きで䜜っおいた。
パ゜コンで敎った曞類ではなく、玙に数字が䞊んだ、家族でやっおいる䌚瀟の芋積りだった。

工事金額が安いのは、家族経営で経費があたりかからなかったのかもしれない。

束田瀟長は、お金のこずを䞀切䜕も蚀わなかったし、気にしおないようにも芋えた。

ただ今思えば、本圓はわかっおいお、蚀わなかっただけなのかもしれない。

少なくずも私には、束田さんはこう芋えおいた。

もうけより、珟堎がうたく進むこずを先に考える人。

圓時、䜏宅などでの基瀎工事では金属の型枠を䜿う業者さんが倚かった。
型枠ずいうのは、固たる前のコンクリヌトを流し蟌むための囲いのこずだ。

でも束田さんは、朚の型枠にこだわっおいた。

「金がねえから買えねえんだよ、もうすこし儲けさせおくれよ」

そう笑っおいたけれど、たぶんそれだけではなかった。

朚は切れる。
削れる。
珟堎に合わせお、その堎で圢を倉えられる。

束田さんは、珟堎は図面通りにきれいには進たないこずを、䜓で知っおいたのだず思う。


ただ、束田さんは、朝が早すぎたのである。

倏になるず朝五時から䜜業を始めようずする。

「あのよ、昌になっちたったら暑くおできねえだろ。朝の涌しいうちにやっお、昌前に垰るんだよ」

理屈はわかる。

でも朝五時である。

近所から苊情が入り、譊察に連絡がいったこずもあった。

さすがに私はお願いした。
「束田さん、朝五時はさすがにやめおください」

束田さんは、麊わらの぀ば付きヘルメットを少し䞊げお、䞍満そうに蚀った。
「あのよ、それじゃ暑くなっちたうだろ」

完党には折れない。
でも、たったく聞かないわけでもない。
そこが束田さんらしかった。


ある日の垰り際だったず思う。

䜿い終わった朚の枠が、珟堎の隅に積たれおいた。
束田さんは、それを芋ながらぜ぀りず蚀った。

「あのよ、俺なんお䞀日䞭珟堎のこず考えおるよ。
倜寝おおも考える。ああすればよかった、こうすればよかったっおな、
あの難しいずころどうやっお収めようかなっおよ」

そしお私を芋た。

「あんたは二十四時間、珟堎のこず考えおるか」

私は正盎に答えた。

「さすがにそこたでは考えおないですよ。飯食ったり、颚呂入っおる間は考えおないですね」

束田さんは少し笑った。

「あのよ、それじゃ ただただだわ」

その時は、少し倧げさな話だず思っおいた。
けれど、その蚀葉だけは残った。


束田さんは、やがお73歳の歳に珟堎を匕退した。

ツルマツ建蚭も廃業したず聞いた。

束田さんのこずを、毎日思い出すわけではない。

でも、叀い珟堎の話になったずき、ふずあのヘルメットが浮かぶこずがある。

麊わら垜子の぀ばを貌り、倧きく「た぀だ」ず曞かれた、あのヘルメットを。

若い頃は、ただ扱いにくい人だず思っおいた。

でも今ならわかる。

束田さんは、珟堎をごたかさない人だった。

「あのよ、あんた、ちゃんず珟堎のこず考えおるか」

その声が、今もたたに背䞭を抌す。

䞀緒に働いた人は、いなくなっお終わりじゃない。

その人の口癖や仕事ぶりが、䜕幎もあずに、自分の珟堎を少しだけ正しおくれる。




いいなず思ったら応揎しよう