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〔351〕「大兄」と「中央銀行」の関係⑨ 中華共産帝国の頽落と人民元の崩壊(完の1) 9/24朝前文書き換え、もう全部言うわ!

//24〔351〕「大兄」と「中央銀行」の関係⑨ 中華共産帝国の頽落と人民元の崩壊(完の1)
 謹告 今まで伏せていた落合史観の秘密部分を公開することに決め、全文を書き替えましたので、再読願います 9/24朝 落合莞爾

 グローバリズム米国と共産主義中国の「抱合」(ほうごう)については〔350〕で述べました。この「抱合」は個別の存在が有機的に接合した事態を言いますが、米国と共産中国の市場的「抱合」は、人類史が何時かは到達するグローバリズムの一つの極点です。
 そもそも西欧勢力の中国市場への接近の試みが始まったのは乾隆五十八(1793)年で、本邦では光格天皇の寛政五年です。
 英国王のジョージⅢ世から乾隆皇帝の傘寿祝いの親書を届けることを口実に熱河の避暑山荘を訪れたマカートニー伯爵が、乾隆皇帝との謁見と自由貿易を要求したところ、清国は定例通り「三跪九叩頭」の礼を要求し、マカートニーはこれを拒否します。
 そこで略式の「片膝折り」に変更して謁見と親書奉呈は許されますが、自由貿易は拒絶されました。
 二十三年後の1816(文化十六)年、ナポレオン戦争に勝ったイギリスがアマースト使節団を派遣しますが、やはり「三跪九叩頭」の礼を拒否したため謁見すら実現せず、これが遠因となってアヘン戦争(1840~1842)が起こり、勝者イギリスと敗者清国が締結した南京条約によって自由貿易が始まるわけです。
 その後、地域勢力の一つ西欧圏の棟梁の地位をイギリスから引き継いだアメリカと対枢軸軍事同盟(連合国)を形成していた中華民国が昭和二十三(1948)年に中国共産党との内戦に敗れ中華本部が共産主義体制となると、中華本部の新しい主権者となった中華人民共和国を「冷戦下における敵国」とみなしたアメリカは、チンコム(対中国輸出統制委員会)を設けて自由貿易を禁じました。
 かくて貿易鎖国したままの米中関係が、再びグローバリズムを迎えるのは1971(昭和四十六)年です。
 翌年のニクソン大統領訪中から始まる国交開始によって再びグローバリズムの渦中に入った両国の関係は、地上最大の消費大国と労務大国の「抱合」となって他の地域勢力に多大な影響をもたらしました。
 WWⅡ後、原爆使用による戦勝によって唯一最大の覇権勢力となった米国を「掣肘できる勢力」として、ソ連を原爆保有国にしたのですが、その目的は、米ソ両国が表面上対立する「米ソインチキ体制」を構築することにありました。
 この経略の謀主は「ワンワールド國體天皇府」と観るしかないのですが、決断・実行したのは、事績を診る限りでは、昭和天皇です。
 この「米ソインチキ体制」により,WWⅡ後の世界はNATO加盟国を主とする「第一世界」、ワルシャワ条約機構の加盟国を主とする「第二世界」、及びそれ以外の「第三世界」に三分されました。これは軍事体制による棲み分けですが、経済および通貨体制もこれに対応します。
 ブレトンウッズ体制で唯一の本位通貨とされた米ドルが基本的な基軸通貨となり、その他の通貨は米ドルと固定比率での交換を保証されることになりますが、この時米ドルとの定率交換を脱したのが東側諸国(ワルシャワ条約機構加盟国)の盟主ソ連の通貨ルーブルです。
 本当の「二極体制」ならば、ソ連ルーブルも米ドルと同様「金ルーブル制」にして衛星国の通貨を金ルーブルと固定比率で交換できるようにすべきところですが、黄金保有量においてアメリカと圧倒的な差があるソ連にはそれが不可能だったのです。
 ここらが「米ソインチキ体制」と呼ばれる所以です。
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