そこは盛岡の玄関口であった 仙北町駅舎 いわて歴史的建造物巡り26
盛岡駅から一駅隣にある仙北町駅の駅舎。この駅舎は大正時代に開業した当時のまま現存しています。

仙北町駅は、東北本線に設置された駅で、地域住民の願いにより、後に内閣総理大臣も務める原敬が誘致に協力し、大正4(1915)年に開業した請願駅でした。


令和6(2024)年には無人駅となってしまいましたが、通勤通学による利用者は現在も多く、私も何度か利用した事があります。

開業当初からの軒も残り、大正時代の駅舎意匠が見られます。
令和5(2023)年にはSuicaが利用可能になり、駅長さんが花壇でスイカを育てるといった話題もありましたね。

そして、令和6(2024)年にはバリアフリー化として駅機能を橋上に移すとJR東日本からの発表がありました。

既存の施設である西東を結ぶ連絡橋及び駅構内にある跨線橋を連結し、駅機能を移す計画の様です。


しかし、現在(令和8年2月19日時点)も駅舎を今後どのように扱うか正式には不明のままです。


待合室にあった窓口は塞がれてしまい、新たに乗車駅証明書発券機が置かれました。

利用者が少ない時間帯に撮影した為がらんとしていますが、朝や夕方の通勤通学や帰宅時間は利用者で待合室が混み合います。


天井の隅には換気口があり、一部には花柄(?)の模様が施されている様です。

駅を利用するついでにホーム側の撮影をします。

駅舎を出て駅構内へ移動しました。
プラットホームは跨線橋を渡った先にあります。


上下線とも一つのホームで乗降車する島式ホームです。
ホーム上にも待合室が設置されています。

跨線橋に新たな看板が設置されている様子から、引き続き使用すると伺えます。

連絡橋へ繋がる通路は工事中でした。

跨線橋内部には時刻表が映されていました。今の時代はデジタルで表示されるのですね。

交通系ICカードの読取機は跨線橋中間に移設されました。
以前は駅舎を出てすぐの所にあったのですが、いつの間にか移動していました。






他にも、プラットホームへ向かうエレベーターが新たに設置されていました。

跨線橋を渡りプラットホームへ到着しました。
ここで少し、仙北町駅について解説したいと思います。

明治時代に計画された東北本線の計画では、盛岡駅は仙北町に設置される予定でした。
仙北町は奥州街道沿いに位置し、盛岡の玄関口として栄えました。北上川には明治橋が架けられ、渡った先に鉈屋町があります。
奥州街道によって栄えていた仙北町は客足を取られる事を危惧し計画変更を求めた結果、盛岡駅は線路を延長して離れた場所で開業しました。
盛岡駅開業後、鉄道利用者が増え、仙北町周辺に訪れる人が減少していきました。
そこで、駅を新設するよう当時鉄道院総裁であった原敬に陳情をした結果、無事大正時代に完成しました。

仙北町駅は東北本線の駅舎では岩手県内唯一、大正時代の趣きを残す貴重な駅舎であると同時に、原敬が関わった重要な遺構とも言えます。
盛岡の歴史を伝える建造物として、どうか今後も遺して欲しい建物です。

名称:仙北町駅舎
年代:大正4(1915)年
住所:岩手県盛岡市仙北2丁目1
