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晩ごはんは、毎日コンビニの廃棄だった。父が店を始めた日から。

友達によく言われた。「コンビニの子とか羨ましい。廃棄もらい放題じゃん」

否定はしない。うちの晩ごはんは、たしかにほぼ毎日コンビニの廃棄だった。おにぎり、揚げ物、たまに賞味期限切れのサンドイッチ。冷蔵庫を開けるより先に、店の廃棄コーナーを覗く生活だった。

この記事は、コンビニを継ぐかどうか迷っている2世や、親が自営業で「家にいない時期」を経験したことがある人に向けて書く。しんどい話ではあるけれど、暗いだけの話にはしないつもりだ。

父が店を始めた日、僕は5歳だった

僕が幼稚園の年長の頃、父はコンビニを始めた。当時のことはよく覚えている。父も母も、ものすごく張り切っていた。

ただ、張り切っている分、家にいる時間はどんどん減った。正直、その頃の父や母と一緒にいた記憶は薄い。忙しい中でも旅行に連れて行ってもらったことが何度かあって、そのときの嬉しさだけは、やけにはっきり覚えている。「今日は一緒にいる日だ」というだけで特別だった。

裏を返せば、それくらい一緒にいない日が普通になっていたということだ。

廃棄の晩ごはんと、友達の羨ましがり方

実際、店を始めてから、うちの家計は前よりずっと厳しくなっていたと思う。子どもの僕にもなんとなく伝わるくらいには。

晩ごはんは、よくコンビニの廃棄になった。友達にその話をすると、決まって「いいなー、コンビニのごはん毎日食べれるやつ」と羨ましがられた。子ども心に、悪い気はしなかった。ちょっと自慢げに話していた気もする。

でも本当のところ、僕はずっと、親が作ってくれるごはんのほうが断然おいしいと思っていた。廃棄の揚げ物より、母の作る何でもない晩ごはんのほうが、味は上だった。友達が羨ましがっているものと、僕が実際に欲しかったものは、ちょっとズレていた。

たぶんこれは、コンビニの子どもあるあるだと思う。外から見える「廃棄という得」と、家の中にある「一緒に食べる人がいない、という損」は、別のところにある。

それでも、店への熱は消えていなかった

家計は厳しくて、家族で過ごす時間は減った。それでも、父の店への熱までは消えていなかった、というのは、後になって振り返るとわかることだ。

子どもの目線では、単純に「親が忙しくて、たまにいなくて、たまに廃棄を食べる日々」だった。そこに店の経営がどれだけ大変だったかまでは、当時の僕にはわからない。

でも今、自分自身が同じ商売の側に立ってみると、あの頃の父と母がどれだけ無理をしていたか、少しだけ想像がつくようになった。店を始めるというのは、家族の生活のリズムそのものを作り変えることなんだと思う。

環境は選べなかったけど

僕はこの環境を選んだわけじゃない。5歳の子どもに選択権はない。廃棄の晩ごはんも、親のいない時間も、勝手に決まっていたことだ。

でも、選べなかった環境の中で、何を覚えていて、何を大事だと思うかは、自分で選べる。僕にとっては、廃棄のありがたさより、たまの旅行や、母の手料理の記憶のほうが、ずっと大事なものとして残った。

この話は、うちのコンビニの一番最初の時期の話だ。この後、経営は本当に苦しい時期を迎えることになる。次はその話を書こうと思う。

同じように親の商売の中で育った人、いま自分の子どもに同じような生活をさせてしまっていると感じている経営者の人。たぶん、思い当たるところがあると思う。

よかったら、この続きも読んでみてください。

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