しんどさを親のせいにして、25歳でコンビニを辞めた話
これは正直、連載の中で一番書きたくなかった回です。前回、22歳で2店舗目を任されて、しんどさと引き換えに親の凄さをやっと理解できた、という話を書きました。今日はその続きで、そのしんどさを僕がどう処理し損ねたか、という話です。
2店舗目を回すようになってからの数年間、気持ちの逃げ場がないままでした。休みは急な欠員で潰れる、生活は苦しい、若いというだけでなめられる。ひとつずつは大したことないんですが、抜ける場所がないと、地味に人を削っていきます。
そういう毎日が続くと、人はどこかに理由を置きたくなります。自分で選んでここにいる、と思うのがしんどくて、誰かのせいにでもしないと壊れそうでした。それで僕は、親のせいにしてしまいました。
冷静に考えれば、親は僕に道を用意してくれただけで、そこを歩くと決めたのは自分です。でも当時の僕は一度も社会に出たことがなくて、比べる相手も、外に相談できる人もいませんでした。「この働き方はどこかおかしいんじゃないか」という違和感の、持っていき先が、いちばん近くにいる親しかなかったんだと思います。
その頃は、仕事の話をしているつもりが、途中から「そっちがこの働き方を作ったんだろう」という話に自分ですり替えていました。今思えば完全に八つ当たりです。ただ、それを言っている時だけ少し息ができる気がしてました。
今振り返ると、あれは一番残酷な、楽になりかたでした。原因を自分の外に置くと、その場は本当に楽になります。ただ、置いた相手との関係のほうが静かに傷んでいきます。しかも一度そう考え始めると、なかなか元には戻れないです。
結局、25歳でコンビニを辞めました。きれいな辞め方ではなかったです。親も僕も、たぶんお互いにうまく言葉にできないまま、少し距離が空きました。誰かがはっきり悪いことをしたわけじゃないです。だれも悪くない。ただ、当時の僕にこの状況を整理する力がなかった、それだけの話です。
辞めたあとは、学歴も経歴もほとんど見られない仕事を、短い期間でいくつも変えながらやりました。どれも特別な資格のいらない仕事です。長続きはしなかったですが、その仕事が終わればそれで一日が終わる、という区切りがあるのが、当時の僕には合っていました。店のことだけを考えなくていい日があるのが、しばらく信じられなかったのを覚えてます。
今、雇う側に戻ってスタッフを見ていると、しんどさの逃げ場がなさそうな子がたまにいます。そういう時、昔の自分を思い出します。しんどい時に誰かのせいにしたくなるのは、その人が弱いからじゃなくて、単に逃げ場がないからだと、今はわかります。だから、大したことはできないですが、休みの相談だけはしやすい空気にしておきたいと思ってます。
まとめると、25歳の僕は、しんどさの持っていき先を間違えて、一番近い人にぶつけて、店を離れました。褒められた選択じゃないです。ただ、この回り道がなかったら、たぶん今こうして店に戻ってくることもなかった気がします。次は、その外に出てからの話を書こうと思います。
