私のこれまで31(母のこと)

99年4月、母に誘われて今はない戸塚の横浜ドリームランドに行った。
母がおにぎりや卵焼きを作って持ってきてくれた。
うさぎの触れ合いコーナーで智がうさぎを抱っこしたりして楽しんだ。
2週間後おばから電話があった。
母が横浜市立医大病院に緊急入院したそうだ。
入院した時は一般病棟にいたが、翌日ICUに移り人工呼吸器を付けられ話すことができなくなったそうだった。
その日の夜、車に乗り5人で母の横浜のマンションに向かった。
家には弟がいて、ICUは面会時間が限られてるのでとりあえず寝た。
翌日おばが来た。
面会は午後からで10分しかいられないとのことで午後になるのを待った。
面会は大人しかできなかったから、なおとかのはおばにみててもらった。
面会前には手の消毒と使い捨ての帽子と白衣の着用をしなければならない。
それくらいヤバい状態なんだと覚悟して母に会った。
母は口から管を入れられ意識はなかったので話せなかった。
医師からの説明があり、母は肺炎で呼吸がヤバくなりやむなく肺に直接管を入れたそうだ。
私が中3の時に母は肝炎を患い入院した経緯があった。
なんとか助かったが、肝臓の状態はかなり悪くて通院して薬を飲みなんとか現状維持していたそうだった。
その影響で強い薬を使えず気道挿管にならざるを得なかったそうだ。
おばの話しだと母は風邪をひいていた。
風邪くらいで病院にかかる人ではなくそのうち治ると思っていたそうだ。
母の店はバブル景気までは羽振りがよかった。
しかしバブル崩壊で一気に傾いた。
赤字が続き、95年に泣く泣く店を畳んだ。
母は陶芸を習っていて自宅に電動ろくろやベランダに電気釜を置くほどだった。
6年くらいやっていて腕もあがってきたので、自宅で陶芸教室を開いていた。
といっても習いにきてくれたのは知り合いの人から紹介してもらった人が数人だった。
店を畳んだ頃、母はまだ52才で年金ももらえる年ではなかった。
クラブのママで成功した人だったから、人に使われて働くのはプライドが許さなかっただろう。
しかし実際は重たい粘土を運んだり、出来上がった作品を電気釜に入れて焼きあげたりとハードだったらしい。
肺炎になってしまったのはそんな無理がたたってしまったのもあったのだろう。


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