私のこれまで32(母のこと)

おばだけでなく、おばの旦那のおじさん、母の姉のおば従姉妹、母の古くからの友人も面会にきてくれた。
母と付き合っていたUさんもきた。
ある日医師からもって数週間と残酷なことを告げられた。
そんなことない治ってまた、智たちと遊んでくれるんだとの思いだった。
智の学校と先生には事情を話ししばらく学校を休ませると伝えた。
なおの保育園の先生にも伝えた。
大人の事情で学校に行けず、友だちと遊べない智のためにみつおさんが智を連れてトイザらスに行き、Nintendo64本体と大乱闘スマッシュブラザーズのソフトを買った。
スマッシュブラザーズは対戦ゲームだったから、仕事から帰った弟がゲームに付き合ってくれた。
かのはおむつがとれたのが早かったり、手のかからない子だったがなおは相変わらず多動で、なぜか服を脱いで走りまわっていた。
それを見た母の姉のおばと従姉妹が躾がなってないとヒステリックにキレてきた。
母の入院で気が立っていたのだろう。
4月中旬すぎに母が入院して大型連休に入りしばらくした頃、かのが風邪をひいた。
弟が無理させたらかわいそうだし、容体は変わらないから帰りなよと言ってくれたので5人で帰った。
連休明け智は学校に行き、なおは保育園に連れて行きその足で病院に行き母に面会した。
元々悪かった肝臓がさらに悪くなり、人工透析になった。
日曜日に朝早く病院から電話がかかってきた。
危篤状態だと聞き、急いで病院に駆けつけた。
従姉妹には弟がいて、その従兄弟とお嫁さんとお子さんたちもきた。
お嫁さんはまだ小さなお子さんがいて大変だっただろうに、私がみてますから病院に行ってくださいと言ってくれたのでありがとうございますと言い、なおとかのを預かってもらった。
子供は入れないICUだが、もう時間の問題だからか上のお子さんもどうぞと智も入れてくれた。
生まれてからかわいがってくれたおばあちゃんが弱ってる姿を見て、智は涙が止まらなかった。
ICUには私、智、弟、Uさんがいた。
心電図モニターがおかしな動きになり、看護師さんを呼んだ。
担当医と看護師さんがきて、脈拍を図り瞳孔を見た。
先生が腕時計を見て、13時47分ご臨終ですと母の死の厳しい現実が伝えられた。
99年5月中旬、母は55才だった。
病室にいた全員は泣き崩れ、Uさんはなんでだと叫び壁を叩いていた。
2人のおば従姉妹をはじめみんなに知らせた。
悲しむ間もなく葬儀屋へ連絡した。
10分くらいで葬儀屋さんがきて化粧を施して病院の霊安室に母の亡骸を運んだ。
焼香をすませしばらくして、寝台車に乗せ母が最後に暮らした家に運んだ。
家には母の友人、おじさん、姉がいた。
布団に寝かせ近くには誰かが買ってきた、花が飾ってあった。
みつおさんはお義母さんには、まだ母のことは話してなかったが亡くなったことは話していたのでお義母さんもきていた。
お義姉さんがなおとかのを連れて行ってくれた。

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