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「誰が歌うんだ、この第九(ふざけた音符)」

「誰が歌うんだ、この第九(ふざけた音符)」

​第九交響曲の初演直後、楽譜の隅で頭を抱えるベートーヴェン
​「おい、ちょっと待て……。誰だ、こんな地獄の変ロ長調の連続を組み込んだのは。……私か」
​耳の聴こえなくなった巨匠は、紙の上で暴れ回る音符の群れを睨みつけ、乾いた舌打ちを一つした。
​頭の中では、宇宙の息吹がそのままオーケストラのうねりとなって鳴り響いていた。
天界の音楽だ。
妥協など微塵もない。
だからこそ、紙にペンを走らせる手が止まらなかった。
神々の鳴らす響きをそのまま地上に引っ張り下ろすために。
​しかし、冷静になって冷静に――いや、冷静にならなくてもわかる。
第4楽章のテノール独唱。
あの高音の跳躍はどうだ。
人間が声帯の限界を超えて張り裂けそうな叫びを上げるように書いたが、あれを実際に歌う歌手の喉の負担を、書いている時の私は完全に忘れていた。いや、忘れていたというか、「これくらい人類なら超えてくるだろう」と謎の全幅の信頼を置いてしまった。
​さらに弦楽器のパッセージ。
「もっと激しく、もっと狂ったように!」と指示を出したが、リハーサルで第一ヴァイオリンの首席奏者が青い顔をして譜面台にしがみつき、「先生、この重音の高速移弦は物理的に指が足りません!」と泣きついてきた。
​(……足りない? いや、練習すれば弾けるはずだ。気合が足りんのだ、気合が)
​そう心の中で言い訳をしてみるものの、自分自身、今この瞬間このピアノに向かってあの速度で弾いてみろと言われたら、十音のうち三音は盛大に外す自信がある。
​ベートーヴェンはフンスと鼻を鳴らし、乱暴に羽ペンをインク壺に突っ込んだ。
​「……まあいい。人間、不可能だと思うからそこで止まるのだ。限界の先を見せるのが芸術家の仕事だろう。来週の本番までになんとかしろ。ソリストも、オーケストラも、私の知ったことか」
​そう呟きながらも、楽譜の余白に震える手でこう書き加える。
​――諦めるな。君たちなら弾けるはずだ(たぶん)。

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