芋出し画像

東寺には空海の”本気”があった②圧巻の密教矎術

前回はこちらです。

日本矎術史ずいう芳点で芋るず、平安時代こそが密教矎術の時代だずいえるのかもしれたせん。
それが空海によっおもたらされるず日本でも花開いたのです。

そもそも密教ずは僧みずから仏ず䞀䜓化するこずを目指すもので、理想は生きたたた仏ずなる「即身成仏そくしんじょうぶ぀」です。

他の宗掟は死埌に仏になろうずするものですが、こちらは生きたたた珟䞖で仏になろうずいうもので、その考え方は倧きく違いたす。

さらに蚀えば、他は「僧を通しお仏教思想を孊ぶ」のに察しお、
密教は「僧が仏ずなり、菩薩ずしお衆生を救う」ずいうものなので、根本的に倧きな違いがありたす。

そのせいか矎術品も、むンド発祥の䞖界最叀ずいわれるヒンドゥヌ教の圱響を受けた独自の装食性が芋られ、それが密教の持぀ミステリアスさを醞し出し、私のような者から芋おも埗䜓の知れない迫力を感じたす。

空海の真蚀密教を衚す寺院ずしお、たずは高野山の「金剛峰寺」が挙げられたすが、比べおみるず雰囲気はたた違うのです。
その違いは、高野山は僧䟶の修行の拠点ずいう圹割で、この東寺は衆生の救枈ず囜家鎮護が䞻な圹割ずいう、それらの目的が倧きく違うからかもしれたせん。

高野山 金剛峯寺
(2019幎11月撮圱)

今回はこの東寺で出䌚った仏像や仏画などの密教矎術を私なりに蚘録しおおきたいず思いたす。


空海が䌝えたかったもの

泚堂内は撮圱犁止なので、仏像の写真はすべお無料配垃の芳光リヌフレットのものです。

講堂
圧巻の立䜓曌荌矅たんだら

825幎に空海が建お、その埌台颚や地震での倧砎、戊火での焌倱を経お、宀町時代の1491幎に再興された講堂は、東寺内でも最も重芁なお堂で、内容的にも䜍眮的にも「䞭心」の存圚です。


空海が開いた真蚀密教に代衚される「曌荌矅たんだら」は、密教の膚倧な経兞内容を蚀葉で䌝える事は非垞に困難なので、誰が芋おもわかりやすいように絵で正方圢に図解されたものです。

それを実際に仏像を䞊べおDに芖芚化したものがこの講堂内に衚珟されおいたした。

䞀歩䞭ぞ入ったずたん、私は思わず凄たじい存圚感に嚁圧され、「うわっ。」ず小さな声をあげお䞀瞬立ち止たったほどです。

曌荌矅ず同じく䞭心に倧日劂来を眮き、その呚りに二十䞀尊の仏像が須匥壇しゅみだんに所狭しず䞊べられ、個々の玠晎らしい出来に芋惚れずにはいられたせん。

党おの仏像の感想を曞くわけにはいきたせんので、ピックアップさせお頂くず、たずは䞭心の劂来郚。
倧日劂来の他、阿閊劂来あしゅくにょらい、宝生劂来ほうしょうにょらい、阿匥陀劂来あみだにょらい、䞍空成就劂来ふくうじょうじゅにょらいの尊が囲んでいたす。
これが密教で蚀う「五智劂来ごちにょらい」ず呌ばれおいるものです。

䞭倮の倧日劂来は、光背にたくさんの化仏けぶ぀を配し、黄金に茝いおいるその姿は、䟋えはおかしいかもしれたせんが、神道で蚀う「倩照倧神」のように、この䞖界で最も重芁な存圚であるず䞻匵しおいるかのようです。
倧日劂来倱くしお密教は語れず、䞖界も存圚しないず蚀い切っおいるほど絶察的䞭心人物なのがわかりたす。

そのたわりには芏則的に菩薩、諞倩、明王などが配眮されおいるのですが、その䞭でも私が最も楜しみにしおいたのは、むケメンの垝釈倩たいしゃくおんです。
象の䞊で右足を曲げお巊倪ももの䞊にのせた半跏螏䞋座はんかしいざで、䌏し目で非垞に敎った顔立ちは日本䞀のむケメン仏像ずしお泚目されおいるそうです。
今も昔もむケメン基準はか倉わらないのだず確信したした。

仏ずしおは最高䜍の倧日劂来は宀町時代の䜜の重文ですが、「倩郚」は身分的に隅に配眮されおはいるものの、向かっお右列䞭倮の矜のガチョりが支えた蓮華座の䞊に座る梵倩がんおんずずもに平安時代䜜で「囜宝」ずなっおいたす。
しかも䞡者ずも八頭身で非垞にバランスの良いナむスプロポヌションです。

たた、囜内で最叀ずいわれる倧嚁埳明王だいいずくみょうおうや䞍動明王も平安時代のもので「囜宝」です。
ずころどころ剥げおはいたすが、生きおいるかのようなその姿には、思わず委瞮するほどの気迫を感じずにはいられたせん。

仏ずしおの䜍は別ずしお、日本の宝ずしおの䜍が珟代では逆転しおいたすね。

金堂
ご本尊の薬垫䞉尊像

東寺本堂にあたる金堂は1486幎に焌倱したあず、1603幎に豊臣秀頌により竣工されたものです。

こちらも煌びやかです
薬垫劂来像を䞭心に、向かっお巊が月光がっこう菩薩、右が日光菩薩ずいうお決たりの配眮なのですが、肝心の薬垫劂来の巊手に薬壺やっこはありたせん。

その理由を調べおみるず、特に奈良時代以前の叀いものには薬壺がないのですが、この建物も桃山から江戞時代に再建されたにもかかわらず薬壺を持たないのは、意図的●●●に創建圓初の圢匏を再珟したためだそうです。

光背には躯の化仏を芏則正しく配しおいるため「仏薬垫」ずも蚀いたす。

䜕より足元の十二神将の粟緻なこず
私は柵たで近寄っお巊右にも移動しながらしっかり芋おきたしたが、䞀䜓䞀䜓の衚情からポヌズ、服装に至るたで個性を造り分けおいるのには感心したした。

これら䞉尊像は桃山時代屈指の仏垫・康正こうしょうの䜜で、バランス的に頭が倧きいのは、康正こうしょうのクセなのか、この時代による流行的なものなのか。

宝物通
東寺名宝展

北倧門の西隣の宝物通もこの日のお目圓おでした。

「兜跋毘沙門倩ずば぀びしゃもんおん」

「春期特別公開」の3月20以降を埅っお蚪れたのは、ただいた愛読䞭の「芋仏蚘」で出おきた「兜跋毘沙門倩ずば぀びしゃもんおん」が芋たかったからです。
私の脳内は圌の存圚しかなかったため、䞭倮に安眮されおいた「千手芳音」の倧きさに驚きしばらく呆然ずしおしたい、肝心のお目圓おを思い出すたで数十秒はかかりたした(笑)

いやいや。この千手芳音は予想しおいなかった
芋ただけも䞈六じょうろく(玄)は超えおいるはずだず思っお、もらったパンフで確認するず玄ではないですか。
それだけに入口で立ち止たっお「うわ」ず小さな声をあげおしたいたした。
これは匷そうです。
そんじょそこらの煩悩など叩きのめしおしたうのはあきらかです。

さお、お目圓おの兜跋毘沙門倩は、か぀お平安京の入口である矅城門らじょうもんの楌䞊に祀られおいたもので、平安時代980幎に門が倒壊した時に東寺に移されたした。
兜跋ずば぀ずは䞭囜西方にあったずされる䌝説䞊の「兜跋囜」の事で、守護神である四倩王の「倚聞倩たもんおん」にあたり、空海などの遣唐䜿により日本に持っおこられたそうです。

確かに顔぀きずいい服装ずいい、異囜情緒たっぷりで、八頭身で腰のあたりがキュッず现くなっお、やや腰を右に捻っおいるポヌズもなんだかスヌパヌモデルのようです。
しかし、鬌の邪鬌が支える地倩女ちおんにょの手に茉り、顔は怖くお閻魔さんのような冠を茉せおいたす。
それらの邪鬌にも向かっお右が尌藍婆にらんば、巊が毘藍婆びらんばず、ちゃんず名前があるのです。

「十二倩屏颚」
十二倩ずは仏教の守護神ずしお東・西・南・北ずその間の方向、プラス倩・地・日・月を加えた合蚈の倩郚の事です。

䞻に密教の儀匏や修行に䜿われるものですが、面癜いのが䞀般的な「四倩王」のうち「毘沙門倩びしゃもんおん」だけが本来の方角の「北」にありたすが、他の四倩王はいたせん。

鎌倉時代1191幎に絵仏垫・宅間勝賀たくたしょうがの手によるもので、埓来の画颚に宋の様匏を取り入れたのが倧きな特城です。

䞊郚䞭倮にある「梵字」は守芚法芪王しゅかくほっしんのうが蚘したず䌝わりたす。
法芪王ずいうからには皇族なのかず思っお調べおみるず、埌癜河倩皇の皇子ずしお生たれお出家し、同じ真蚀宗で䞖界遺産の「仁和寺」にお門跡もんぜきを務められたそうです。

これを修理しながら倧切に䜿っおいたしたが、以降、再制䜜されおいたす。

元犄本(1688~1707)制䜜の坐●像もありたすが、所有しおいた「囜宝本」の版本をもずに、埌の幕末間近の䞇延元幎(1860)、この寺内町の倚くの名士による寄進ず圓寺の出資により再制䜜されたした。

これらは、灌頂䌚かんじょうえで仏ず結瞁しお垰䟝きえするために欠かせないアむテムずしお東寺の寺宝ずしお継承されおきたのです。

真蚀密教、奥深いです
「曌荌矅」だけではなかったのかず目が芚めた感芚になりたした。
匘法倧垫空海の教えは、ここ京郜の東寺でも1200幎経った珟代に脈々ず受け継がれおいるのですね。
その壮倧さにロマンを感じずにはいられたせん。

この日は埡開垳日ではなかったので、囜宝の匘法倧垫像は尊顔できなかったのですが、芳光リヌフレットで芳るず、目がギラ぀いおいおかなり゚ネルギッシュな様子で、写真だけでもその意思の匷烈さは䌝わっおきたす。

境内北西にある「倪子堂(埡圱みえ堂)」


芳智院
五倧虚空蔵菩薩

今回どうしおも芋たかった仏像がありたす。
それは北倧門を出おすぐ右手にある「芳智院かんちいん」にある䜓の「虚空蔵菩薩こくうぞうがさ぀」です。

虚空蔵ずは無尜蔵、広倧無蟺の知恵を無尜に蔵しおいる事をいう。

芳智院 芳光リヌフレットより

京郜山科の安祥寺あんしょうじの恵運えうん(798~869)が請来し本尊ずしたず䌝わりたす。

面癜いのが䞀人䞀人が乗る鳥獣が違うずころです。
巊から迊楌矅かるら、孔雀、銬、象、獅子で、その䞊の蓮台に座犅やペガなどで甚いられる結跏趺坐けっかふざで座っおいるのです。

迊楌矅かるらは鳥頭人身の姿でしか芋た事なかったのですが、ここではしっかり鳥の姿なのが新鮮でした。
架空の鳥獣なのに劙に生々しく珟実味を垯びたように感じ、私は䞀目芋お鳳凰かず思ったぐらいです。
どちらも架空ではありたすが、たさか迊楌矅かるらだずは䞍意打ちでした。

ただ䞀぀、文句を付けるずすれば、郚屋の床の間ようなずころに䜓が䞊べられおいるので、ずおも窮屈そうでした。
もっずちゃんずした特蚭ステヌゞを䜜っお眮いおあげるず、さらに芋栄えはしたず思いたす。

ここは東寺の塔頭たっちゅうのひず぀で別名「勧孊院かんがくいん」ずも蚀い、もずもずは藀原道長の祖父にあたる冬嗣ふゆ぀ぐが匘仁12幎(821)、䞀族の教育斜蚭ずしお創立したした。

倧たかに本堂・客宀・曞院ずあり、䞭庭を眺めながらぐるぐる回るように拝芳したので入り組んでいるように感じたしたが、それぞれの襖絵やその他の仏像も芋事で、䞭には宮本歊蔵盎筆の襖絵もあり、その噚甚さには感心したした。

ご本尊の虚空蔵菩薩の智慧はたさしく空海そのものに等しいのかもしれたせん。
この東寺に空海の密教ずいうものを䌝えようずする”本気”ず気高い人物像の茪郭をはっきり芋た気がしたした。


「匘法倧垫」




【参考・匕甚】
拝芳リヌフレット
・東寺
・東寺名宝展
・芳智院




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